2016/10/29

芦川

「流れのあるところに、ある日澱みが生まれる。原因はいろいろあるだろう。上流からやってきた泥が堆積したのか、川岸からもたらされた植物が絡んで滞留しているのか。いずれにしても澱みはふつう、ある程度の範囲に限定され、それ以上は広がらない。けれどもおれの場合は違った。澱みはその川に目一杯広がって、やがて澱みでさえ無くなった。それは沈黙だ。上流側で川は溢れて土手を越え、付近に被害を及ぼした。一方下流側では当然水が枯れ、生態系に異常を来した。誰も予想はしていなかった、それは大きな川ではなかったからだ。ナイルや長江のような川なら分かる。でもそうではなかった。それにも関わらず、おれによって、間違いなく環境が損なわれてしまったのだ。もちろんこれは比喩だ」

 芦川の言うことは全く分からなかった。具体的な物事を表すために、わざわざ視点を手前にうつしてぼんやりとした場所から語ることはしばしばある。けれども芦川の表現はいつもぼくを混乱させた。ぼくに感じられるのは本当にわずかな部分だけで、それはほとんどの場合、彼が何かに苦しんでいるということだけであった。

 ぼくは自分のことを本当に平凡な人間であると思っている。理由は簡単で、これまで親しくしてきた人間のことがヘンテコに見えたからだ。彼らに比べてぼくはいつも至極まともな人間であった。しかし芦川はいつもぼくのことを「おまえは変なやつだ」と言った。ぼくからしてみれば、芦川の方がよっぽどおかしな男なのに。

「沈黙だ、分かるか」

「分かるわけないよ」

「いいんだ。サウンド・オブ・サイレンス。おれたちはまだ十八なんだ」

 ぼくたちはまだ十八であった。高校三年の夏、受験勉強をしないで、ぼくらは東北一周を敢行していた。夜行バスで名古屋から新宿に向かい、上野を出発して青森駅を目指した。鈍行の列車に揺られる間、ぼくらはいろんなことを話したものである。八月のはじめ、ぼくらはまだ十八になったばかりであった。

 芦川が澱みについて話したのは、青森でねぶた祭を観た二日後の早朝、新潟市の民宿を出発して駅に向かって歩く途中だった。その日は旅の最終日で、十時間余電車に揺られて長野県を突っ切り、名古屋にたどり着くというスケジュールだった。晴れていた。真夏の日差しがぼくらに注いでいた。

「おれたちはまだ十八なんだ」その言葉からもう、七年も経った。


 ぼくら二人は大学受験に失敗し、お互い別々の場所で一年間浪人生活を過ごした。芦川は京都大学に、ぼくは慶応大学に進学した。連絡は今ではほとんど取らなくなったが、ときどき会う。前に会ったのは…そう、もう二年近くも前だ。ぼくは就職を控えた最後の春休み、芦川は劇団を立ち上げる構想を練っている頃だった。二十三歳。東京駅から少し歩いた大衆居酒屋だった。


 





2016/06/18

芝生のイメージ

 十年間も彼の中にはあるイメージがあった。それは芝生のイメージである。
 中学の頃、異国に暮らしていた彼は、ある日そのイメージを感じた。彼はそれを円形の芝生と呼んだ。春の晴れた日、田舎のサンルームで外の風景を眺めていた時のことであった。
 円形の芝生は直径およそ2メートルほどで、それなりに青く綺麗に整っている。そしてその上に彼自身が一人立っている。芝生と、その上に立ち尽くす彼以外には、そこには何も無い。これがとても重要である、本当に何も無いのだ。例を挙げれば、上下や左右さえも、無いようだ。
 イメージが浮かんだと思うと、彼から何かが零れ落ちる。足下に落ちる。それをぼんやりと見ていると、また別のものが、彼から芝生へと落ちる。それを拾う気配はない—拾い上げることが困難であると、彼は分かっているからだ。
 落ちたものは、何に導かれてか、少しずつ、芝生の端に向けて転がり始める。そうして等速的に動き、不自然さや感慨を一切感じさせることの無いうちに、芝生の外へ、淵へ、落ちていく。彼から次々にあらゆるものが落下し、それらは順に転がり、雨のように外へ居なくなる。

 彼は失い続ける。そこには表情は無いが、悲しみがある。無論、これはイメージの浮上と同時にそこを支配している悲しみのことであり、感慨とはまた別のものである。彼の悲しみに対する態度―つまり、悲しみは普遍的なものであり、発生や消滅にとらわれない類いの、全てに含まれるものであるという態度―を築いたのはまさにこの事実であった。悲しみとは水である。姿形を周期的に変化させながらも、総量は絶えず潤沢で欠落せず、必ずそばに存在している。
 彼は失い続ける。十四歳の彼は直感した。おれは失い続ける存在である。そうしてこう見ると、芝生の上の彼は失われ続ける存在でもあるのだ。不安や恐怖はなかったが、諦めに似た考えが、悲しみを肯定する上では不可欠な要素ではあった。

 祖国から遥か離れた異国の田舎で、彼はよく散歩をした。少し歩けば、広大な芝の大地を眺めることが出来た。地平線の向こうまで、果たしてどこまで広がっているのか分からない。北の太陽に照らされて、春の海のように青くうねる美しい芝に、点々と孤独な羊たちが暮らしていた。偏西風に押されるように南西からやってきた風は心地良かった。彼はそういった場所で、十代前半の日々を、余りある時間の中で過ごした。

 喪失のイメージ。二十五を前に、そのイメージは全く色褪せようとしない。ぼくは失い続けている。失い続けていく。そして失いきった時にこそ、全てが終わり、別の何ものかが生まれるのであろう。その間にも悲しみは離れずそばにいるはずだ。これはあるいは、逃避や信仰に準ずる理なのかも知れない。彼は知らず知らずのうちに、悲しみに対する妄信に侵されていたのかもしれない。しかし仮にそうであったとしても、それは仕方の無いだ。問題にはならない。
 彼は金曜夜九時の列車の中で考えていた。大きな矛盾である。失い続けているのに、得ようとしているのである。これは不思議なことだ。もちろん、得るという行為そのものには、失うという性質も含まれている。けれども、行為そのものではなく、それに対する精神性の位置づけがうまく出来なかった。得ようとすること、とは何なのか。いまのところでは、彼にはそれを動物的な、即ち非人間的な、非理性的な場所にしか根拠を見出すことが出来ていない。汚らわしく、不自然なことである。人間が「得よう」と四苦八苦する様子は、何とも滑稽で無意味で、むしろ罪深きことであるように見えるのだ。

 一方で彼は確実にその中核に居た。大学を出て就職をして、働いていた。芝生のイメージと、得ようとすることを、同じ場所に置いている。いまはまだ無事かもしれない。しかし、やがてその何れかを手放す必要が出てくるかもしれない。いや、これはほとんど分かりきったことであった。少なくとも自分という枠組みの中で起こることについて、人に想像できないことなどない、というのは彼の持論である。先のことだから分からない。などということは起こりえない状態なのだ。従って、彼にはどちらか一方を選ぶ必要があり、どうやらそのタイムリミットはそう遠くはない場所にあるようだ。

 芝生のイメージは十年間も彼の中で流れている。音楽のように、風のように、イメージは彼の内部に映し出されている。

2016/04/09

切れぬ堰

 キーボードの前に座って一時間が経過したが何も書けない。季節が変われば、雪解け水のように山間部から冷たく透明に澄んだ心地良い水が流れてくるはずだと信じていたが、まるでそんなふうに上手くは行かない。上流では分厚くこわばったままの氷がごろごろと転がっているに違いない。しかし私は遡上も叶わず、河口でじっと待ちわびることしか出来ないのである。吃りのようだとも思ったがそれよりもずっとひどい。

 毎朝、薄暗い部屋で目を覚ます。シャワーを浴びて髭を剃り、髪を乾かしたら歯を磨く。決まって同じ順番を辿る。それから肌着、ワイシャツを着て、ネクタイを締める前に髪にワックスをやる。朝食は食べない。二日にいっぺんほどの頻度でお茶をグラスに一杯飲む。セーターを着て背広を羽織る。靴下は最後だ。風呂場の換気扇を回したことを確かめて、玄関を出る。

 ぼくはとりとめも無い思いの中、毎日会社で働いている。かつてはこういった思いを拾い集めて観察し、描写することが出来た。今では出来ない。出来ないから、本当に「とりとめも無い」思いなのだ。どうして出来なくなったのかは分からない。能力が無くなったのか、時間が足りないのか、体力が落ちたのか。分からない。時間の経過はあまり関係がないように思っている。いずれにしても、ぼんやりとしていて掴み所に欠く、靄のような感覚が常に頭に擡げている。胸焼けのようでもあり、眠気のようでもある。疼痛でもあれば、むず痒さでもある。よく分からない。ぼくには以前、たくさんの分からないことがあった。少しずつ分かるようになってきたが、ものによっては、それが見えたからこそ、それよりもずっと多くのものが見えなくなってしまうような性質を帯びている。そうしてこの性質を帯びているものが、実はとてもたくさんある。これは厄介である。だからと言って、見なくていいわけではないと思う。本筋は、それで見えなくなってしまったものも探し直して、隈無く照らして理解することであると思っている。そう、これはとても骨が折れるし、時間がかかるし、疲れてしまう。しかしね、そうやって考えることで、立体的に物事を捉えられるようになると思うんだ―などと書いてみたところで、やっぱりぼくにはなんにも見えないのである。

2016/01/23

小雪の土曜、悲しい土曜

 昼過ぎに少しだけ雪が降った。先週借りたDVDを返しに出た帰り、本屋に寄ると窓越しに降るのが見えた。水気の感じられない、散り散りにされた羽のような雪は、風のない今日の大気の中、十分な時間をかけて舞って落ちた。ぼくは車に戻ってエンジンをかけ、少しの間、サイモンとガーファンクルを聴きながら、それらのトラックにまつわる自分の記憶を、ほとんど無意識のうちに辿っていた。冬にうってつけの音楽だ。

 車を買った。

 時間は過ぎていく。オブラディ・オブラダ。



 小説を書こうと決めた。理由はいくつかあると思うのだけれど、それをわざわざリストアップしたことが無いから、いくつあるのかは分からない。ただ、十二月、名古屋駅を一人で歩いていて、思い立ったのだった。今なら書けるんじゃないだろうか。雑踏を見ながらそう思ったのだ。

 しかし問題がある、ぼくはビートルズを聴き始めて十年以上になるのだけれど、それと同じくらい、ずっと前から小説を書きたいと思い続けていて、それでいてまともなものは一つも書けたためしがないのだ。

 今度も同じだった。断片的な文章がいくつも出来上がった。何人もの女の子が出て来て、何人ものアーティストの音楽を聴いていた。鉛筆で書いたものは雨で濡れてふやけてしまったし、スマートフォンで打ち込んだものは、SNSの下書きに保存されたまま読み返されることさえなかった。ぼくは混乱し続けているのだった。やるせない気持ちはもう、十何年来ぼくのへその辺りに堆積し続けて決して排泄されようとしなかった。酒を飲んでもセックスをしても飽きるほど寝ても痩せるまで風呂に浸かっても一緒であった。



 コーヒーを飲み終えてしまった。ここから出なくちゃならない。ぼくにはもう何も書けないのだろうか?それは恐怖であった。もうずっと、書くことに依存してきたし、書くことでぼくは成り立っていたのだから。書けないとするならば、今のぼくはいったい何者なんだろうか。自分でさえ分からないのだ。散漫なアイデアが良くない風向きで行ったり来たりしている。雑多な紙切れがノイズみたいに駅前のロータリーをランダムに撫でている。ぼくは文章を書きながら苛立つようになってしまった。白髪の老人が憂鬱な目で週刊誌を見つめている。