十年間も彼の中にはあるイメージがあった。それは芝生のイメージである。
中学の頃、異国に暮らしていた彼は、ある日そのイメージを感じた。彼はそれを円形の芝生と呼んだ。春の晴れた日、田舎のサンルームで外の風景を眺めていた時のことであった。
円形の芝生は直径およそ2メートルほどで、それなりに青く綺麗に整っている。そしてその上に彼自身が一人立っている。芝生と、その上に立ち尽くす彼以外には、そこには何も無い。これがとても重要である、本当に何も無いのだ。例を挙げれば、上下や左右さえも、無いようだ。
イメージが浮かんだと思うと、彼から何かが零れ落ちる。足下に落ちる。それをぼんやりと見ていると、また別のものが、彼から芝生へと落ちる。それを拾う気配はない—拾い上げることが困難であると、彼は分かっているからだ。
落ちたものは、何に導かれてか、少しずつ、芝生の端に向けて転がり始める。そうして等速的に動き、不自然さや感慨を一切感じさせることの無いうちに、芝生の外へ、淵へ、落ちていく。彼から次々にあらゆるものが落下し、それらは順に転がり、雨のように外へ居なくなる。
彼は失い続ける。そこには表情は無いが、悲しみがある。無論、これはイメージの浮上と同時にそこを支配している悲しみのことであり、感慨とはまた別のものである。彼の悲しみに対する態度―つまり、悲しみは普遍的なものであり、発生や消滅にとらわれない類いの、全てに含まれるものであるという態度―を築いたのはまさにこの事実であった。悲しみとは水である。姿形を周期的に変化させながらも、総量は絶えず潤沢で欠落せず、必ずそばに存在している。
彼は失い続ける。十四歳の彼は直感した。おれは失い続ける存在である。そうしてこう見ると、芝生の上の彼は失われ続ける存在でもあるのだ。不安や恐怖はなかったが、諦めに似た考えが、悲しみを肯定する上では不可欠な要素ではあった。
祖国から遥か離れた異国の田舎で、彼はよく散歩をした。少し歩けば、広大な芝の大地を眺めることが出来た。地平線の向こうまで、果たしてどこまで広がっているのか分からない。北の太陽に照らされて、春の海のように青くうねる美しい芝に、点々と孤独な羊たちが暮らしていた。偏西風に押されるように南西からやってきた風は心地良かった。彼はそういった場所で、十代前半の日々を、余りある時間の中で過ごした。
喪失のイメージ。二十五を前に、そのイメージは全く色褪せようとしない。ぼくは失い続けている。失い続けていく。そして失いきった時にこそ、全てが終わり、別の何ものかが生まれるのであろう。その間にも悲しみは離れずそばにいるはずだ。これはあるいは、逃避や信仰に準ずる理なのかも知れない。彼は知らず知らずのうちに、悲しみに対する妄信に侵されていたのかもしれない。しかし仮にそうであったとしても、それは仕方の無いだ。問題にはならない。
彼は金曜夜九時の列車の中で考えていた。大きな矛盾である。失い続けているのに、得ようとしているのである。これは不思議なことだ。もちろん、得るという行為そのものには、失うという性質も含まれている。けれども、行為そのものではなく、それに対する精神性の位置づけがうまく出来なかった。得ようとすること、とは何なのか。いまのところでは、彼にはそれを動物的な、即ち非人間的な、非理性的な場所にしか根拠を見出すことが出来ていない。汚らわしく、不自然なことである。人間が「得よう」と四苦八苦する様子は、何とも滑稽で無意味で、むしろ罪深きことであるように見えるのだ。
一方で彼は確実にその中核に居た。大学を出て就職をして、働いていた。芝生のイメージと、得ようとすることを、同じ場所に置いている。いまはまだ無事かもしれない。しかし、やがてその何れかを手放す必要が出てくるかもしれない。いや、これはほとんど分かりきったことであった。少なくとも自分という枠組みの中で起こることについて、人に想像できないことなどない、というのは彼の持論である。先のことだから分からない。などということは起こりえない状態なのだ。従って、彼にはどちらか一方を選ぶ必要があり、どうやらそのタイムリミットはそう遠くはない場所にあるようだ。
芝生のイメージは十年間も彼の中で流れている。音楽のように、風のように、イメージは彼の内部に映し出されている。