2020/03/22

病床にて

2月末に体調を崩し、一週間余りを療養に費やした。ほとんど完治が見えて職場に復帰し、一週間務めた週末、土曜の朝に、原因の分からない発熱がおこった。

それから早一週間が経ったが、原因はまだ分からない。毎日のように医者にかかり、痛い検査も繰り返したが、それでも分からない。放っておくと常に39度以上の熱が続いてしまう。原因が分からず対処法も分からないので、医者の指示通り、解熱剤を継続的に服用しながらどうにか高熱の時間をできるだけ短く抑えている。熱の下がっている間は体調はそれほど悪くない。むしろ散歩に出かけるくらいには元気である。しかし今度は、解熱剤の副作用か、口内におびただしい数の口内炎ができた。これはなかなか難儀である。食欲があるのに食べられず、話したいことも口をつかない。おまけに咽頭がずいぶんと腫れてきて、食事はおろか水分をとることにさえ苦痛が伴うようになってきた。

何しろ、この一ヶ月近くでぼくの体重は6kg以上落ちた。妻は体型だけで言えば今の方が理想的だと元気付けてくれた。

妻と子が元気であることが唯一の救いである。妻には本当に苦労をかけてしまっているから、必ずこの原因不明の病を治して、恩返しをしようと考えている。

入院には及ばないということで(まあそれはおそらく入院をしたところで原因が分からないのだから手の施しようもないということだろう)、ここのところは人生の大半の時間を自宅で、それもそのうちの半分以上を寝室のベッドの上で過ごしている。夜中から明け方にかけて体温が上がる。この間ぼくは何度か眼を覚ますことになる。はじめのうちこそこんなものかとやり過ごしていたが、長く続くと気が滅入る。ぼうっと熱を持った頭の中には夢とも妄想とも見分けがつかない、不可思議なイメージが繰り返し映し出される。

今日になってこんな文章を書こうと思ったのは、昼間、妻があまりに退屈そうで憂鬱そうなぼくを見かねてか、iPadを寝室まで持って来てくれたからだ。こんな機会滅多にないので、せっかくだから文章に残そうというわけだ。絶筆になるのではないかなどという嫌な感覚も一瞬頭をよぎったが、これを遺書のようなものにするつもりはない。ぼくは死なない。まだ死ぬわけにはいかないのである。どれだけの時間がかかってもこの病を完全に克服し、ぼくのために笑ってくれる人たちのために生き続けなければならないのだ。

あるいは、この熱源が分からない今の断面で上のようなことを書くのは大げさかもしれない。けれどもぼくはいま本当にそういう気持ちである。昨日、晴れた昼過ぎのウッドデッキで、庭を見ながらウクレレを弾いた。すると涙が流れてきた。ああ、ぼくはついに自分の命を、家族のために守りたいと思えるようになったのだと思った。ぼくは泣きながら何曲かを弾いた。黄色い蝶が柔らかい風に乗って飛んでいた。