いや、失われたと信じたくはない。おそらくその抽斗はあまりに長いこと引き出されないままであったために、他の多くの要素の中に紛れて、きっと部屋の奥の方に追いやられてしまったに過ぎないはずだ。昔、それはもう十五年以上前に、頭の中に部屋があるという話を書いたことがった。その話の中で、ぼくの頭の中にいた女の子は、最後にスーツケースに荷物を全部詰め込んで、遂に部屋を出て行ってしまう。ぼくは上の文章を書きながら、その部屋のことを思い出した。そこにはきっと古い桐の抽斗があったはずだ。そして今でも、探せばきっと、部屋のどこかに抽斗が残っているに違いない。
いずれにせよ、ぼくは新しい文章を書くことができなかった。
四月に東京に住み始めた。厳密に言えば、三月三十日に越してきて、四月一日から、単身赴任が始まった。二週間が経とうとしているが、大変忙しい。
できるだけ文章を書きたい。そして残したい。誰にも、何も伝えられないこの日々は、必ずぼくにとって重要な時間になるはずだが、同時に子どもたちにとっても役にたつことになるはずだ。今のうちに(抽斗がどこかにあるとまだ信じられているうちに)、考えていることを書き残したい。
もう少しハイボールを飲んだら、寝よう。