2013/10/20

For the dead hours of the night


 Cはぼくの左側を必ず歩いた。どうしてもこちら側が落ち着くのだと言って、和歌山城を散歩したときも、神戸の夜を練ったときにも、烏丸駅からレストランまで歩く間も、ずっとそうだった。そうして彼女は手先が乾燥していた。この時期になると大変で、と、よくハンドクリームを塗っていた。

 気が付いたことがある。

 Mも必ずぼくの左を歩くのだ。そうして手先が乾燥しがちで、切れてしまうこともあると言った。だから彼女は、寝る前に肌の手入れを念入りに行う。髪だって長いから、風呂を出てから寝支度を済ますまでに随分と時間がかかるのだ。湯冷めするなよ、と言うと腹巻をしているから大丈夫だと笑った。(08:02)

 近頃すごく寒い。


 じっと考えていると、瞬く間に週末が終わってしまった。鍋の誘いを断り、酒も断り、そのほとんどを一人で過ごした週末。今日は朝から雨が滴り、宛ても無く広がりゆく自室の床に寝転がって天井を見上げてみたり、珍しく筋力トレーニングを丁寧に行ったりした。ただ一人の人間に支配されて身動きが取れなくなったぼくの何某とは裏腹に、彼女の何某はまるで気にもなっていないようだ。少なくともぼくにはそう見える。


 なんだかみっともないのだ。そう思う。筋が埋まって見えなくなった腹を撫でながら考える。何も手に着かない。それはけれども、ふわふわと不安定に浮遊するような状況が続いているからで、これがきちんと決着されさえすれば、ぼくはきちんとまたもとのように歩むことができるはずなのだ。何しろずっと酔っ払っているようなのだ。そうしてそれは、誰に因るものでもないのだ。ただ時間が過ぎるのを待つしかなく、そうしている間にきっと秋は終り、為す術もないままに、冬が空から緞帳のように降りてくるのだろう。足元に重たく薄く伸びたその匂いは、乾いた街を滑るようにして、ぼくのことを忘れてしまうのだろう。

 ぼくは一体、何を望むものだろう。ぼくは結句一人では駄目なのか?虚しい気持のまま、夜の街に出かけようと思った。(20:11)



 塵のような雨がときおり街灯に照らされて白くぼうっと光る。寒さの中、パーカーのフードを被って身をかがめ、煙が帯になって竜のように空に浮かんでいく様を眺めていた。うねりながらそれは明りひとつない黒い色をした空にむかって昇って行った。ぼくはその竜をめがけ、口に残る煙を吹きかけた。気が付くと傍らに猫が座っていた。彼はぼくをじっと見ていた―たまたまそのように見えただけかもしれない。ぼくは嫌な気分になって立ちあがり、部屋に戻った。彼女の匂いを思い出しながら。(23:52)

2013/10/18

10/16,17

 ぼくはその一言を聞くためだけに生きてきたようなものだ。

 はっきりと思い出す。煙草の煙も霧消して、ウイスキーの酔いもすっかり醒めて、最後には彼女だけがそこに残る。深夜、小田急の蒸し暑さの中で、ぼくはドアにもたれ掛ってじっと考えていた。ぼくはまさにそれだけのために暮らしてきた。そうしてそれは、確かにはじまりであるはずだった。いや、そうしなければならない。新宿駅の改札で、彼女は耳元にそう告げたのだ。

 …言葉にならない。文字に起こすことは、ときにかくした障壁を感じさせる。表現することでそれはたしかにはじめて保存され得るのかもしれないが、けれどもぼくにはそれを文字にする為の手段が無い。そり立ったアイスランドの岩山を思い出す。ぼくにはその瞬間の気持を言葉にすることができないのだ。ただひとつ言えるのは、ぼくにはもう、ひとつしかないということだ。

2013/10/10

サイケな

 ぼくは女の子を泣かせることでしか愛を感じることができないのかもしれない。或いは、女の子に嫌われることでしか愛を感じることができないのかもしれない。熱で溶けて歪んだままに固まったぼくの愛は目の下に隈を消さずにぶら下げて、ぼくは傷つけて傷つけられてはじめてその人に猛烈に惹かれるのかもしれない。けれどもそれは間違いだ。それはぼくをこういう具合にしてしまう。ぼくは駄目になってしまう。

 サンドウィッチとヨーグルトを食べて、腰が重い。大学に行かなくちゃなあ。行きたくない。音楽を聴いて一日を過ごしたい。何も思うことはない。ただぼくはじっと座っていたいのだ。外は風が強すぎる。

2013/10/08

LUCKY STRIKE IT'S LOASTED


夏が終わって、何も考えることができなくなった。

2013/10/07

僕と彼女と週末に

 経験というものについて考える必要があると思うわけ。経験とは何か。経験は必要なのか。ぼくはね、経験という言葉そのものに対する認識が甘いように感ずるわけだ。つまり、ろくでもないものを経験と名付けて崇拝し、本質をあたかも探り当てたような気でいながら、実は本当の本質はその影に隠れてさらに、これまでよりもずっと深いところに落ちて行ってしまっているのかもしれない。それは恐ろしいことだ。ぼくらは震災を、戦争を追体験した気でいながら、結局生きているのだ。

 はっきり言って、経験なんてえのは大したものではない、とぼくは思うわけだ。無論、ジャンルには依ろう。表面的に、例えば利益を上げるためには、現場の経験というのはモノを言うはずだ。けれども、死者について考えるとき、経験なんてものは全く意味を成さないはずだ。ぼくはそう信じる。これはナマケモノの負け惜しみでは決してない。心の底から思っている。経験?ならばぼくは死ぬべきだ。そうは思わないか?


 昨日は二試合で5打数3安打。藤沢市リーグでは今季通じて13打数8安打。打率.615。全身の筋肉が軋むように痛い。大学に行こう。

2013/10/03

文章

 爪楊枝を半分に折って、真白なテーブルに置いた。それを毎日毎日、暇の限りに続けた。無数の爪楊枝(の残骸)は少しずつ山を形成し始めた。或る夜、初恋の彼女のことを想いながら楊枝を折ると、いつもよりも乾いた音がした。そうしてそれをテーブルに置いた時、山が思いのほかうず高く、美しいものになっていることに気が付いた。横に置かれたシガーケースや、或いはデジタルアラームよりも背丈は高かった。ぼくはブランデーをぐっと飲み干すとその山を眺めた。

 急峻な崖の表面は、複雑に絡み合った楊枝がささくれ立っている。長短さまざまなそれぞれが、妙に間抜けで見とれてしまった。ぼくはエディ・ヴェダーを流して、もう一杯ブランデーを飲んだ。煙草は我慢した。間違いなく、ぼくは彼女のことを考えている。

 どういうわけか、異邦人の一節を思い出した。ムルソーは自室のバルコニーから通りを眺めている。見下ろすとそこには、当然のように街の景色が広がっている。暇を持て余す彼は、昼過ぎから昼下がり、日が沈むまで、じっとこの通りを見ているのだ。まるで今のぼくのようだ。そう、そこにこそ太陽は現れ、それに目が眩むのかもしれなかった。異邦人をぼくは、毎年大晦日に読んだ。ここ二年近く読んでいないかもしれない。少しずつ変わっているのだろうか。いずれにせよ、この楊枝の山にはムルソーも上ろうと思うに違いなかった。シーシュポスでなくとも、そこに神秘性がなくとも、確かにこれは、ぼくの眼前に立ちはだかる絶壁は、彼に対する山であった。(00:05)



 早朝の微睡みの末、故郷の夢で目を覚ました。夕方、畦道を歩いていた。ぼくのほかには誰もいない。淡く青く澄んだ秋の空はその遥か高くに鱗雲をはりつけて、徒に飛んでいく鳥の群れを見下ろしている。そうしてぼくは、宛ても底も知れない黒く渦巻く欲望を腹の奥で感じるのだ。やりきれないその塊を。日が傾いて、本来ならばすぐにでも夕刻の橙に包まれるところ、その夢には時間の経過がないようで、ずっと、空の色は変わる気配が無かった。それはぼくをひどい絶望感に晒した。いつしかぼくは夜を望むようになっていたのか?肌が痛く感じられた。欲望が内側からやってくる感じだ、張り裂けそうな肌の痛みはやがて快感に変わった。スニーカーの立てる乾いたアスファルトの音は振動になり、痛みになり、ぼくの頭の中を走り回ってやまない混乱のことを、心なしか和らげてくれるのかもしれない。

 目を覚まして、ぼくはじっと考えた。もう諦めてしまった方がいいのかもしれない、と。実態の無いものごとに心を焦がれて疲れてしまうよりも、もっとソリッドな姿勢を保つべきなのではないか。例えば、今日の研究会に向けて、或いは、もうじき始まる就職活動について。ほとんど実体のない女性に拘泥することに、果たして意味はあるのだろうか。

 しかしまあ何とも、ロジックは通用しそうにもない。

 ぼくは電話を待つ。古今東西の音楽を穴倉に垂れ流しながら、それを待つ。

 …待つしかないのだ。(09:28)

2013/10/01