2014/06/07

やわらかな雨

 雨が止まない。朝九時ごろに、鈍い頭痛とともに目を覚まして、カーテンを開けた。ずいぶんと降っていた。ぼくはカーテンを閉めて、歯を磨いてシャワーを浴びた。ヨーグルトを食べて、音楽を聴きながら着替えた。英語のテキストと適当な小説を手に取って鞄に入れた。それから、ペンとノート。出掛けようと思って傘を握り、玄関の扉から部屋を出た。廊下に立って外を眺めると、やはりずいぶんと、降っていた。ぼくは少しの間、その風景を眺めていた。青々と茂る木々の葉を揺らす雨粒、ノイズ、どこまでも続いていく灰色、それからまた、頭痛を思い出した。今度はその上に、気怠い眩暈さえも覚えた。疲れていたのだろう、昨晩はずいぶんと長い時間、ぼくは眠ったようだった。思えば目を覚ました時、電気は点けっぱなしで、読んでいた小説は腰の下敷きになって表紙を曲げていた。
 ぼくは踵を返して部屋に戻った。そうして服を脱ぎ捨て、レコードプレイヤーにグレン・ミラーを回し、電気を消して、寝床に戻った。音楽が雨音を消して、薄暗がりの部屋に安寧を感じた。こういう金曜日があってもいいではないか。ぼくはいろんなことを考えながら微睡み、最後にはやはり、憂鬱な惰眠に落ちて行った。


 雨が止まない。インスタントのコーンポタージュを啜りながら夕暮れ時、今度はダニー・ケイを聴いている。夕暮れとはいえ、陰鬱な雨雲の所為で、その時間の経過は感じられない。ただのっぺりとした景色が繰り返し流れて行くだけだ。ぼくは開けたカーテンをまた閉めた。それからゲームで暇を潰した。何件か酒の誘いがあったが、断ってしまった。寝起きの呆けた頭でまた、下らないことを考えていた。彼女の乳房のことだとか、この間女友達と話した結婚の話、後輩のコンプレックスの下り、勉強する気も起きない講義の中間試験のこと。夏野菜カレーを食べたいと思った。女の子の作ったカレーを食べたことがない。ぼくはカルボナーラやロールキャベツは食べたが、女の子の作ったカレーを食べたことがなかった。詰まらないなあとゲームを切って、仰向けになって天井の染みを眺めた。三年前の飲み会でついた染みだ、由来も成分も分からない。奇妙な複数の模様と、その配置は、なんだかモダン・アートな感がある。
 前の彼女のことを考えた。途端に多くの音楽を思い出した。ダニー・ケイは知らぬ間に終わっていて、雨の音が伴奏になった。湧水の如く音楽は溢れだした。それは雑多にしてしかし、深海に居るような静けさを伴っていた。筆舌に尽くし難きかく浮遊、とぼくは頭の中で書いた。オリーブの種、彼女はタリスカーを飲んでいた。


 なんとなしに外に出た。古いパーカーと撚れた短パン、駅前の居酒屋で拾ったサンダルでおめかしをした。手ぶらだ、財布も持たなかった、コインを適当に掴んで持ってきただけだ。音楽を聴きながら歩いた。雨は止むどころか、強くなっていた。アパートの前の坂道を川のように流れていく雨水、その流れに逆らうように、ぼくは上った。音楽を聴いている、それはどんなものでもよかった。再生をすると、それはぼくが中学二年のころによく聴いていた音楽だった、マイナーな曲だ、好きと言うわけでもない、ただ、当時のことが思い出されるだけだ、無色に。

 雨の中で緑は映える。どうしてだろうか、道沿いの竹藪は活き活きとしている。その一本一本が、嬉々として雨のその身に流れるを受け入れている。藪から目を落とすと、打たれて散ったのか、吹かれて散ったのか、足元に若い葉の一枚が落ちている。ぼくはしゃがんでそれを手に取った。厚みを感じる。

 コンビニで雑誌を買った。帰ってシャワーを浴びて、また眠った。目を覚ますと外は暗闇だった。


 電話をした。何とも言えない気分だ。


 午前四時、昼間眠りこけた所為で、まるで寝つけない。仕方なくこの文章を書いている。雨はまだ止まない、結局、ずうっと降り続けている。あるいはぼくの寝ている間に、止んでいたのかもしれない、いやあ、それはないだろう。音楽を聴いている。電気を消した部屋、暗い部屋で一人、腰をさすりながら言葉を捻りだしている…まさに捻りだしている。文章を書くというのは、小説を読むことよりもずっと苦しい。けれども書かねばならない。彼女の声を思い出した、どういうわけか、かっと全身の熱くなるのを感じた。ぼくは退屈な人間になってしまったのかもしれない。それでもいいのかい?ぼくは詰まらない人間になってしまったのかもしれない。

 それは仕方のないことだ。今はただ、ひとつのことだけだ。

 雨は止まない。明日のうちに深夜バスの代金を振り込まなくちゃ。彼女の匂いを思い出そうとしている。けれどもそれは徒労だ。バーボンをグラスに注いだ。氷を取りに起き上がるのも億劫だ。一息に飲みこんだ。どうしたって、ぼくはこんなにも寂しいのだろう。

2014/05/01

 部屋の掃除の途中、座椅子にかけて眠ってしまっていた。目を覚ますと日が暮れていて、時計は二時間ほど、針を進めていた。桑田佳祐の音楽が延々と繰り返されている。『今でも君を愛してる』、白桃の香りと薄暗がりが妙にエロティックで、彼女のことを思い出している…ぼくは今でも、彼女のことを愛している。傍らのバナナをひと齧り、食欲のないここ数日の憂鬱を考えている。ぼくは裏切られたのだろうか、そうして、これからまた、裏切られるのだろうか…今までのように、ぼくは結局のところ、損なわれるだけの存在なのだろうか。

 ぼくはもう、最後だった。今度がうまくいかなかったときには、全てをやめてしまおうと心に決めていたのだ。だってね、誠実さにとっては、それが最も大切なことだったからだ。遂にぼくは、ぼくであり続けることしかできなかったのだ。それはあまりに悲しいことだった。

 この一週間で、二度、彼女を泣かせてしまった。それについてぼくは、思っていたよりもずっと大きな罪悪感を感じている。ぼくは間違ったことは言わなかったはずだ、けれども、たとえそうであっても、いずれにせよ彼女に涙を流させてしまったことは、大きな罪だ。ぼくの罪だ、そうしてそれは、償われるべき、罪である。

 明日、彼女は訪れる。どうして彼女を抱けようか、青い悲しみが部屋を満たしていく。それはどの青とも違う。血のように鮮やかで、木々のように萌える青、滲んだそばから消え入りそうな、悲しい青だ。

2014/04/15

サボタージュ・ジャーナル

 就職活動を終えて十日余りが経って、けれどもぼくにはまだ、整理がつかないでいる。いろいろな場所で酒を飲み、女の子たちと話をして、人生のことだとか、男女のことだとか、お金のこと、結婚のこと、将来のこと、過去のこと、いろいろなことを考えてきたけれど、十日間の最後には、結局ぼくはポケットの小銭を数えながらラーメン屋の暖簾をくぐっていた。酔狂の末にひとり、かつて女の子とよく訪れたラーメン屋のカウンターに座っていた。ラーメンは知らぬ間に値上がり、ホールの女性も知らぬ顔であった。酒の回った内臓にスープを流し込むと、矢張りぼくはぼくでしかないのだと思い知らされた。この愚図で不束なノッポの男は身の程もわきまえず、背広を着て社会に出て行こうとしているのだった。ぼくはどうしようもなく憂鬱な気分になった。煮卵を頼んで浮かべると、それを器の中で転がして遊んだ。


 ノートを買って、小説を書こうと思った。ある女の子との約束まで二時間ほど中途半端にあまってしまって、地下街の喫茶店で真新しいノートを広げた。しかしぼくにはろくに書くことができない。ペンを握ると、かつてそこにあったはずの感覚の損なわれていることを感じた。ぼくは確かに歳を取っているのだ、ぼくは思った。そうして高校生のころに書いた、「ぼくは失われ続けるものである」という旨の文章を思い出した。そうである、まさしく当時のぼくは真実を語っていたのだ。ぼくはただ、ぼうっと立っていることしかできない。何か行動をとった気になって、実は何もしていないのだ。そうしてただ、ぼくのエッセンスのようなもの、或いは重要な臓器のようなものが少しずつ、断片的に失われては足元の泥沼に沈み込んでいく様子を傍観していることしかできない。

 桜の木のことを考えていた。空は高く澄み、桃色の花弁の散るを見下ろす青々とした葉桜の傘が逞しく、ぼくはその脇に立って只管失い続けるのだ。


 誠実さについても考え続けている…もうそこには、ほとんど絶望しか残っていない。ぼくはその絶望を丁寧に掬い取っては、背後に撒いて捨てていく。重油のような絶望はひどい臭いを立てているけれど、ぼくはもう慣れた。それはまさに習慣の勝利であった。その具現のさなかにありながら、ぼくは表情を崩すことも無く、ただ誠実さと言う概念が絶望に浸食されていくことに欠伸をしている。

 そこには誠実さは有り得なかった。それはぼくには驚くべきことだった。また別の場所を掘りはじめなければならない。ここには誠実さはなかったのだ。


 抽象的なことばかりである。けれども、本当の具体性と言うのは、しばしば抽象の究極のところに位置するのではないかとも考えられ得る。そうではないか?少なくともぼくはそう考えている。抽象論はひどく苦しいものだ。けれども、その苦しみこそがぼんやりとした輪郭にはっきりとした陰影を与えるのだ。少しずつその姿が白日の下にさらされ始めている。確かにそういった感覚を持っているし、かならずや、今年の終わるまでにはその全貌を把握しなければならないと、ぼくは切実に望んでいる。焦燥は不要だ。

2014/04/05

記録3

第一志望の企業から内々定をいただいた。通過のたびに、或いはフィードバックのたびに人柄を評価されて、なかなかそんな経験これまでになかったから、うれしかった。
少しは自分に自信を持てたかなあ。

2014/04/04

記録2

昨日の雨が過ぎても、桜はまだ残っている。ぼくはぼくの気持を伝えようと思う。更には、これまでの自分をきちんととした目で認識し、それを表現することに努めたい。強く屈強で、尚且つ弱さも認める意志を持つことだ。これからのぼくをきちんと見つめる。

2014/04/01

記録

強い意志を持つことだ。タフであれ、しかしタフなだけでは足りない。強く屈強で、尚且つ弱さも認める意思を持つことだ。春の明るさに負けないように、ぼくはきちんとしようと思う。

2014/03/10

風立ちぬ、いざ生きめやも

 思いに耽ることが少なくなった。夜を徹してもがき悩む日も無い。その代わりに、日中、断片的な考え事が過ぎていくことを感じる。都営三田線のホームの上を乾いた風と一緒に、何かしらの考え事が流れ去っていく。中央線の改札口を通る刹那、背後に重要な考え事を残してきたような気がする。その煮え切らない感覚がどうにも気味悪く残っていて、そのどれもに残る惰性みたいな匂いがぼくのスーツに少しずつ、染みついていく。いつだって残るのは匂いだけだ。
 コートの襟もとから胸の部分にかけて、彼女のファウンデーションがついた。それをぼくは落とさずに着ているから、傍から見ると少し汚れているように見えるかもしれない。けれどもぼくにとってそれは汚れではない。

 思いの断片が剥がれては上空に昇っていく。それは妙な感覚で、少しずつ自分が剥がれ落ちていくような気持でいる。無理に自分を捻じ曲げて、その力に耐えきれなくなった皮膚が裂けては失われていくのだ。けれどもぼくには分かっている。それは仕方のないことなのだ。誰かを愛そうとする限り、人はそのようにして妥協を強いられる場合だってある。或いは意志とは関係なく、愛するたびに失わねばならないケースも往々にしてある。そういうものだ。

 久しぶりにゆっくりと考えている。無論、本来であればそんな時間はない。ようやく履歴書を書き終えたところで、明日はまた5時過ぎには起きなければならない。ある企業についての勉強も済まさなくちゃならないし、正直のところ、最早うんざりさえしない。「スイッチを切れ」という言葉を思い出した。ぼくはスイッチを切ろうとしている。焦らなくていいのだ、また付け直せばいいのだから。いつだって本質を忘れてはならない。スイッチの位置は覚えておこう。それは決して難しいことではない。慣習は失われない。確かに少しは埃さえかぶってしまうかもしれないけれど、スイッチの位置は変わらないのだ。思い出してきちんとつけることができれば、すぐにぼく自身は取り戻される。

 彼女のことをぼんやりと考えている…トマトジュースを一口含んだ、さほど美味しいものではない。ぼくは彼女の何を好きになったのだろうか。耳だろうか?胸だろうか?首だろうか?脚だろうか?何なのだろう。それはひどく難しい質問だった。どうして難しいのだろう、それはごく自然のことのように思われるのだ…つまり、ぼくと彼女とが同じ場所にいるという事実について。

 毎日は悲しいものだ。これはぼくが二十年余りを過ごす中で見出した最大級の発見のひとつだ。人生は悲しみで満ちている。けれどもそれは落胆するべき事実ではない、なぜならば、悲しみというのはごく当たり前にそこにあるものだからだ。ぼくたちは悲しみと親密である必要がある。それを避けようとするのはある種の背徳だ。

 だからこそ、ぼくは耐えることができる。彼女がここにいなくって、それがたとえやりきれないほどに悲しい気持にさせたとて、ぼくは大丈夫なのだ。悲しいことはまともである証拠だ。彼女がここにいないことに、肩を落としてため息をつくことは、ぼくにとっては確認のひとつにもなりうるということだ…勿論それが懐疑の解決になることはない、懐疑というのは断続的に続いていくもので、ため息をひとつつくというのは、結局のところその間に一つの関節のようなものを形成するにすぎないからだ。懐疑は新たな懐疑を生む。しかしそれを認識できるということでさえ、そんな些細なことでさえ、今のぼくにとってはすごく意味のあることではないか?

 認識こそが行動に先立つ。ぼくは今でもそれを信じているし、たとえその考えに反するような文言を吐いたとて、或いは動きをとったとて、それすら認識の上に成り立っているという自信がある。その自信さえ失わなければ、ぼくは永久にぼく以外にはなり得ないだろうし、その意味において、ぼくというのはやはりぼんくらのノウタリンなのかもしれない。

 諦めが肝心である。ぼく自身を慈しみ、あるがまま這いずるしか道はないのだ。