2017/02/19

考えることについて⑴

 大学を卒業して二年近くが経って、ゆっくりと物事について考えることが減ってきている。時間に追われることにも慣れ始めて、考えないということが苦しみを伴わなくなってきた。
 一方で、確かに学生時代のぼくは、考えることを重んじていた。言うなれば、考えることに対して異常なまでの執着を持っていた。人に曰く、「病的」なまでの執着だったそうだ。
 今でこそ、考えることから離れた生活に違和感を覚えなくなったが、その執着していた自分を確かに記憶している。そうして、そこまで拘泥したことには、おそらく何らかの意味があったはずである。とすれば、このまま「考えること」から遠ざかり続けることは避けなければならないのではないか。つまり、意識的に考えることに立ち戻る必要があるのではないか。と、そんな風に考えた。
 考えることとは、学生のぼくにとって何だったか、今一度思い出してみたい。
 
 思うに、ぼくにとっての「考えること」は、文章を書くこととあわせて生まれてきたことのように感じている。
 中学一年の終わりにイギリスに渡り、二年余の間、ぼくは海外での生活を過ごした。学校には千人を越える生徒が在籍していて、そのうち日本人はたったの数人しか居なかったから、必然的に、日常は英語に囲まれ、自身も英語を用いて暮らしていた。
 英語は決して退屈ではなかった。今でも思うけれど、語学には比較的肌が合っているようだ。
 一方で、やはりストレスというものもあったのかもしれない。自分の表現に対するジレンマからか、ぼくは自然に、日本語で文章を書くようになっていった。それは日記のような形式をしばしば取っていた。そして、取るに足らない内容のものがほとんどであった。
 文章を書くということは、自分の考えをある一つの形式にまとめあげるということである。暮らしていくにあたって、考えは漠然としていてもある程度は許されるが、これを文章にしようとすると、少なからずはじめから終わりまで、一連の流れを持った形式を取らざるを得なくなる。文章を書くようになって、ぼくは物事について考えるようになったようだ。それまでは散り散りに浮かんでいたアイデアが、文章という形をとるために一カ所に集められて、パズルのように前後、左右、上下に組み合わされて、より印象的なものになる。考えることの喜びを知るまでに、そう長い時間はかからなかった。
 文章にしたイメージの中で記憶に残っているものがいくつもある。そういったものは実際の自分の経験と比べても全く見劣りしないほどに、強烈なインパクトを持っている。これは不思議なものだ(経験について考える上でのひとつのヒントになる)。

 経験について少し書くと、ぼくには、経験というものがとても脆いものに見える。そのひとつの根拠が、たったいま書いたように、自分の経験とは別にイメージしたものが、経験と同等の、あるいはそれ以上の影響を自分に齎すケースが少なくないからである。

 行動の根拠になるものは認識だ。認識とはつまり、精神性といってもいいだろう。けれども、行動が認識の根拠に即ちなるかと言えば、これは少し違うのではないかと思う。つまり、認識と行動というのはしばしば表裏一体であるかのように論じられるけれど、実は違うのだ。認識は行動を包括しうるが、逆はあり得ない。従って言えば、自らの行動や在り方、つまり方法を決定する根拠として、経験を置くというのは、邪道である。
 勿論、経験は認識を養う上において重要な要素になることは間違いない。けれども、ぼくの思うに、あまりにこれが絶対視されすぎているのではないか。端的に言えば、現代社会において経験は盲目的に信仰されていると言ってもよい。これはあるまじき姿だ。

 経験というのは即時的に有効なものではない。経験に何かを加えることによって、そこから滲み出てくる副次的なものが、はじめて有意義なものになりうる(ならない場合もあるし、それは寧ろネガティブなものかもしれない)のであり、まさにこの加えるべき「何か」こそが個々人の認識なのだ。同じ場所、同じ時間にまったく同じ出来事に遭遇しても、誰がそこにいるかによって影響が全く異なるのはこのためなのだ。つまり、成熟した認識の前にこそ、経験は意味を生むのである。

 ここからも明らかであるように、認識は経験に先立つものであり、然らば、認識を正しくさせる上においては、経験だけでは足りない。いや、敢えて言えば、経験がなくとも、認識は正しくあり得る。想像することが大事だ。

 いずれにせよ、ぼくは文章を書くことで考えることを始めた。帰国後、高校生になると、書くことに加えて、読書もするようになった。古本屋に通ってはありとあらゆる文章を読んで、影響を受けた。あるとき、これはもう十年近くも前なのにありありと思い出すことができるけれど、カミュの異邦人を読み終えたとき、ぼくは、死に近づいていることを感じた。翌日学校で同級生のNに「本を読むことで死に近づいているように思うんだ」と告げると、彼はおれもそう思うと言った。Nはよく本を読む男だった。
 ぼくは文章を書き続けた。
 浪人時代に、人間について考えた。ぼくは芥川龍之介の晩年作を中心に、相も変わらず古今東西の小説を読み続けていた。どうして人間について考えたのかは思い出せないが、とにかく考えた。
 ぼくが至ったのは、相対的な表現にしかならないけれど、「人間とは考える生き物だ」ということである。
 人間の脳の特徴は、高度に発達した大脳新皮質だ。人間を人間たらしめているのは、まさにここであると考えた。この大脳新皮質は人間の理性を司っている。人間には洗練された理性が備わっていて、逆を言えば、人間以外に、この理性を持っている存在はない。すなわち、人間らしくあるということは、理性を発揮することに他ならない、とぼくは確信したのである。今思えば、これはその後のぼくにとって大きな発見であった。受け売りではなく、自らの認識の上に立って触れた、唯一無二の発見であったかもしれない。それが当時のぼくにとって衝撃的であったかそうでなかったか、ぼくはもう思い出すことができない。

 理性の発揮とは何か、それはまさしく「考えること」だ。パスカルの有名な一文の真意について、ぼくは如何なる立場も取らないが、いずれにしても「考える」ことが人間の能力であるのと同時に使命であることは、間違いないのではあるまいか。

 ぼくの理解について記すための一助として、中学時代に与えられた一文を思い出しておこう。
 当時ぼくは十三歳、中学一年の終わりに渡英したことは前述したが、ぼくは二つの学校に通っていた。平日は現地校に、それと共に、毎週土曜には日本人補習校にも通っていたのだ。初めての登校は時期もあって春休み直前、日本でいう学年末の最終日であった。当時中学一年の担任はI先生という男性であった。彼は何年かその学校に、本職の傍ら勤めていたそうであるが、たまたまその日を最後にアメリカに渡ってしまった。そのため、ぼくは彼とは、その日にしか会ったことがない。
 彼は一日の最後に、黒板代わりのホワイトボードにある文章を書いた。

「本質を見よ」

 そうしてぼくらの方に振り返り、本質を見ること、これを大事にして下さいと言った。ぼくたちは(あるいは少なくともぼくは)理解が出来なかった。それでも、今も鮮烈に思い出すこと出来るのは、やはりこの言葉に大きな意味があり、それを当時、ぼんやりではあれ、感じ取ったからだろう。今になって思うのは、これこそが考えることの真髄であるということだ。まさしく考えるということは物事の本質を探求することに相違ない。

 考えること、本質を見ることこそ、人間として正しく在るための方法なのだ。

 戻るが、高校時代の級友Nとぼくとは、当時、十七、十八のころに「本を読んで死に近づく」感覚に触れた。人間は考えるものであり、即ち人生が考えるための時間であるとすれば、考えることは人生を過ごすことである。死に近づいている実感、これは小川の流れに手をひたしたように冷たかったはずだ。まさに実感であった。ぼくたちは肌で人生を感じたのだ。生が少しずつ死に向かっていくことを、感じたのである。


 考えることについて記した。続いて、考えることの具体的方法論について書く必要がある。今まで書いたことは、読めばとても抽象的な論に過ぎない。生来的に人間が考えなければならないというのは、前提論だ。しかし考えることによって何が齎されるのか、考えるというのはどういったことなのか、翻って論じなければ、ぼくの考えることに対する執着を改めて説明できたとは言い切れないだろう。感覚をきちんと文章にしてみよう。それがまさに理性的な生活であるはずだからだ。思いがけず、これはぼくにとってある種人間としてのリハビリと化しているのかもしれない。

2017/01/22

大寒

 あ、と、声ならぬ声が、乾いた喉の奥から鳴った。朝方抜けていた青空は藁半紙のように黄ばんだ薄雲に隠されて、私は喫茶店から部屋に戻り、ジーンズを脱いで毛布にくるまっている。ふと思い立って、かつてよく聴いていた音楽を流しながら、ベッドの中で文章を書いている。もう六年近くも前のこと、震災のあった直後、ぼくは湘南のアパートの一室で、家具も揃わないうちに音楽をかけて過ごしていた。大学の入学式が震災の影響でひと月遅れることが分かったのは部屋の契約を済ませた直後だったために、上京を遅らすことも出来なかったのだ。私は故郷を離れてリュックサックを背負い、新横浜で乗り継いで部屋にたどり着いた。

 過去にとらわれることについて、また、過去そのものについて、古今東西津々浦々の人々は考え表現し評価してきた。少なくとも私の周りにおいて、昨今の傾向として、過去にとらわれることは弱さに負けていることであり、かつ負けてしまっては不可ないという前提がある以上、それもまた不可ないことであるとされがちである。

 しかし私はずっと、それは入学前、薄暗い部屋で本棚を組み立てていたあのころよりもずっと前から、過去についてあえて執着してきた。何故ならば現在の(この文章を書いている時点での)私とは、それ以前の(つまり例えば、毛布に潜るまでの全ての)過去の積み重ねであるからだ。こういった趣旨の文章弁論をもう数えきれないくらいに繰り返してきたが、自分について考えることは、とりもなおさず過去について考えるということなのだ。然らば過去とは蔑ろにしてよいものか?勿論駄目だ。だから私は、過去の音楽を聴くのだ。

 まあよい。大学を出て二年近くも経つとは思えないが、しかし確かに時間は過ぎていったのだ。


 何も今の状況に満足していない訳ではない。むしろ大変満足している。しかし心のどこかでは、何か煮え切らないものが瘡蓋のように張り付いていて取れない。それは容易には表現のしようもない、わずかな違和感が幾重にも凝固して慢性化したような、気怠いものだ。目にも見えなければ、直接的に感じることも出来ない。

 私は如何したいというのか。


 確固たる意思もないままに毎日を徒に過ごしている。くそ、こんな文章を書くつもりではなかった。如何してしまったというのだろう。昨晩はローマの休日を十余年振りに観た。面白かったが、面白いだけであった。

2016/10/29

芦川

「流れのあるところに、ある日澱みが生まれる。原因はいろいろあるだろう。上流からやってきた泥が堆積したのか、川岸からもたらされた植物が絡んで滞留しているのか。いずれにしても澱みはふつう、ある程度の範囲に限定され、それ以上は広がらない。けれどもおれの場合は違った。澱みはその川に目一杯広がって、やがて澱みでさえ無くなった。それは沈黙だ。上流側で川は溢れて土手を越え、付近に被害を及ぼした。一方下流側では当然水が枯れ、生態系に異常を来した。誰も予想はしていなかった、それは大きな川ではなかったからだ。ナイルや長江のような川なら分かる。でもそうではなかった。それにも関わらず、おれによって、間違いなく環境が損なわれてしまったのだ。もちろんこれは比喩だ」

 芦川の言うことは全く分からなかった。具体的な物事を表すために、わざわざ視点を手前にうつしてぼんやりとした場所から語ることはしばしばある。けれども芦川の表現はいつもぼくを混乱させた。ぼくに感じられるのは本当にわずかな部分だけで、それはほとんどの場合、彼が何かに苦しんでいるということだけであった。

 ぼくは自分のことを本当に平凡な人間であると思っている。理由は簡単で、これまで親しくしてきた人間のことがヘンテコに見えたからだ。彼らに比べてぼくはいつも至極まともな人間であった。しかし芦川はいつもぼくのことを「おまえは変なやつだ」と言った。ぼくからしてみれば、芦川の方がよっぽどおかしな男なのに。

「沈黙だ、分かるか」

「分かるわけないよ」

「いいんだ。サウンド・オブ・サイレンス。おれたちはまだ十八なんだ」

 ぼくたちはまだ十八であった。高校三年の夏、受験勉強をしないで、ぼくらは東北一周を敢行していた。夜行バスで名古屋から新宿に向かい、上野を出発して青森駅を目指した。鈍行の列車に揺られる間、ぼくらはいろんなことを話したものである。八月のはじめ、ぼくらはまだ十八になったばかりであった。

 芦川が澱みについて話したのは、青森でねぶた祭を観た二日後の早朝、新潟市の民宿を出発して駅に向かって歩く途中だった。その日は旅の最終日で、十時間余電車に揺られて長野県を突っ切り、名古屋にたどり着くというスケジュールだった。晴れていた。真夏の日差しがぼくらに注いでいた。

「おれたちはまだ十八なんだ」その言葉からもう、七年も経った。


 ぼくら二人は大学受験に失敗し、お互い別々の場所で一年間浪人生活を過ごした。芦川は京都大学に、ぼくは慶応大学に進学した。連絡は今ではほとんど取らなくなったが、ときどき会う。前に会ったのは…そう、もう二年近くも前だ。ぼくは就職を控えた最後の春休み、芦川は劇団を立ち上げる構想を練っている頃だった。二十三歳。東京駅から少し歩いた大衆居酒屋だった。


 





2016/06/18

芝生のイメージ

 十年間も彼の中にはあるイメージがあった。それは芝生のイメージである。
 中学の頃、異国に暮らしていた彼は、ある日そのイメージを感じた。彼はそれを円形の芝生と呼んだ。春の晴れた日、田舎のサンルームで外の風景を眺めていた時のことであった。
 円形の芝生は直径およそ2メートルほどで、それなりに青く綺麗に整っている。そしてその上に彼自身が一人立っている。芝生と、その上に立ち尽くす彼以外には、そこには何も無い。これがとても重要である、本当に何も無いのだ。例を挙げれば、上下や左右さえも、無いようだ。
 イメージが浮かんだと思うと、彼から何かが零れ落ちる。足下に落ちる。それをぼんやりと見ていると、また別のものが、彼から芝生へと落ちる。それを拾う気配はない—拾い上げることが困難であると、彼は分かっているからだ。
 落ちたものは、何に導かれてか、少しずつ、芝生の端に向けて転がり始める。そうして等速的に動き、不自然さや感慨を一切感じさせることの無いうちに、芝生の外へ、淵へ、落ちていく。彼から次々にあらゆるものが落下し、それらは順に転がり、雨のように外へ居なくなる。

 彼は失い続ける。そこには表情は無いが、悲しみがある。無論、これはイメージの浮上と同時にそこを支配している悲しみのことであり、感慨とはまた別のものである。彼の悲しみに対する態度―つまり、悲しみは普遍的なものであり、発生や消滅にとらわれない類いの、全てに含まれるものであるという態度―を築いたのはまさにこの事実であった。悲しみとは水である。姿形を周期的に変化させながらも、総量は絶えず潤沢で欠落せず、必ずそばに存在している。
 彼は失い続ける。十四歳の彼は直感した。おれは失い続ける存在である。そうしてこう見ると、芝生の上の彼は失われ続ける存在でもあるのだ。不安や恐怖はなかったが、諦めに似た考えが、悲しみを肯定する上では不可欠な要素ではあった。

 祖国から遥か離れた異国の田舎で、彼はよく散歩をした。少し歩けば、広大な芝の大地を眺めることが出来た。地平線の向こうまで、果たしてどこまで広がっているのか分からない。北の太陽に照らされて、春の海のように青くうねる美しい芝に、点々と孤独な羊たちが暮らしていた。偏西風に押されるように南西からやってきた風は心地良かった。彼はそういった場所で、十代前半の日々を、余りある時間の中で過ごした。

 喪失のイメージ。二十五を前に、そのイメージは全く色褪せようとしない。ぼくは失い続けている。失い続けていく。そして失いきった時にこそ、全てが終わり、別の何ものかが生まれるのであろう。その間にも悲しみは離れずそばにいるはずだ。これはあるいは、逃避や信仰に準ずる理なのかも知れない。彼は知らず知らずのうちに、悲しみに対する妄信に侵されていたのかもしれない。しかし仮にそうであったとしても、それは仕方の無いだ。問題にはならない。
 彼は金曜夜九時の列車の中で考えていた。大きな矛盾である。失い続けているのに、得ようとしているのである。これは不思議なことだ。もちろん、得るという行為そのものには、失うという性質も含まれている。けれども、行為そのものではなく、それに対する精神性の位置づけがうまく出来なかった。得ようとすること、とは何なのか。いまのところでは、彼にはそれを動物的な、即ち非人間的な、非理性的な場所にしか根拠を見出すことが出来ていない。汚らわしく、不自然なことである。人間が「得よう」と四苦八苦する様子は、何とも滑稽で無意味で、むしろ罪深きことであるように見えるのだ。

 一方で彼は確実にその中核に居た。大学を出て就職をして、働いていた。芝生のイメージと、得ようとすることを、同じ場所に置いている。いまはまだ無事かもしれない。しかし、やがてその何れかを手放す必要が出てくるかもしれない。いや、これはほとんど分かりきったことであった。少なくとも自分という枠組みの中で起こることについて、人に想像できないことなどない、というのは彼の持論である。先のことだから分からない。などということは起こりえない状態なのだ。従って、彼にはどちらか一方を選ぶ必要があり、どうやらそのタイムリミットはそう遠くはない場所にあるようだ。

 芝生のイメージは十年間も彼の中で流れている。音楽のように、風のように、イメージは彼の内部に映し出されている。

2016/04/09

切れぬ堰

 キーボードの前に座って一時間が経過したが何も書けない。季節が変われば、雪解け水のように山間部から冷たく透明に澄んだ心地良い水が流れてくるはずだと信じていたが、まるでそんなふうに上手くは行かない。上流では分厚くこわばったままの氷がごろごろと転がっているに違いない。しかし私は遡上も叶わず、河口でじっと待ちわびることしか出来ないのである。吃りのようだとも思ったがそれよりもずっとひどい。

 毎朝、薄暗い部屋で目を覚ます。シャワーを浴びて髭を剃り、髪を乾かしたら歯を磨く。決まって同じ順番を辿る。それから肌着、ワイシャツを着て、ネクタイを締める前に髪にワックスをやる。朝食は食べない。二日にいっぺんほどの頻度でお茶をグラスに一杯飲む。セーターを着て背広を羽織る。靴下は最後だ。風呂場の換気扇を回したことを確かめて、玄関を出る。

 ぼくはとりとめも無い思いの中、毎日会社で働いている。かつてはこういった思いを拾い集めて観察し、描写することが出来た。今では出来ない。出来ないから、本当に「とりとめも無い」思いなのだ。どうして出来なくなったのかは分からない。能力が無くなったのか、時間が足りないのか、体力が落ちたのか。分からない。時間の経過はあまり関係がないように思っている。いずれにしても、ぼんやりとしていて掴み所に欠く、靄のような感覚が常に頭に擡げている。胸焼けのようでもあり、眠気のようでもある。疼痛でもあれば、むず痒さでもある。よく分からない。ぼくには以前、たくさんの分からないことがあった。少しずつ分かるようになってきたが、ものによっては、それが見えたからこそ、それよりもずっと多くのものが見えなくなってしまうような性質を帯びている。そうしてこの性質を帯びているものが、実はとてもたくさんある。これは厄介である。だからと言って、見なくていいわけではないと思う。本筋は、それで見えなくなってしまったものも探し直して、隈無く照らして理解することであると思っている。そう、これはとても骨が折れるし、時間がかかるし、疲れてしまう。しかしね、そうやって考えることで、立体的に物事を捉えられるようになると思うんだ―などと書いてみたところで、やっぱりぼくにはなんにも見えないのである。

2016/01/23

小雪の土曜、悲しい土曜

 昼過ぎに少しだけ雪が降った。先週借りたDVDを返しに出た帰り、本屋に寄ると窓越しに降るのが見えた。水気の感じられない、散り散りにされた羽のような雪は、風のない今日の大気の中、十分な時間をかけて舞って落ちた。ぼくは車に戻ってエンジンをかけ、少しの間、サイモンとガーファンクルを聴きながら、それらのトラックにまつわる自分の記憶を、ほとんど無意識のうちに辿っていた。冬にうってつけの音楽だ。

 車を買った。

 時間は過ぎていく。オブラディ・オブラダ。



 小説を書こうと決めた。理由はいくつかあると思うのだけれど、それをわざわざリストアップしたことが無いから、いくつあるのかは分からない。ただ、十二月、名古屋駅を一人で歩いていて、思い立ったのだった。今なら書けるんじゃないだろうか。雑踏を見ながらそう思ったのだ。

 しかし問題がある、ぼくはビートルズを聴き始めて十年以上になるのだけれど、それと同じくらい、ずっと前から小説を書きたいと思い続けていて、それでいてまともなものは一つも書けたためしがないのだ。

 今度も同じだった。断片的な文章がいくつも出来上がった。何人もの女の子が出て来て、何人ものアーティストの音楽を聴いていた。鉛筆で書いたものは雨で濡れてふやけてしまったし、スマートフォンで打ち込んだものは、SNSの下書きに保存されたまま読み返されることさえなかった。ぼくは混乱し続けているのだった。やるせない気持ちはもう、十何年来ぼくのへその辺りに堆積し続けて決して排泄されようとしなかった。酒を飲んでもセックスをしても飽きるほど寝ても痩せるまで風呂に浸かっても一緒であった。



 コーヒーを飲み終えてしまった。ここから出なくちゃならない。ぼくにはもう何も書けないのだろうか?それは恐怖であった。もうずっと、書くことに依存してきたし、書くことでぼくは成り立っていたのだから。書けないとするならば、今のぼくはいったい何者なんだろうか。自分でさえ分からないのだ。散漫なアイデアが良くない風向きで行ったり来たりしている。雑多な紙切れがノイズみたいに駅前のロータリーをランダムに撫でている。ぼくは文章を書きながら苛立つようになってしまった。白髪の老人が憂鬱な目で週刊誌を見つめている。

2015/08/04

熱帯夜の曳航

 大学を卒業して会社員になってから、4ヶ月余が経過した。本も読むことも映画を観ることも、凡そ音楽を聴くことさえも止め、ここのところ日々を過ごしている。無論文章を書くことも無い。以前のような考え事に苛まれることもない…苛まれる、という表現をしてしまうあたり、あたかもぼくは駄目になってしまったようではないか。こう、文字を打ち出してみても空咳のように頼りなく、頭に塵の冠ったようなぼんやりとした心持だ。それでも毎日は過ぎていくし、確かにぼくはキャリアを積み上げている。この乖離感、即ち自分の中に感じられる妙な空しさと、一方で周りから受ける叱咤や礼讃なぞとの間に横たわる、抗い難きズレが、ぼくを捉えている。

 ぼくはかつて学生であり、そうして今は会社員である。しかし、思うに、本質的にこの両者には違いがないように思われる。生活習慣にはかくも大きな隔たりがあるにも関わらずである。

 ただ、唯一挙げるとすれば、社会人として、ぼくはある程度重層的である必要があるだろう。これまでのように通り一遍の在り方では駄目だ。
 ある一面では(社内にあって主で)情熱的であり、また一面では(社内であっても場合に依っては)鳥瞰的である必要がある。二面では事足りない。そのバランスの中で揺蕩うようなイメージが求められるように感じる。ぼくはデスクの付箋を眺めながら、そう考えていた。

 できるだけ本は読み続けたい。暑い日が続く。