2020/05/11

春の実感

 在宅勤務が続く。分厚く塗りたくった真っ青の油絵のような空模様はまるで夏を急いでいるかのようで、ぼくはもう先週末から半袖で、東京じゃ30度を記録したらしい。窓の外では緑の木々がその豊かな葉を揚々と揺らしている。風は甘く香るほどに穏やかで、緊急事態宣言を受けて不思議なほどに閑散とした街並みは心を落ち着かせてくれる。

 病はよくわからないままにぼくの身体から去りつつある。体重は結局8キロ減少したまま戻らない。妻は、元気になったら戻るものだと思っていたと言った。おそらく、在宅勤務のせいで夕食を早い時間にとれるようになったこと、食事の量が以前よりも減ったこと(多く食べない期間が長くなったことで胃袋が縮んだのかもしれない)、そして何より酒をほとんど飲まなくなったことがその理由であると思う。

 とにかくぼくは大学を卒業して以来5年かけて着実に身につけてきた体重をほろんどすっかり落としきってしまった。

 酒は3日にいっぺん、ビールかハイボールを一杯飲むかどうかという程度までに減った。従前は週末になれば大酒を飲んでいたが、その習慣も失われた。実は恢復したあかつきにはきっと心ゆくまで大酒をあおってやろうと気張っていたのだけれど、いざ酒を飲んでみると、それ以上にほとんど欲さなくなってしまっていたのだ。すこし寂しい気持ちである。

 最近はハウスメーカーとやりとりをしている。家を建てるつもりだ。酒を飲まなくなったことは、つまりぼくから金のかかる趣味が失われたことを意味する。家を建てようとするのなら、まあ好都合と言えるだろう。妻も必要以上の贅沢を好まない人なので、ぼくらの健全な生活は比較的、持続可能的なものであると言える。

 横浜駅の東口を出て少し歩くと郵便局があって、それを横目にもう少し暗がりに向かって歩いて行くと、三角地に古い二階建ての建物がある。裏手に回るとロック・バーが構えている。その店を出て、桜木町まで歩いたことがある。深夜だった。電車がなかったから、仕方なくぼくはその女性と歩いた。真夜中、季節は夏の終わりだったと思う。じめじめしていたと思う。首都高を見下ろしたことを覚えている。酒の回った目を細めると、ヘッドライトが糸を引いて美しかった。横浜美術館の正面は広くひらけた土地で、深夜そこに居ることは、とても妙な感覚を齎した。濃い藍色をした、密度の高い暗闇が、沈黙を条件に鎮座していた。ぼくらは美術館の正面玄関の目の前に立ち、振り返って、その暗闇と対峙した。どんな話をしたのかはあまり覚えていない。当時のぼくのことだから、小難しい話をしたんだろうと思う。音楽や文学の話、女性の話や人間の話を。
 しばらく暗闇を前にたじろいで、それからまた、港に向けて歩みを進めた。夜はいつまでも続くように感じられた。公園の芝に仰向けに寝転んだ。隣に女性も寝転んだ。ランドマークタワーが高くそびえていた。少し視線を落とすと、こと切れた観覧車が夜の門番を務めていた。横浜が夜の最も深い場所を、あたかも秘密作戦を遂行しようとしている潜水艇のように、静かに振動しながら、ゆっくりと動いていた。ぼくは少し汗ばんでいた。シャツの背中の向こうに芝の感覚を感じた。彼女がぽつりと呟いた。それはもちろん愛を意味する言葉ではなかったが、その音には愛を感じられた。時折高級車が視界の外で車輪の音を滑らせたが、たしかにその世界にはぼくと彼女しか存在していないようであった。ぼくはこの夜のことをよく覚えている。

 どうして春のこの日にそんなことを思い出したのだろう。

2020/03/22

病床にて

2月末に体調を崩し、一週間余りを療養に費やした。ほとんど完治が見えて職場に復帰し、一週間務めた週末、土曜の朝に、原因の分からない発熱がおこった。

それから早一週間が経ったが、原因はまだ分からない。毎日のように医者にかかり、痛い検査も繰り返したが、それでも分からない。放っておくと常に39度以上の熱が続いてしまう。原因が分からず対処法も分からないので、医者の指示通り、解熱剤を継続的に服用しながらどうにか高熱の時間をできるだけ短く抑えている。熱の下がっている間は体調はそれほど悪くない。むしろ散歩に出かけるくらいには元気である。しかし今度は、解熱剤の副作用か、口内におびただしい数の口内炎ができた。これはなかなか難儀である。食欲があるのに食べられず、話したいことも口をつかない。おまけに咽頭がずいぶんと腫れてきて、食事はおろか水分をとることにさえ苦痛が伴うようになってきた。

何しろ、この一ヶ月近くでぼくの体重は6kg以上落ちた。妻は体型だけで言えば今の方が理想的だと元気付けてくれた。

妻と子が元気であることが唯一の救いである。妻には本当に苦労をかけてしまっているから、必ずこの原因不明の病を治して、恩返しをしようと考えている。

入院には及ばないということで(まあそれはおそらく入院をしたところで原因が分からないのだから手の施しようもないということだろう)、ここのところは人生の大半の時間を自宅で、それもそのうちの半分以上を寝室のベッドの上で過ごしている。夜中から明け方にかけて体温が上がる。この間ぼくは何度か眼を覚ますことになる。はじめのうちこそこんなものかとやり過ごしていたが、長く続くと気が滅入る。ぼうっと熱を持った頭の中には夢とも妄想とも見分けがつかない、不可思議なイメージが繰り返し映し出される。

今日になってこんな文章を書こうと思ったのは、昼間、妻があまりに退屈そうで憂鬱そうなぼくを見かねてか、iPadを寝室まで持って来てくれたからだ。こんな機会滅多にないので、せっかくだから文章に残そうというわけだ。絶筆になるのではないかなどという嫌な感覚も一瞬頭をよぎったが、これを遺書のようなものにするつもりはない。ぼくは死なない。まだ死ぬわけにはいかないのである。どれだけの時間がかかってもこの病を完全に克服し、ぼくのために笑ってくれる人たちのために生き続けなければならないのだ。

あるいは、この熱源が分からない今の断面で上のようなことを書くのは大げさかもしれない。けれどもぼくはいま本当にそういう気持ちである。昨日、晴れた昼過ぎのウッドデッキで、庭を見ながらウクレレを弾いた。すると涙が流れてきた。ああ、ぼくはついに自分の命を、家族のために守りたいと思えるようになったのだと思った。ぼくは泣きながら何曲かを弾いた。黄色い蝶が柔らかい風に乗って飛んでいた。