病はよくわからないままにぼくの身体から去りつつある。体重は結局8キロ減少したまま戻らない。妻は、元気になったら戻るものだと思っていたと言った。おそらく、在宅勤務のせいで夕食を早い時間にとれるようになったこと、食事の量が以前よりも減ったこと(多く食べない期間が長くなったことで胃袋が縮んだのかもしれない)、そして何より酒をほとんど飲まなくなったことがその理由であると思う。
とにかくぼくは大学を卒業して以来5年かけて着実に身につけてきた体重をほろんどすっかり落としきってしまった。
酒は3日にいっぺん、ビールかハイボールを一杯飲むかどうかという程度までに減った。従前は週末になれば大酒を飲んでいたが、その習慣も失われた。実は恢復したあかつきにはきっと心ゆくまで大酒をあおってやろうと気張っていたのだけれど、いざ酒を飲んでみると、それ以上にほとんど欲さなくなってしまっていたのだ。すこし寂しい気持ちである。
最近はハウスメーカーとやりとりをしている。家を建てるつもりだ。酒を飲まなくなったことは、つまりぼくから金のかかる趣味が失われたことを意味する。家を建てようとするのなら、まあ好都合と言えるだろう。妻も必要以上の贅沢を好まない人なので、ぼくらの健全な生活は比較的、持続可能的なものであると言える。
横浜駅の東口を出て少し歩くと郵便局があって、それを横目にもう少し暗がりに向かって歩いて行くと、三角地に古い二階建ての建物がある。裏手に回るとロック・バーが構えている。その店を出て、桜木町まで歩いたことがある。深夜だった。電車がなかったから、仕方なくぼくはその女性と歩いた。真夜中、季節は夏の終わりだったと思う。じめじめしていたと思う。首都高を見下ろしたことを覚えている。酒の回った目を細めると、ヘッドライトが糸を引いて美しかった。横浜美術館の正面は広くひらけた土地で、深夜そこに居ることは、とても妙な感覚を齎した。濃い藍色をした、密度の高い暗闇が、沈黙を条件に鎮座していた。ぼくらは美術館の正面玄関の目の前に立ち、振り返って、その暗闇と対峙した。どんな話をしたのかはあまり覚えていない。当時のぼくのことだから、小難しい話をしたんだろうと思う。音楽や文学の話、女性の話や人間の話を。
しばらく暗闇を前にたじろいで、それからまた、港に向けて歩みを進めた。夜はいつまでも続くように感じられた。公園の芝に仰向けに寝転んだ。隣に女性も寝転んだ。ランドマークタワーが高くそびえていた。少し視線を落とすと、こと切れた観覧車が夜の門番を務めていた。横浜が夜の最も深い場所を、あたかも秘密作戦を遂行しようとしている潜水艇のように、静かに振動しながら、ゆっくりと動いていた。ぼくは少し汗ばんでいた。シャツの背中の向こうに芝の感覚を感じた。彼女がぽつりと呟いた。それはもちろん愛を意味する言葉ではなかったが、その音には愛を感じられた。時折高級車が視界の外で車輪の音を滑らせたが、たしかにその世界にはぼくと彼女しか存在していないようであった。ぼくはこの夜のことをよく覚えている。
どうして春のこの日にそんなことを思い出したのだろう。
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