2021/06/24

しなやかに生きる

 もう一月もすれば三十になる。ぼくは忙しく働いている。文章を書かなくなった。
文章を書きたいという気持ちは、以前のように持ち続けているつもりだ。常に持っていると言ってもよいだろう。そしてときには筆をとろうとすることもある。けれども書かない。理由は、いくつか考えられるが、厳密には分からない。
 今夜は、会社を出るころから、帰ったら何か書こうと考えていて、珍しく実際に、こうしてキーボードを打つことができている。
 余裕があるというわけではない。むしろ逆で、いつにもまして忙しい一日であった。夜中三時に息子の咳で目を覚ましてからろくに寝付くことができず、居間のソファで朝を迎えた。いつもより早く出社をし、いつも通り遅くまで会社に居た。帰りにはいつも通り古い音楽を聴いた。それはいろんなことをぼくに思い出させるが、もしかすると、その記憶の色合いや意味合いが、少しずつ、かつてに比べて変わってきているのかもしれない。
 そう、余裕があるわけではない。肉じゃがを温めて食べたあと、明太子と竹輪を肴にビールを一缶あけた。風呂に浸かってシャワーを浴びて、髪を乾かしながら、明日の仕事のことを考えた。明日は在宅勤務だが、タスクは山積している。
 ともあれ居間に降りてくると、少し、文章を書き始めることを躊躇った。何しろ疲れているのだから、音楽を聴いたり、漫才の動画でも観ようかとも思ったが、やはりやめて、2缶目のビールを冷蔵庫から取り出して、ソファに腰かけた。昨日タオルケットにくるまって朝を迎えたのと同じソファだ。ラップトップを開いて、サインインをして、昔の記事を眺めながら缶のプルタブを引いた。そしてグラスに注いだ。泡の音がした。シャッターを閉めた居間、外の音もせず、結句音楽を流すわけでもなく、時計の秒針の音と、泡の音だけがした。そして「しなやかに生きる」と打つ間、少しずつ泡の上る音だけが小さくなって、時計の音は硬いままであった。

 しなやかになんか生きたくはないと思っていた。つまり、まあこれは言葉の定義の話でもあるから大した問題ではないが、むしろそのイメージについて、ある種の嫌悪感を持っていたことは確かだ。響きはよいが、つまりは、小器用に、無難に、角を丸めて暮らすということじゃないか、と。

 ぼくにとって人生は何なのか、と、年甲斐もなく今でも時々考える。そして考える途中で別のことをはじめてしまう。

 若いころ、二十歳あたりのころ、ぼくにとって人生とはきわめて単純なものであった。考えることが即ち人生であった。思考即人生、人生即思考、てな具合だ。もちろん思考の対象は複雑怪奇を極める場合もあったが、しかしそれでもやはり思考対象は単純化されるべきであるという信念があった(これは今もそう思っているけれど)し、したがってぼくにとってぼく自身という存在は容易に説明可能であり、その事実はまた至極当然のように思われた。

 考えることが重要である、という思いは、今でも持っている。これはおそらく、ぼくにとってのある種の宿痾なのだろうと思う。しかし一方では、それだけではうまくいかなくなってきた。なぜか。それは、考えることをやめなければ、どうにも立ち行かないような場合があるからだ。これは偏に、学生時代とは違い、今の自分が社会的諸関係の一部に成り下がった(という表現すら今やぼくにとってはむず痒い)からである。しかしそれは決して自分の意志と裏腹なものではなく、むしろある程度は、予期できていた状態でもある。こうなることは分かった上で、職業選択の自由を行使したのだ。

 且つまた、家庭を持ったことも、大きな変化であったはずだ。妻がいて、子どもがいる。要は、自分を差し置いて優先すべき対象がいるということである。二十歳のころ、「自身とそれ以外」という二元的な世界であったのが、それとは別の存在がそこに登場したのだ。「自身でもそれ以外でもない」ひとたちがそこにいる、あるいは生まれる。暗い部屋の隅で座り込んで長い長い長い時間をかけて考え、そして築いてきた二十歳のころの自己と他者の世界が、その巨大で壮美であったはずの絵画が、雷鳴とともにひび割れ、地響きの中に塗料は剥がれ落ち、そして崩壊したのだ。

 しかしこれはぼくにとって、幸せなのだろうと考える。考え抜いて苦しみぬいた最後に辿り着いたからこそ、それは幸せなのだ。

 今、ぼくは結果して、しなやかに生きようとしている。若かりしころよりも退屈な人間になってしまったのかもしれない。確かに、四六時中自己を誇ることはできなくなってしまった。しかし自分や、自分の周囲にいる大切な人々のため、そして翻っては自分自身のために、時や場所に応じては自分に弾力を持たせることも大事なのだ。

 若かりしころ…若かりしころのぼくには、弾力を自己に持たせるという発想はなかった。それは、滅私することと同義であった。なぜならば、二元的な世界にいたからだ。ぼくはその城の中を歩く靴音の反響を聞きながら、あるいは外からその壁を眺めながら、その美しい、見事な造形に酔いしれていた。それは見事な城であった。しかしだからこそ、その城を賛美するか、否定するか、そのいずれかにしか、結論を見出すことができないでいたのだ。

 当時の自分を否定するつもりは毛頭ない。否定するどころか、ぼくは今でもその聳える城壁を夢に見るのだ。そして目を覚まし、髭をそりながら、記憶を辿ってその土地まで歩んでいく。しかしそこにはもう城はない。その土地は今や、僅かな瓦礫が風に吹かれている、ただの城址に過ぎないのだ。ぼくはネクタイの結び目を絞りながら夏の暑い太陽を見上げる。然しぼくはしなやかに生きていくのだ!後ろめたさはない。

 それは見事な城であった。いずれ、その憧憬すらも抱けなくなるのかもしれない。だからこうして書くことには意味があるのだ。あるいは当時のぼくは、不健全であったのかもしれない。妻は二十一歳当時のぼくのことを、病的であったと振り返る。頬はこけて影が差し、目の周りはどうしてか黒ずんでいた。そうして森羅万象を語るさまは狂気的であったと言う。確かにそうであったのかもしれない。けれども、それは本当に美しい世界であったのだ。

 しなやかさと美しさは両立するのか。ぼくは両立すると信じている。この先時間をかけて、少しずつでも考え続けていくのだ。以前のようにはいかないだろう。脳みそは錆びつき、実際的な問題や関係性は手枷足枷に他ならない。けれども藻掻きながらも、やはり思考をやめてはいけない。止める瞬間があったとて、それは思考の末の無思考でなければならない。無思考を習慣にしてはならない。そうして努めて意識することが、きっとぼくの人生を長く続けていく意味にもなるはずだ。老いた先に、去り行く古城の記憶を遠くに見据え、新たなる城を見出すことができるはずだ。

 今でこそ蜃気楼のように映る、まだ見ぬ城を目指して、時折こうして、青春を振り返ろう。しなやかな日々の中で。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿