夢の中で、しゃくりあげて泣いた。蹲って頭を地面にこすり付け、どうにももんどりうちながら只管声をあげて泣いた。理由は忘れた。空は曇っていて、何やら工場のような場所にいた。仲間が二人寄ってきて(誰であったのか覚えていない)、ぼくの背中を撫でた。ぼくは頭の中で熱い鉄球がごろごろと動いているのを感じた。それは確かに、熱せられた鉄球であった。ぼくの頭は内側から熱を与えられ、衝撃を受けた。眼球の裏の視神経を刺激し、首元の背骨にも震動は伝わった。寒くはなかった。ただぼくは半ば痙攣して涙を流し続けた。鉄球を冷やすために。
*
ぼくがぼく自身であるということは、例えば、誰かに腹が立ちそうなシーンにおいても、自分はきちんと自らの立場を見失わないということだ。腹が立つのは、自分が相手の土俵に立つからだ。すなわち、聞こえの悪い言い換えをすれば、相手のレベルに合わせるということだ。それでは気に食わないこともあろう。
期待をしないことだ。距離をきちんと計ること。『必要なものは感性ではなく、ものさしだ』と極端な文章もあるほどだ。ぼくは人との、或いは物事とのあいだに横たわる距離を慎重にはかることで、彼らとの関係に最大限の効果を求めようとしている。人と関わることで、ぼくらはそれぞれの思想に栄養を与えあうことができるのだ。
所詮、他人なのだ。こういうとひどくぼくが人でなしのように響くが、けれども事実だ。第一、自分でもなお大して把握できているわけでもないぼくという人間について、ほかの誰かが理解し尽くすことのできるはずがなかろう。然れば仲違いのきっかけはそこかしこに転がっていて当然なのである。かくして、ぼくは彼らを大切に思うが故に、彼らとの距離を一等真剣に考えるわけだ。
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髪を切った。寒い。
2013/12/16
流れ星
横浜のバーでマスターとだべって、少し酔いながら電車に揺られ、部屋へと続く最後の坂道をゆっくりと上っていると、向こうの夜空で流星が一筋降った。先刻ふたご座流星群の話をしたばかりで、ぼくは何とも言えない気持ちになった。道の真ん中で立ち止まり、ぼうっとその残像を追いながら、ただ彼女のことを思わずにはいられない。夜の澄み渡った空気がぼくには痛いくらいで、無意識に漏れ行く霞んだ白い息が、街灯に照らされながら電線のあいだをすり抜けていくのが見えた。
部屋に戻って音楽をかけて、風呂を沸かして本を読んだ。読みなれた一節に目を通しながら、やはりぼくは思い出す。良い文章というのはそういったものだ。物語の情景の中に記憶があいまいに溶け込んでいて、その文末に向けて追うごとに、自然に、ゆっくりとぼくは思い出す。古いロックがかすれた音をレコードに鳴らして、ぼくはますますウイスキーを飲みたいと思った。けれどもひとまずは風呂に入ることが先決だ。ぼくはクリスマスのことを考えた。喜んでくれるだろうか。
中学生のころ乗った観覧車に乗ろうと言った。彼女は電話越しにいいねと笑った。十三の頃、別れの直前に、ぼくらは近所にぽかんと浮かぶ観覧車に乗ったのだ。今でも鮮明に覚えている、と彼女は言った。ぼくもだ。ぼくらが一言も言葉を交わさなかったという記憶も一致していた。恥ずかしかったのだろう、そういう恋愛であった。ぼくはイギリスに渡って、彼女は日本に残った。何も分からないころの話だ。けれどもきっと彼は、いまと同様、いろんな下らない、果ての無い思いを巡らせていたに違いない。結局のところ、ある程度の時間がなければ分からない類の真実が、世の中には存在しているからだ。
川沿い、土手にも行こうと話した。真冬、彼女は白いダウンを着て橋の向こうに待っていた。ぼくは彼女を手招いて、川の土手を降りた。かすかな水音と、頭上の端を行き交う車の音とがしていた。ここでもぼくらはほとんど会話をしなかったろう。ぼくは彼女に細やかなプレゼントを渡した。川はゆっくりと流れていて、ぼくは―本当に、驚くくらい鮮明に覚えている―この流れが少しずつゆっくりになって、最後には止まってほしいと望んだ。そうすればぼくらも離ればなれになることはないのだ。
年明け、ぼくは彼女と同じ新幹線で地元に戻る。九年間をさかのぼるように、車体はぼくらを運んでいくのだろう。
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