2014/06/24

テレビを観ない

 テレビを観ない。高校生のころからテレビを観なくなった。夏の甲子園くらいのものだ。或いは、地震速報くらいのものだ…それだって最近では、近しい教授のホームぺ―ジにアクセスした方が早いし、正確だ。本当に、ぼくはテレビを観ない。おそらく年間通して一時間も観ない。そのうち能動的な観賞は十分にも満たないだろう。

 煙草を吸わない。常習的に吸った時期はほんの一瞬だった。当時は酒を飲むと吸いたくなったが、今ではその衝動さえも心地よい肴で、実際に喫煙することはない。周りはみな吸うが、それを借りることも無い。何だか、別に嫌いと言うのでもない。ただ、なんというか、無意味なことをしたくないのだ。とても吸いたいなら吸うべきだと思う。それを否定はしない、否定しだしたらぼくには友人が居なくなってしまう。ぼくはとても吸いたくないわけじゃないから、そんな奴に吸う資格はないと思うだけだ…うーん、ちょっと言い過ぎかもしれない。ただまあ、今後も吸うことはないと思う。吸わないことを格好いいとは思わない、寧ろ映画なんかには煙草が欲しい。ボガートなんかには絶対に吸っていてほしい。

 シャワーを浴びないとベッドに入れない。或いは、シャワーを浴びないと夜を越せない。例えば友人の部屋で夜通し飲むことに抵抗がある。もしそこに居座るにしても、必ず替えの下着を持ってシャワーを借りたい。できれば一度自分の部屋に戻ってシャワーを浴びて着替えてしまいたい。どうしてかは分からない。たくさん汗をかくが汗がとても嫌いだ。代謝がいいと汗はべたつかないしにおわない(と言われる)。それでもぼくは汗が嫌いで、夏場は一日に幾度となくシャワーを浴びる。ぼくはシャワーが好きだ。外から戻ると少なくとも足を洗う。靴を脱いだ足で部屋に居たくない。ただ別に潔癖と言うのでもない。部屋はさほど綺麗ではない、寧ろ大抵散らかっている。

 期待をしない。自分にも、相手にも、求めすぎてはいけない。常に自分を把握することはすごく大事だ。大それた夢も、相手への欲求も、ひとまず実際のところを知ってから、はじめて至ることができるんじゃないかなあ。そんな朝、二限に遅れそうな朝、音楽ばかり聴いている。ぼくは音楽をよく聴く。

2014/06/20

何も知らない

 ケフラヴィーク国際空港に向かって機体が着陸態勢に入ると、窓から大地が見えた。ぼくははそれを月面と見紛った。斑ひとつない、眩しいほどの青の足もとには、灰色の荒野が延々と広がっていた。滑走路だけが不自然に一本、浮かんでいた。妙な気持になったものだ、今でもよく覚えている。チョコレートバーを齧りながら、ぼくはぼんやりと景色を眺めていた。



 大学生になったぼくは、国内のあらゆる土地を歩き回った。鈍行列車に宛てもなく揺られ続け、一等閑散とした駅で下りることを好んだ。昼間のベッドタウン、東北の山間部、和歌山の奥地。ぼくはバックパックを背負ってホームに足を踏み出す度に、かつての、高校一年の時分に感じた、かのアイスランドの感覚を思い出すのであった。音楽ともない音楽が脳裏をうっすらと流れてゆき、匂いともない匂いが鼻腔の裏を撫でていく。腹の底で打ち続ける鼓動はぼくを果てなく歩かせた。知らない土地がどうしようもなく好きであった。ポケットの小銭を握りしめて、時間の制約を逃れて、背中にじっとりと沸いてくる汗をも好意的に受け入れる。そこには確かにぼく自身が在ったのだ。そこにいる自分こそに、ぼくは意味を見出していた。



 大学の単位もそこそこ取り終え、就職活動を終え、周囲は口々に、ぼくのことを順風満帆だと言う。羨ましいとのたまう。他大学の女の子の態度もがらりと変わり、親類もやたらと褒め称える。ぼくはもう、本当にうんざりしていた。なんだか一つの展示品にでもなった気分だった。順風どころかそよ風さえも吹かず、満帆どころか帆は垂れて微動だにしていない。それはぼくにとっては不思議だった。自己顕示欲、承認欲求、ぼくに備わっていると思い込んでいたものに対して、その不在をありありと感じたからだ。

 ぼくは本当にうんざりしている…金曜の昼間から大掃除をしている。全ての不要物を捨ててしまおうと思った。シャワーを浴びて、洗濯をして、ビールを飲んでいる。女の子から今夜飲もうとラインが届いていた。飲みたくないわけではなかった。しかし彼女の話は詰まらないし、何しろ情欲に掻き立てられることに快さを感じられそうにはなかった。



 「知らない土地を歩くとき、何を考えるの?」

 そう尋ねられたことがあった、もう二年以上も前の話だ。横浜の裏手にある居酒屋で、カウンターでビールを啜りながら、ある女の子と焼き鳥を食べていた。ぼくはその問いに答えることができなかった。

 旅の中で考えることには、ある種二次産物的な側面があるのかもしれない。何故なら、ぼくは考えるために旅をしているわけではなかったからだ。自分を探求しようだとか、何かを知得しようだとか、そういった意識はまるでなかった。それに気が付いたとき、ぼくは驚いた。ではどこに意義があるというのだろうか。あえて言うなれば、ぼくは考えてなぞいなかった、いや、厳密に言えば、意識的に考えると言うことはしなかったのだ、結果的に考えるに至ることこそあれ。



 移動し続けることに意味があるのかもしれない。つまり、大地に触れ、できるだけ自分以外のもの、あわよくば人間以外の要素のみに囲まれ、そこで歩き続けること。そういった欲求が無意識のうちに働いているのかもしれない。寒空の早朝に歩く紀ノ川沿い、熱帯夜にうずくまる四万十川の暗闇、ぼくはそういった瞬間に、自分の容認される感覚を抱いているのかもしれなかった。



 アイスランドを旅する間、ぼくはゆっくりと本を読んでいた。それは古く、名も無い小説で、長野の山奥に住む叔母から送られてきた古本だった。飛行機から飛び降りた男がセックスを拒んでレモネードを飲む話だ。大学に進学して引っ越すときに、何かに紛れて失くしてしまった。ぼんやりと、ある女性の首筋を思い出している…ぼくはそこに傷をつけたい。

2014/06/07

やわらかな雨

 雨が止まない。朝九時ごろに、鈍い頭痛とともに目を覚まして、カーテンを開けた。ずいぶんと降っていた。ぼくはカーテンを閉めて、歯を磨いてシャワーを浴びた。ヨーグルトを食べて、音楽を聴きながら着替えた。英語のテキストと適当な小説を手に取って鞄に入れた。それから、ペンとノート。出掛けようと思って傘を握り、玄関の扉から部屋を出た。廊下に立って外を眺めると、やはりずいぶんと、降っていた。ぼくは少しの間、その風景を眺めていた。青々と茂る木々の葉を揺らす雨粒、ノイズ、どこまでも続いていく灰色、それからまた、頭痛を思い出した。今度はその上に、気怠い眩暈さえも覚えた。疲れていたのだろう、昨晩はずいぶんと長い時間、ぼくは眠ったようだった。思えば目を覚ました時、電気は点けっぱなしで、読んでいた小説は腰の下敷きになって表紙を曲げていた。
 ぼくは踵を返して部屋に戻った。そうして服を脱ぎ捨て、レコードプレイヤーにグレン・ミラーを回し、電気を消して、寝床に戻った。音楽が雨音を消して、薄暗がりの部屋に安寧を感じた。こういう金曜日があってもいいではないか。ぼくはいろんなことを考えながら微睡み、最後にはやはり、憂鬱な惰眠に落ちて行った。


 雨が止まない。インスタントのコーンポタージュを啜りながら夕暮れ時、今度はダニー・ケイを聴いている。夕暮れとはいえ、陰鬱な雨雲の所為で、その時間の経過は感じられない。ただのっぺりとした景色が繰り返し流れて行くだけだ。ぼくは開けたカーテンをまた閉めた。それからゲームで暇を潰した。何件か酒の誘いがあったが、断ってしまった。寝起きの呆けた頭でまた、下らないことを考えていた。彼女の乳房のことだとか、この間女友達と話した結婚の話、後輩のコンプレックスの下り、勉強する気も起きない講義の中間試験のこと。夏野菜カレーを食べたいと思った。女の子の作ったカレーを食べたことがない。ぼくはカルボナーラやロールキャベツは食べたが、女の子の作ったカレーを食べたことがなかった。詰まらないなあとゲームを切って、仰向けになって天井の染みを眺めた。三年前の飲み会でついた染みだ、由来も成分も分からない。奇妙な複数の模様と、その配置は、なんだかモダン・アートな感がある。
 前の彼女のことを考えた。途端に多くの音楽を思い出した。ダニー・ケイは知らぬ間に終わっていて、雨の音が伴奏になった。湧水の如く音楽は溢れだした。それは雑多にしてしかし、深海に居るような静けさを伴っていた。筆舌に尽くし難きかく浮遊、とぼくは頭の中で書いた。オリーブの種、彼女はタリスカーを飲んでいた。


 なんとなしに外に出た。古いパーカーと撚れた短パン、駅前の居酒屋で拾ったサンダルでおめかしをした。手ぶらだ、財布も持たなかった、コインを適当に掴んで持ってきただけだ。音楽を聴きながら歩いた。雨は止むどころか、強くなっていた。アパートの前の坂道を川のように流れていく雨水、その流れに逆らうように、ぼくは上った。音楽を聴いている、それはどんなものでもよかった。再生をすると、それはぼくが中学二年のころによく聴いていた音楽だった、マイナーな曲だ、好きと言うわけでもない、ただ、当時のことが思い出されるだけだ、無色に。

 雨の中で緑は映える。どうしてだろうか、道沿いの竹藪は活き活きとしている。その一本一本が、嬉々として雨のその身に流れるを受け入れている。藪から目を落とすと、打たれて散ったのか、吹かれて散ったのか、足元に若い葉の一枚が落ちている。ぼくはしゃがんでそれを手に取った。厚みを感じる。

 コンビニで雑誌を買った。帰ってシャワーを浴びて、また眠った。目を覚ますと外は暗闇だった。


 電話をした。何とも言えない気分だ。


 午前四時、昼間眠りこけた所為で、まるで寝つけない。仕方なくこの文章を書いている。雨はまだ止まない、結局、ずうっと降り続けている。あるいはぼくの寝ている間に、止んでいたのかもしれない、いやあ、それはないだろう。音楽を聴いている。電気を消した部屋、暗い部屋で一人、腰をさすりながら言葉を捻りだしている…まさに捻りだしている。文章を書くというのは、小説を読むことよりもずっと苦しい。けれども書かねばならない。彼女の声を思い出した、どういうわけか、かっと全身の熱くなるのを感じた。ぼくは退屈な人間になってしまったのかもしれない。それでもいいのかい?ぼくは詰まらない人間になってしまったのかもしれない。

 それは仕方のないことだ。今はただ、ひとつのことだけだ。

 雨は止まない。明日のうちに深夜バスの代金を振り込まなくちゃ。彼女の匂いを思い出そうとしている。けれどもそれは徒労だ。バーボンをグラスに注いだ。氷を取りに起き上がるのも億劫だ。一息に飲みこんだ。どうしたって、ぼくはこんなにも寂しいのだろう。