一方で、確かに学生時代のぼくは、考えることを重んじていた。言うなれば、考えることに対して異常なまでの執着を持っていた。人に曰く、「病的」なまでの執着だったそうだ。
今でこそ、考えることから離れた生活に違和感を覚えなくなったが、その執着していた自分を確かに記憶している。そうして、そこまで拘泥したことには、おそらく何らかの意味があったはずである。とすれば、このまま「考えること」から遠ざかり続けることは避けなければならないのではないか。つまり、意識的に考えることに立ち戻る必要があるのではないか。と、そんな風に考えた。
考えることとは、学生のぼくにとって何だったか、今一度思い出してみたい。
思うに、ぼくにとっての「考えること」は、文章を書くこととあわせて生まれてきたことのように感じている。
中学一年の終わりにイギリスに渡り、二年余の間、ぼくは海外での生活を過ごした。学校には千人を越える生徒が在籍していて、そのうち日本人はたったの数人しか居なかったから、必然的に、日常は英語に囲まれ、自身も英語を用いて暮らしていた。
英語は決して退屈ではなかった。今でも思うけれど、語学には比較的肌が合っているようだ。
一方で、やはりストレスというものもあったのかもしれない。自分の表現に対するジレンマからか、ぼくは自然に、日本語で文章を書くようになっていった。それは日記のような形式をしばしば取っていた。そして、取るに足らない内容のものがほとんどであった。
文章を書くということは、自分の考えをある一つの形式にまとめあげるということである。暮らしていくにあたって、考えは漠然としていてもある程度は許されるが、これを文章にしようとすると、少なからずはじめから終わりまで、一連の流れを持った形式を取らざるを得なくなる。文章を書くようになって、ぼくは物事について考えるようになったようだ。それまでは散り散りに浮かんでいたアイデアが、文章という形をとるために一カ所に集められて、パズルのように前後、左右、上下に組み合わされて、より印象的なものになる。考えることの喜びを知るまでに、そう長い時間はかからなかった。
文章にしたイメージの中で記憶に残っているものがいくつもある。そういったものは実際の自分の経験と比べても全く見劣りしないほどに、強烈なインパクトを持っている。これは不思議なものだ(経験について考える上でのひとつのヒントになる)。
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経験について少し書くと、ぼくには、経験というものがとても脆いものに見える。そのひとつの根拠が、たったいま書いたように、自分の経験とは別にイメージしたものが、経験と同等の、あるいはそれ以上の影響を自分に齎すケースが少なくないからである。
行動の根拠になるものは認識だ。認識とはつまり、精神性といってもいいだろう。けれども、行動が認識の根拠に即ちなるかと言えば、これは少し違うのではないかと思う。つまり、認識と行動というのはしばしば表裏一体であるかのように論じられるけれど、実は違うのだ。認識は行動を包括しうるが、逆はあり得ない。従って言えば、自らの行動や在り方、つまり方法を決定する根拠として、経験を置くというのは、邪道である。
勿論、経験は認識を養う上において重要な要素になることは間違いない。けれども、ぼくの思うに、あまりにこれが絶対視されすぎているのではないか。端的に言えば、現代社会において経験は盲目的に信仰されていると言ってもよい。これはあるまじき姿だ。
経験というのは即時的に有効なものではない。経験に何かを加えることによって、そこから滲み出てくる副次的なものが、はじめて有意義なものになりうる(ならない場合もあるし、それは寧ろネガティブなものかもしれない)のであり、まさにこの加えるべき「何か」こそが個々人の認識なのだ。同じ場所、同じ時間にまったく同じ出来事に遭遇しても、誰がそこにいるかによって影響が全く異なるのはこのためなのだ。つまり、成熟した認識の前にこそ、経験は意味を生むのである。
ここからも明らかであるように、認識は経験に先立つものであり、然らば、認識を正しくさせる上においては、経験だけでは足りない。いや、敢えて言えば、経験がなくとも、認識は正しくあり得る。想像することが大事だ。
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いずれにせよ、ぼくは文章を書くことで考えることを始めた。帰国後、高校生になると、書くことに加えて、読書もするようになった。古本屋に通ってはありとあらゆる文章を読んで、影響を受けた。あるとき、これはもう十年近くも前なのにありありと思い出すことができるけれど、カミュの異邦人を読み終えたとき、ぼくは、死に近づいていることを感じた。翌日学校で同級生のNに「本を読むことで死に近づいているように思うんだ」と告げると、彼はおれもそう思うと言った。Nはよく本を読む男だった。
ぼくは文章を書き続けた。
浪人時代に、人間について考えた。ぼくは芥川龍之介の晩年作を中心に、相も変わらず古今東西の小説を読み続けていた。どうして人間について考えたのかは思い出せないが、とにかく考えた。
ぼくが至ったのは、相対的な表現にしかならないけれど、「人間とは考える生き物だ」ということである。
人間の脳の特徴は、高度に発達した大脳新皮質だ。人間を人間たらしめているのは、まさにここであると考えた。この大脳新皮質は人間の理性を司っている。人間には洗練された理性が備わっていて、逆を言えば、人間以外に、この理性を持っている存在はない。すなわち、人間らしくあるということは、理性を発揮することに他ならない、とぼくは確信したのである。今思えば、これはその後のぼくにとって大きな発見であった。受け売りではなく、自らの認識の上に立って触れた、唯一無二の発見であったかもしれない。それが当時のぼくにとって衝撃的であったかそうでなかったか、ぼくはもう思い出すことができない。
理性の発揮とは何か、それはまさしく「考えること」だ。パスカルの有名な一文の真意について、ぼくは如何なる立場も取らないが、いずれにしても「考える」ことが人間の能力であるのと同時に使命であることは、間違いないのではあるまいか。
ぼくの理解について記すための一助として、中学時代に与えられた一文を思い出しておこう。
当時ぼくは十三歳、中学一年の終わりに渡英したことは前述したが、ぼくは二つの学校に通っていた。平日は現地校に、それと共に、毎週土曜には日本人補習校にも通っていたのだ。初めての登校は時期もあって春休み直前、日本でいう学年末の最終日であった。当時中学一年の担任はI先生という男性であった。彼は何年かその学校に、本職の傍ら勤めていたそうであるが、たまたまその日を最後にアメリカに渡ってしまった。そのため、ぼくは彼とは、その日にしか会ったことがない。
彼は一日の最後に、黒板代わりのホワイトボードにある文章を書いた。
「本質を見よ」
そうしてぼくらの方に振り返り、本質を見ること、これを大事にして下さいと言った。ぼくたちは(あるいは少なくともぼくは)理解が出来なかった。それでも、今も鮮烈に思い出すこと出来るのは、やはりこの言葉に大きな意味があり、それを当時、ぼんやりではあれ、感じ取ったからだろう。今になって思うのは、これこそが考えることの真髄であるということだ。まさしく考えるということは物事の本質を探求することに相違ない。
考えること、本質を見ることこそ、人間として正しく在るための方法なのだ。
戻るが、高校時代の級友Nとぼくとは、当時、十七、十八のころに「本を読んで死に近づく」感覚に触れた。人間は考えるものであり、即ち人生が考えるための時間であるとすれば、考えることは人生を過ごすことである。死に近づいている実感、これは小川の流れに手をひたしたように冷たかったはずだ。まさに実感であった。ぼくたちは肌で人生を感じたのだ。生が少しずつ死に向かっていくことを、感じたのである。
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考えることについて記した。続いて、考えることの具体的方法論について書く必要がある。今まで書いたことは、読めばとても抽象的な論に過ぎない。生来的に人間が考えなければならないというのは、前提論だ。しかし考えることによって何が齎されるのか、考えるというのはどういったことなのか、翻って論じなければ、ぼくの考えることに対する執着を改めて説明できたとは言い切れないだろう。感覚をきちんと文章にしてみよう。それがまさに理性的な生活であるはずだからだ。思いがけず、これはぼくにとってある種人間としてのリハビリと化しているのかもしれない。
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