冬が終わって春がはじまろうとしているこの時季に抱く、えも言われぬ感慨も、毎年のことだなあと思うほどには長い時間を過ごしてきているようだ。昨年も、一昨年も、その前も、四月の芽吹きを前に、ぼくはこうして一人で、言葉に出来ないような気持に苛まれていた。一見美しい草花には透明で細かい棘があって、触れれば忽ち痺れてしまう。ぼくは毎年、分かっていながらそれに触れることを禁じ得ない。
理由の判然としない―厳密に言えば、判然としないほどに、あるいは存在しないほどに遠く離れた場所に理由を置くような―悲しみが、ぼくの生活の隅々を満たしている。それは音楽のように、耳を塞げば逃れるものでもなく、ガスのように、壁を隔てれば避けられるものでもない。ぼくがそこに意識を持って居る以上、悲しみは止めどなく溢れ続ける。
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