中学二年の冬に高熱を出した。翌日英語検定のためにロンドンに行こうかという週末の夜で、ぼくは恐ろしい感覚に落ちた。それはまさに、覚醒と睡眠との間に起こった。
ぼくは、自分の身体から精神が少しずつ乖離していく様子を実感した。これは嘘ではない、本当だ。ぼくの意識は、身体という物質的な限界にその刹那、馴染んでいんかったのだ。半ば拒否症状のように身体はさらに熱を帯びて、どうしようもないもどかしさのようなものを覚えた。ずるずると引きずり出されるようにして意識は身体を離れた。痛いというでも、気持ち悪いというでもない。ただ圧倒的な違和感が不快さを呼んで、ぼくは耐えられそうも無かった。
ぼくは聞き取れない譫言を垂れていたそうだ。汗まみれになって、しばらくしたのち、嘘のように静かに眠りに戻ったのだという。
それから、ぼくはその感覚を忘れられずにいる。あれほどまでに乖離の感覚を覚えることはもうない。けれども、どうしようもない歯痒さを伴ったその感覚が、日々の中に訪れることが屡ある。それは今だってそうだ。わずかなズレがそれを生むのだ。ぼくの身体と、その影のような意識とがほんの少しズレて重なるとき、ぼくは歯を食いしばって耐える。何をすることもできないのだ。ただ耐えるしかない。
彼女への手紙を書こうと、ちゃぶ台の前に丸くなった。けれども書けない。幾ら書けども、納得のいく文章が書けないのだ。ぼくは焦っている。もう二度と、彼女には会えないのではないか?実際、そうではない。彼女は月末に訪れる。けれども、どうにも不安で仕方ないのだ。ぼくはこのまま、この部屋に吸い込まれてしまうのではないか?
何を思うでもない。皮膚に、筋肉に、骨格にまとわりつくこの違和感こそが、ぼくを確かに生かしているのだから。
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