地下鉄のホームの隅で白髪の老人がギターを弾き始めた。はじめは古いカントリー、それから薬漬けになったアーティストの名曲、またカントリー、それからサザンロック。ぼくは少し離れた椅子に掛けて、長いことそれを聴いていた。無数の車輌がそこには訪れ、そして滑るように過ぎて行った。ゆっくりと停止すると自動扉が開き、夥しい数の人々が乗降した。ぼくの居た隣の席にもたくさんの人が座り、立ち去った。ぼくほどその音楽に長い時間耳を傾けている人は居なかった―誰もが忙しかった。それぞれの問題を抱え、それぞれの方策に耽っていた。問題を肩にぶら下げたままにしているのはぼくくらいのものだった。その考えはぼくにある西部映画を思い起こさせた。大学2年に観たものだ。主人公の青年は獣の肉を干して保存食として旅に伴った。干からびたぼくの問題たちは水分を飛ばして軽くなり、老人の調べ、弦が織り成す空気の振動に共振してぼくをも震わせた。しばらくすると肩の辺りがじんと麻痺した。ぼくはそれを確認すると椅子から立ち上がった。ちらと老人がこちらを見た。美しく豊かな白髪、ぼくは彼のこれまでの生涯を思わずには居られなかった。
老人は枯葉を弾いていたが急にやめ、別の曲を弾き始めた。散り散りの音の全容を、はじめぼくは掴み損ねていたが、乗車位置で足を止めて神経を集中させると、それがショパンの別れの曲であることに気が付いた。ぼくはそういった類の音楽には疎かったけれど、それは聴いたことがあった。スペインのグラナダで聴いたのだ。バーで演奏するネグロイドの青年を見やりながら、親父はこれはショパンの別れの曲というのだと教えてくれた。ぼくはまだ船酔いが抜けきらないぼうっとした頭でそれを聴いていた。親父はもう、覚えていないかもしれない。
音楽はぼくを揺さぶる。芸術とは不思議なものだ、かくも輪郭の判然としない力を、ぼくはほかに知らない。変色した古い小説のインクの汚れに、一枚の変哲のない風景画に、そうしてこの、都会に埋もれかかった、袋小路で奏でられる音楽に、どうしてぼくらは感動するのか。俄かに風が吹き始めると、トンネルの向こうに列車のライトの明かりが見えた。その光景はぼくにどういうわけか、田山花袋の蒲団を思い起こさせた。芳子が父に連れられ村に帰る場面のことだ。田山花袋…!ぼくはどうしようもない気持になる。ゆっくりと音楽は進んで、ちょうど車輌がぼくの眼前でぴたりと止まると同時に、止んだ。ぼくは全身に得も言われぬ痺れを感じていた…それから或いは、芳子の匂いを。
扉が閉まり、動き始めた。白髪の老人はまた、次の曲を始めたらしかった。車窓が彼の前を通り過ぎる瞬間、彼は薄目をそっと閉じて、上体をそれまでのように、ゆっくりと揺らした。
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