2014/09/01

追憶

 高い天井のカセドラルから一本の糸が垂れている。その先端がぼくのちょうど目の前にある。先端を見て、天井をもう一度見上げる。美しい絵画に彩られた複雑な構造の天井の、一体どの部分からこの白い糸は垂れているのだろうと思った。カセドラルにはぼくの他にも何人かの人々が居る。発せられる声や音は限定された空間に籠って響いて、鼓膜を、蝸牛を伝って脳にじんと震えを感じさせる。ぼんやりとした頭のままで傍らの椅子に腰を掛けて、汗がひくのを待とうと決めた。ひんやりとした空気はぼくの混乱を少しは鎮めてくれるのかもしれない。

 ビリと電気が駆けたような気がする。分厚い扉を開けて外に出ることを考えたけれど、止めた。それはぼくには叶わないこのように感じた。扉はあまりに分厚すぎる。いつか読んだ漆喰の壁のことを思い出している。そこに十戒が書かれていた、葡萄畑のイメージ…話の内容は思い出せない。時間の流れるスピードが分からなくなった…日は傾いたのだろうか、ステンドグラスの弱光で本を読んでいる。

 愛が融けてパイプオルガン、元町をゆっくりと一人歩いた夕方を思う。マドレーヌをやり過ごしてグリューヴァインを買って、一人啜りながら冬の街を歩いていた、風の匂いもガスの匂いも親密で、橙の外灯に照らし出された煉瓦通りはどこまでも続いているように思われた。けれどしばらく歩けばそれは終る。通りの最後に小さなバーがあって、中からライブの音が漏れていた。フランク・シナトラ、じれったいほどのスローなアレンジで、ぼくはその硝子戸に映った自分の姿をじっと見ていた―愛が融けて、頭の先から爪の先までが、上から順にゆっくりと融けていく様子を。

 暗がりにぽっかりと空いた地下鉄の駅に潜って、部屋に戻った。


 カセドラルのことはもういいんだ、ブリスベンの通学路にシティホールがあった、噴水の前を通ると、いつも妙な匂いがした。時間がパキと音を立てながら融けていく。

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