青い空は多くの白い雲を湛えて浮かんでいる。向こうの家屋の雨樋に鳥が二羽、とまっている。
2011年がもう、7年も前だ。ぼくは当時大学に入ったばかりで、痩せていて、若かった。ぼくは2010年のうちに芥川の作品を全て読み終えていて、まあ簡単に言えば、死への憧憬を既に抱いていた。それも一等美しい死を夢に描いては、それまでの道程について案ずるばかりであった。考えることや本を読むことは即ち死であり生であるという感覚を今よりもずっと繊細で深い世界の中で理解していたのだ。ぼくは十九歳で、東京に出てすぐに付き合った女性の前で、まさに死への恋慕とも言えよう心持ちについて明かしたらば、一笑されたものである。今でもよく覚えている。横浜の居酒屋で、まだ夏も訪れぬ時期で、ある種異邦人的な立場に居た頃だ。
芥川が田端で服毒自殺を遂げた日に生まれたことを、ぼくはその時分には既に自覚していた。たまたま住まいが鎌倉に近かったこともあり、彼の描いた風景を一人歩いては、大正と昭和の境目を縫うようにして、まさに80年余も昔の情景に酔いしれたりなどしていた。
ぼくは昨年結婚した。
その半年後に気がついたのは、結婚したその日が、三島由紀夫の四ッ谷での自決のまさにその日であったことだ。これは無論単なる偶然に過ぎないが、驚いた。
三島由紀夫は大学時代に読み耽ったものであり、特に金閣寺の美しさには完全に圧倒され、半ばその力で押された部分を押し戻すために、そっくりそのままノートに書き写したほどである。大河のように力強く悠然と流れる彼の美徳は間違いなく過去の遺物ではなく、まさに現代まで続く歴史の水脈の一旦に相当するに違いない。
いずれにせよ、昭和を代表する文学に起こった4つの自殺ー芥川、太宰、三島、川端のうちの半数にぼくの人生が絡んでしまったことになる。更に言えば、ぼくは太宰のたをやめぶりが大層嫌いなのと、荘厳なる川端の自殺が意味するところの、別の自殺との本質的な違いを認めれば、まさにぼくは実に重たい宿命を背負ったことになりはしないか。
死への憧憬は、今や十代時分に比べれば随分色褪せてしまったようにも思われるが、それは、憧憬そのものが廃れたというよりは、憧憬を感受するだけの性質が、錆び付いたことで減退したこと、また、それを描写するだけの口数をぼくが失ってしまったことに因る。ぼくにとって大人になるというのは、あるいはそういうことだったのかもしれない。
しかしそこには間違いなく、まだあるのだ。つまり、死の気配をぼくはいつだって忘れずに感じ続けている。安寧の暮らし、保証された日常がある一方で、地面をくるりと裏返せば、そこにはさも自然な佇まいで死が待ち受けているはずである。ぼくはそう確信している。
どう生きるかを考えるには、どう死ぬかを考えなければならない。ぼくは嗚呼幸せだったと叫んで死ぬのだけは絶対に嫌だ。そんなものには価値が無いからだ。ぼくは大義により生き抜き大義により死にたいのである。そのためであればどんな生をも受け入れようじゃないか、しかし無論そこには不条理こそあれ、完全なる不自然は介在せざるべし、と、まあそんな風に考えている次第だ。
陽光降り注ぐ庭に葉が煌めいて視界の中で光っている。ぼくらは失い続けている。失い続けて行く。如何にして失うものか、どういった順序で失うものか。考えるというのはそういうことだ。これは絶対にそうだ。
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