如何なる喜びや快楽や、幸福感に包まれたところで、ぼくの奥の方で長い間巣食っている悲しみは、決して癒されることはないのだろう。そう思った。重要な内臓にべたりと癒着して鎮静化の兆しもない腫瘍のように、ぼくの悲しみは、ほとんどぼくそのものであるかのようだ。古い音楽に呼応して振動する度に、ぼくは肺の裏側に、痛みとも懐かしみともいえない、耐え難い思いに、つんとした感覚に触れることを禁じ得ない。
十四歳の冬、彼女を日本に残してから一年が過ぎようとしているころ、ぼくは中学の食堂で友人とよくいろんな話をした。放課後、ホットチョコレートとマフィンを買って、他愛のない話をしたのだ。やがて日が傾き、みな帰る。ぼくはもう少し残った。味気ないマフィンを甘いだけのチョコレートに浸して、彼女のことを考えた。もう二度と会うことはないのかもしれない。イギリスの田舎町、古くなった柱を見つめながら、ぼくはよく考えたものだ…彼女について、彼女の居た風景について、彼女と見た風景について。
だからこそ、今のぼくにはもう、何も要らないはずなのだ。長い間、ぼくの青春のほとんどの時間、心のどこかで浮遊し続けて居なくなろうとしなかった彼女の陰影は、しっかりと今のぼくに染みついている。そうして確かに、彼女はいま、遂に約束をしたのだ。ぼくに向かって、自信があるとのたまうのだ。ゴルゴンゾーラのニョッキを頬張ってワインを飲み、彼女はぼくの目の前で笑ったのだ。では、だのにどうしてかくも悲しい気持になるのだろう。
*
これから元町に出かける。放蕩?いや、違う。
*
これから元町に出かける。放蕩?いや、違う。
0 件のコメント:
コメントを投稿