いろんなことを考えながら歩いているうちに、背中に少し汗をかいていた。駅に降り立った時には寒くてパーカーを羽織ったものだったが、坂道を上り続けているうちに体は温まっていたのだ。時刻は八時をまわった頃だ。僕の精神はすっかり夜の闇に鎮められているように感じる。ポケットの中に手を突っ込むと、鍵と小銭とが擦り合う音がじゃりとした。僕はその、現実的な金属の音が嬉しくて、じゃりじゃり、と立て続けに鳴らした。鍵は勿論、僕が一人で住んでいた部屋のものではない。そんなものを持ってくる必要はないからだ。
「ハイセンスな女の子なんて存在しない。ハイセンスはいつも男性の中にしかない。」と、高校時代の彼女は言った。自転車の鍵を頭上に高く投げて、それをキャッチする。そんな造作を繰り返しながら、彼女は僕と一緒に歩いていた。
僕が黙っていると、「あたしにもセンスはない。分かるのよ、ただ分かるの。」と彼女は続けた。「そして、年を取るにつれてますますつまらないことになってしまうの。」
今のことは知らないけれど、僕は当時の彼女のことを、センスのある女の子だったと思っている。けれども、彼女の言うこともある意味正しいのかもしれない。だって女の子である彼女が言うのだから、それは僕の考えよりも信憑性があると考えるのが至極普通だろう。
「どうして女の子にはセンスがないの」と僕はその時尋ねた。今でも覚えている。高校からの帰り道だ。ほとんどの生徒が通る、高校の前の坂道を途中で右に折れると、静かな住宅街に入る。その道は逆にほとんど人通りが無くて、僕らはよくそこを通って帰った。駅まで行くには遠回りになってしまうが、途中に小さな公園があったり、昔ながらの駄菓子屋さんがあったりして、僕はその道が好きだった。その道でまさに彼女は、「きっとね、それは仕方ないことなのよ。女性の美しさを男性が持ち合わせられないように、それは無条件なことなのね。」と言った。直後に漏らした彼女の微かな溜め息は、僕がこれまで聞いた中で最もハイセンスな溜め息だった。
鍵、と僕は思った。彼女の鍵にはしし唐のキーホルダーが付いていた。とてもハイセンスだ。
僕が今握っている鍵は、向かっている別荘の鍵だ。祖父の別荘。父親が子供の頃は、夏休みになるとよく家族で出かけたのだという。川で遊んで魚を釣り、夜になると焼いて食べた。音楽をかけてカードゲームを遊び、二週間ほどはそこにいたのだ、と。父親とその妹が成長するにつれてそこに訪れる機会は減ったのだ、と祖父は先日話した。僕は一度その別荘に訪れたことがあった。それは高校一年生の時で、友人と二人で東日本を一周したときのことだった。都内から鈍行列車で遥か離れ、途中に寄ったのだ。三日間、僕らはその別荘に滞在した。友人はコウムラという男で、高校を卒業し、東京大学に合格した年の夏にグアテマラで死んだ。南米に旅に出かけている最中に入ったレストランで、たまたま爆発テロが起こったのだ。運の悪いことに、グアテマラというのはたまたまテロの起こるような国であった。彼を含めて、レストランの中にいた人間は全員死んだのだという。彼はスタインベックの好きな男だった。「なあ、お前にはセンスがある。」と、コウムラは僕に言った。「ただ、勇気がないだけだ。」
僕にはやはり勇気がなかった。だからこそ今、この湿った林道をとぼとぼと歩かなければならないのだ。別荘の鍵は何の変哲もない、普通のなりをした鍵だ。アクセサリも何もない。夜はすっかり密度を増して、もうすぐ別荘に辿り着こうとしている僕の背筋をしゃんと伸ばす。咳払いをすると、夜の空気に少しだけ響いた。
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