2014/10/30

病と魚と粥

 肺に穴の空いた話をもう少し具に書こうと思ったけれど、ぼくにはどうしてもそれができなかった。理由は分からないが、数行書くともう、駄目だった。ぼくはすっかり暗闇に紛れ込んでしまっていて、そこから闇雲に手を伸ばしても、言葉を拾うことはできなかった。

 どうしようもない恐怖が冷気のように床を伝ってぼくのところにやってきた。玄関からゆっくりと流れてきたそれは、ぼくの足を、腿を、腰を、背を、首を冷やしながら、最後には身体中をすっかり冷たくしてしまった。音楽は遠のいた、鼓膜が強張る感覚、ぼくはどうにも肌に触れたいと思った。見境なく千切ってしまいそうな気がした。衣服を剥ぎ、皮膚を剥ぎ、骨肉を粗方触り果てて、ようやく眠りにつけるような気持がした。恐怖を恐怖によって掻き消そうという作用だったのかもしれない。ぼくの異様な憂鬱は、確かにぼく自身に因るものであった。ほかの誰も、何も、悪くはない。何故ならば、なるほど実際、ぼくは生きている限りあらゆる環境要素と関わりあって暮らさざるを得ないところにあれど、しかし結局のところ、自分の振る舞いそのものを最後に決めるのはほかでもないぼく自身であったからだ。ぼくが選んでいるのだから、すべての現象は、ぼくの周りに起こるすべての現象は、ぼくに責任があるのだった。仕方ないことだ。抗いようのない大きな力を感じる、ぼくはそれに覆われるのをじっと待つことしかできない。恐ろしいことだ、分かるだろうか?得体の知れない、大きな、大きな、気が遠くなるほど、ぼくらの想像の範疇からはまったく把握の仕様もない、それは大きな真っ黒のヴェールが―材質も特性も時間も分からないヴェールが―ゆっくりと向こう側からやってくるのだ。冷気を送り込んだ風上にわずかそのヴェールが見えるのは、橙の微光が後ろから照らしているからであった。じれったいほどに、それこそ永遠と思えるような時間をかけてじりじりとぼくの身に近づいてくるヴェールは、やがてぼくの身を完全に覆い尽くしてしまう。そこには過去のみが渦巻くだろう。純然たる罪悪を丹念に濾過した重油のようなエッセンスが、ぼくの全身に泥沼のようにまとわりついてくる。

 毛布のように、ヴェールにくるまり外界とまるで隔絶されたぼくには、もう何もない。これはパラドクスだ、孤独を望んだがために、ぼくは孤独を失うのだ。そうして同時に、孤独を手に入れた。女の言葉が蘇る。ぼくは吐いた、胃が躍り、食道が震え、彼女らによって植え付けられた罪の意識を吐いた。大昔の幾つもの匂いが吐瀉物を形成していた。ぼくはもう駄目かもしれない、あまりに消耗され過ぎた。彼女らに対して、正しい認識を求めるのは不毛ならずも罪悪だ。彼女らはまったく何も認識してはならないのかもしれない。つまり、はじめから黙っていればいいのだ、しかしそこまで門戸を開いてみても、その程度に利口なのも居やしない。ぼくはどこで間違ったのだろうね。全く駄目だ。

2014/10/17

『すごく面白い話』

 ふと、言葉の出なくなることがある。それはいろんな場面で、たとえば大学の仲間と一緒に部屋で暇を潰しているとき、女の子と飲んでいるとき、ひとりで文章を書こうとするとき、音楽を聴いているとき、髭を剃っているとき。
 普段、言葉は湧き上がってくる。湧昇してくるものを金魚すくいの要領で拾い上げることもあれば、底に滞留しているものを腕を浸して引っ張り上げることもある。少なくともそこには無意識の領域があって、そこにおいては不可侵だ、そのもう少しこちら側にぼくの領域がある。
 言葉の出なくなる瞬間、その流れが止まる、或いは、温泉のような湧出は、地下深くの水路の微妙なずれか何かで、埋まってしまう。つまりぼくには、あらゆる言葉の価値がとても虚ろに見えてしまうのである。何を言っても、或いは、何を言わなくても、全ての流れは失われたままのような気がしてくるのだ。

 その間―つまり言葉の出ない間、ないしは、その澱み―つまり流れのない状態、において、ぼくは黙るしかない。言葉はどれも同じに見える。どう選り好みをしたって、結局のところ事態は動きそうにない。もちろん普段だって、何か事態を恣意的に動かすために言葉を選び発しているわけではないけれど、いずれにしても、言葉によって何かが変わっていることは確かだ。それを物理的かそうでないかと吟味することには意味がないにしろ、である。

 言葉だけならばまだよい。しかしこういった塩梅の時、ぼくにとっては大抵、あらゆる表象が同一の作用を来す。あらゆる表象、あらゆる芸術が、ひいては音楽も絵画も、ジェスチュアも表情も、スキャットもダンスも、言葉と一緒にうずたかい塵泥に沈み込んでいく。うずたかい塵泥は死んだ言葉の墓のようにシンボリックだ、死んだ言葉というのが正しい表現なのかどうかも分からない。或いは言葉の死んだ墓なのかもしれない、墓の言葉の死なのかもしれない。死んだ言葉とはなんだ?それでは生きている言葉とはなんだ?死んだ人間に生きた言葉は表現できるのか?こういった具合だ、言葉は泡のように頼りない。

 言葉は無力だ。しかし言葉に足る何かがぼくらに備わっているのか?言葉は無力であるが上に美しい。少しずつ力を失っていく様子もはかなくて美しい。記号という枠組みを超える瞬間もある。言葉が言葉を生むこともある。文字にした途端に印象の変わるものもある。ぼくが愛していると言えば、その言葉は順列組合せみたいに乱舞しながら中空を彷徨い、彼女や、髭のマスターや、隣のテーブルの女子大生たちに吸収される。或いは鳴りやまないカントリーロックが覆いかぶさって隠してしまうかもしれない。言葉はこれだからやめられない。言葉はこれだから脱け出せない。ああ、ぼくは言葉が欲しい。言葉の先端に火を灯して、吸い込んで、肺のフィルターに滲まなかったものだけを、したり顔で吐き出せばよい。

2014/10/16

カレイドスコープ

 左耳の奥が疼いて目を覚ました。時計を見やれば午前三時、脈を打つのが耳の奥で聞こえる。それはビートのようだ。先日観たダンス・ショーのステージを思い出させる。毛布を抜け出すとぼくはよろめきながら立ち上がり、冷蔵庫のミネラル・ウォーターを勢いよく飲み込んだ。変わらず部屋は暗闇、微かに漏れ入る街灯の明かりが、何も無い部屋と、昨晩脱ぎ捨てられてそのままのジャケットを映している。トラウザーズは?…足元にあった。シャツや下着は洗濯機に、ネクタイとベルトは廊下に放られている。

 身体が熱を帯びている。レコードプレイヤーの上に残された赤ワインを飲んだ。グラスを濯いでキッチンに戻した。プレイヤーのスイッチを押せばマーヴィン・ゲイ、昨晩繰り返し聴いていた。左耳の鼓動はまさにこれだ。痛みは鼓膜の奥から感じられた。キャンディーチーズの袋を冷蔵庫に戻して、ジャケットとトラウザーズとをクローゼットに戻した。一転肌寒さを覚え、パーカーを羽織った。一体どうなっているというのだろう。LPのノイズが苛立たしい…昨晩のことを思い出している、艶めかしい匂いがシャワーのように降っていた。見るからに粘度の高い音楽が冷気のように地面をゆっくりと這って、ぼくの足首をまとって籠絡した。美しさとは何か?眉のピアスがぼくに尋ねた。一方で、快楽とは何か?蒼い首筋がぼくに尋ねた。ぼくは靴のくすみを気にしながら丁寧に彼女らの輪郭に耳を澄ました…耳を!バターナイフで皮脂を絡め取り、薄切りのトーストに塗りつける。ショートブレッドの欠片はフロアリングに沈み込み、朝のコーヒーはすっかり冷めてしまった。何故ならそれは夜だ、ぼくは耳のことを考えた。彼女らの渦のような耳を、それは醜い、裏を捲れば残らず真赤に爛れていたからだ。もう遅いのだ、熟れたトマトのような耳の無数を毟り取ってダム湖に沈めた。赤茶けた山稜の向こうから空が浮かび上がって、大きな鳥が越えていった。イメージは山奥からダムを滑り落ち、天竜川を下って静岡の海に流れ出でる。しかしそこで終わりだ。また都会に戻る…爛れた耳は沈んだ、残っているのは無機的な身体だけだ、それはテンポラリーで、模倣的で、甘美で、仮初の、エロティシズム、乱舞する色とりどりの光線が明滅を繰り返して鼓舞した。腐臭と快楽は紙一重のところにある。たとえばぼくには、そう、たとえばぼくには、この腐った夜、耳の奥の疼く夜、こういった夜が身を打ち震わせるほどに快い。

 そう、たとえばぼくには、こういった具合の苦しみにこそ親密さを覚える。痛みにこそ安堵を感じる。胸をつんざく冷たい刃先にこそ、自己陶酔を伴わない正しい形での普遍を感じるのだ。耳の痛みが頭に及んで、白い靄が考えを妨げる。ぼくは銀のスプーンをイメージする。混濁したスープは、傾いたスプーンから少しずつ滴り落ちていく。落ちる先はやはり板張りの床だ、或いは円形の芝生だ、三角錐の形をした孤独だ。スープは分散される。そうしてもうほとんど、誰の記憶からも失われる。

 記憶とは浅はかなものだ。ぼくらには記憶をもう少し厳密に定義する必要があるのではないか。つまり、記憶を自己と同一視することは辞めにしないか?こういった論旨はあらゆるところに散見され得る。たとえば結果とは何か?結果を重視するとのたまう彼に、結果とは何かを厳密に説明できるのか?否である。主張には、その主張を構成する言葉をきちんと知る必要がある、或いは、知らしめる必要がある。

 つまり耳が痛い深夜の話だ、いや、もう朝も近かったかもしれない。これが記憶の浅はかさだ。どれだけスプーンが頑丈でも、スープはいつも不安だ。それは誰にも、何にも、依存しないからだ。今日美しいものが、明日醜くても、誰にも文句を言う権利はないということだ。ぼくのイメージは中央アフリカのサバンナに飛び、すぐさま北欧の海岸線に飛んだ。フィヨルドの底には財宝が眠ると言った。ぼくはそれを信じない。ナルヴィクの不凍港には悪魔が居ると言った。ぼくはそれも信じない。どうしてそれならムンクが居るのだ?ムンクは果して居なかったのか?ノルウェーのイメージは光を失って、ビートは戻り、痛みはぼくを引き戻す。音楽が鳴り止んだ。

2014/10/12

ゆらゆらとした混乱

 涼しくなってきた。昼前、支度をしながら、この部屋に越してきたころのことを思い出していた。大学に入学するまでの数週間、ぼくはあえてこの部屋を拠点にして、あてもなくさまざまな土地を歩いた。がらんどうだった、当時は自転車と、オーディオと、本しかなかった。ベッドさえなかったし、テーブルもラップトップもなかった。茶色のフロアリングに仰向けに倒れて、黄昏の部屋に音楽を聴きながら考え事をするのが好きだった。ぼくは十九だった。いまよりも四年若く、いまよりも失うべきものごとを四年分背負っていた。

 この部屋に居るのも、残り半年足らずとなった。ぼくは四年前と同じように、仰向けになって天井を仰いだ。少し太って、筋肉がついて、いくつかのことを忘れた。いろんな匂いを知って、それは即ち、いろんな匂いを失うことに相違なかった。台風が近付いているからか、頭が痛かった。寝不足の所為か昨晩の深酒の所為か、ぼうっとした脱力感が身体に膜のように張り付いている。

 *

 昨晩ぼくは泣いたのかもしれなかった。

 

2014/10/06

嵐の夜

 うんうんと色々思いをめぐらした結果、何も得られなかったから、簡潔に、書き出せることのみを記す。終日大雨、空気は寒し。昼前まで部屋でビートルズを聴いて、駅横のマクドナルドで本を読みながらゆっくりハンバーガーを食べる。夕方まで横浜、のち帰宅。
 ここまで自分に嫌悪感を抱いたのは久しぶり。何もかもが駄目だった、自分だけならいいけれど、今日のぼくは酷かった。申し訳ない。

 帰って諸々を済ませ、寝る、少しして、汗まみれで目を覚ます。原因は悪夢、内容はひとつも思い出せない。熱が奪われて震えていた、タオルで急いで汗を拭って衣服を剥がしてシャワーを浴びる。ひとつのことを考えていた。その間にお湯を沸かして、あがるとコーヒーを淹れて飲む、音楽はかけず。

 ぼくはこんな塩梅だけれど、きちんと眠っていてほしいと思う。ぐっすりと、いい眠りに浸かってくれていることを願っている。願っている時点で、ぼくには何も語る資格がない。無理矢理寝る、途中また目が覚めやしないかと恐れている。音はない。