左耳の奥が疼いて目を覚ました。時計を見やれば午前三時、脈を打つのが耳の奥で聞こえる。それはビートのようだ。先日観たダンス・ショーのステージを思い出させる。毛布を抜け出すとぼくはよろめきながら立ち上がり、冷蔵庫のミネラル・ウォーターを勢いよく飲み込んだ。変わらず部屋は暗闇、微かに漏れ入る街灯の明かりが、何も無い部屋と、昨晩脱ぎ捨てられてそのままのジャケットを映している。トラウザーズは?…足元にあった。シャツや下着は洗濯機に、ネクタイとベルトは廊下に放られている。
身体が熱を帯びている。レコードプレイヤーの上に残された赤ワインを飲んだ。グラスを濯いでキッチンに戻した。プレイヤーのスイッチを押せばマーヴィン・ゲイ、昨晩繰り返し聴いていた。左耳の鼓動はまさにこれだ。痛みは鼓膜の奥から感じられた。キャンディーチーズの袋を冷蔵庫に戻して、ジャケットとトラウザーズとをクローゼットに戻した。一転肌寒さを覚え、パーカーを羽織った。一体どうなっているというのだろう。LPのノイズが苛立たしい…昨晩のことを思い出している、艶めかしい匂いがシャワーのように降っていた。見るからに粘度の高い音楽が冷気のように地面をゆっくりと這って、ぼくの足首をまとって籠絡した。美しさとは何か?眉のピアスがぼくに尋ねた。一方で、快楽とは何か?蒼い首筋がぼくに尋ねた。ぼくは靴のくすみを気にしながら丁寧に彼女らの輪郭に耳を澄ました…耳を!バターナイフで皮脂を絡め取り、薄切りのトーストに塗りつける。ショートブレッドの欠片はフロアリングに沈み込み、朝のコーヒーはすっかり冷めてしまった。何故ならそれは夜だ、ぼくは耳のことを考えた。彼女らの渦のような耳を、それは醜い、裏を捲れば残らず真赤に爛れていたからだ。もう遅いのだ、熟れたトマトのような耳の無数を毟り取ってダム湖に沈めた。赤茶けた山稜の向こうから空が浮かび上がって、大きな鳥が越えていった。イメージは山奥からダムを滑り落ち、天竜川を下って静岡の海に流れ出でる。しかしそこで終わりだ。また都会に戻る…爛れた耳は沈んだ、残っているのは無機的な身体だけだ、それはテンポラリーで、模倣的で、甘美で、仮初の、エロティシズム、乱舞する色とりどりの光線が明滅を繰り返して鼓舞した。腐臭と快楽は紙一重のところにある。たとえばぼくには、そう、たとえばぼくには、この腐った夜、耳の奥の疼く夜、こういった夜が身を打ち震わせるほどに快い。
そう、たとえばぼくには、こういった具合の苦しみにこそ親密さを覚える。痛みにこそ安堵を感じる。胸をつんざく冷たい刃先にこそ、自己陶酔を伴わない正しい形での普遍を感じるのだ。耳の痛みが頭に及んで、白い靄が考えを妨げる。ぼくは銀のスプーンをイメージする。混濁したスープは、傾いたスプーンから少しずつ滴り落ちていく。落ちる先はやはり板張りの床だ、或いは円形の芝生だ、三角錐の形をした孤独だ。スープは分散される。そうしてもうほとんど、誰の記憶からも失われる。
記憶とは浅はかなものだ。ぼくらには記憶をもう少し厳密に定義する必要があるのではないか。つまり、記憶を自己と同一視することは辞めにしないか?こういった論旨はあらゆるところに散見され得る。たとえば結果とは何か?結果を重視するとのたまう彼に、結果とは何かを厳密に説明できるのか?否である。主張には、その主張を構成する言葉をきちんと知る必要がある、或いは、知らしめる必要がある。
つまり耳が痛い深夜の話だ、いや、もう朝も近かったかもしれない。これが記憶の浅はかさだ。どれだけスプーンが頑丈でも、スープはいつも不安だ。それは誰にも、何にも、依存しないからだ。今日美しいものが、明日醜くても、誰にも文句を言う権利はないということだ。ぼくのイメージは中央アフリカのサバンナに飛び、すぐさま北欧の海岸線に飛んだ。フィヨルドの底には財宝が眠ると言った。ぼくはそれを信じない。ナルヴィクの不凍港には悪魔が居ると言った。ぼくはそれも信じない。どうしてそれならムンクが居るのだ?ムンクは果して居なかったのか?ノルウェーのイメージは光を失って、ビートは戻り、痛みはぼくを引き戻す。音楽が鳴り止んだ。
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