2013/08/25

真夏の果実

地区の小さな夏祭りにかりだされて手伝いをしてきた。ビンゴ大会と抽選会の仕事だった。祭りには多くの家族連れや子供たちが訪れる。ぼくも小学生、中学生時分には友人や家族と毎年来たものだった。様子は変わっていなかった。十年前とほとんど何ら。体操着の中学生たちが照れくさそうな顔で焼き鳥を買い、乳房の大きな新妻が赤ん坊を抱いて鰯雲を眺めている。おじさんたちはビールを片手に歓談に耽り、曲がった高校生は眉にピアスを空けた女を連れて夏を惜しむ。

そうした風景の中で、知らぬうちに自分の知り合いのほとんど居ないことに気がついた。ぼくと同じように、彼らもまた地元を離れ暮らしているのだ。たまたま今年実家に居て、たまたま親に仕事を任されたからぼくはここにいるのであって、そうでなければぼくもまた、多摩川の花火を最後に夏の終わりを待とうとしていたのだ。

それは妙な感覚だった。空気は同じだ。そこに居る人間の種類も同じだ。しかしぼくの認識はその傾向、或いは枠のみにとどまるものだ。間違っても具体に踏み入れることはない。なぜならば、ぼくは彼らの種類には大きく感じさせられるが、彼ら自身を知らないからだ。
そして又、一方で、ぼくは背だけが伸びたに過ぎず、結句この水溜りに浸かり続けているのだ。流動性を含まない、浅く広い水溜りで、ぼくはその中だけをゆっくりたゆたう。ノスタルジーではない。なぜならば、ぼく以外のものは全て既にここにはないからだ。

係りを終えて、二十時ごろからいよいよビールをしこたま飲んだ。けれども話す相手なんて居ないから、ずっと音楽を聴いていた。高校二年の毎日をそうしたように、サザンの真夏の果実を延々とリピートし続けたのだ。夜はすっかり過ごしやすい気温だ。汗もひいて、日は暮れた。鰯雲の影が月明かりで透けて、ぼくは同じような空を見た多摩川を少し思い出した。川崎の側で花火を見たのはつい十日ほど前のことだ。そのときもこうしてビールを飲んでいたな、と思った、花火は美しかった。

懐かしいと思うことが多くなった。これは当然のことだが、しかしぼくは未だ二十二である。この年でかくも感じるのだから、これからもし何十年と生きていくのなら、そのうち人生のほとんどを懐かしみの中に暮らさなければならなくなるのかもしれない。ちょっと考えにくいことだが、でもこれまでを思うと、それが自然だ。
会場になった公園は、中学一年のころ付き合っていた彼女と一度だけ訪れたことがあった。誰も居ない平日の夜に、何と無しに集合場所をそこにして話をしたのだ。何を話したのかは覚えていない。記憶にあるのは、彼女が滑り台の一等したの部分に腰をかけてこちらに手を振ったのと、ぼくが彼女を本当に心の底から愛していたということだ。

・・・恥じらいというものがないのか?
けれどもそうなのだ。それが事実だ。
当時のぼくには、恋愛はごく簡単なことだった。

今では分からないことが多い。人生は経験だと言う人がいる。ぼくはそうではないと思う。彼らはぼくの話を聞くときまって「揚げ足を取るな」だとか、「例外を述べ立てるでない」だとか云々のたまう。
経験するにつれ、ぼくは阿呆になっている気がするのだ。

人を愛するとはどういうことか。それは真実にはどういう感覚でぼくの中に在るべきものであったか。性愛を除いて、確かにぼくは女性を心底愛することができたはずなのだ。関係性やほかの理屈を放り投げて、その人だけを愛することができたはずなのだ。

ぼくはイギリスに渡り、彼女はそのうちぼくと別れようと言った。仕方ないことだ。そうしてぼくの同級生と付き合い、そのれは五年ほども続いたと言う。これは最近地元の旧友に聞いた話だ。しかしつい先日、その彼と別れた。そうして今荒れている、と。ぼくはなんともいえない気持になった。
いや、いやな気分になった。

一体、どうしてそう効率性を損なうのだろうか。
ぼくにはまったく理解ができない。

確かに人は間違うだろう。けれども彼らは幾度も間違い、それを悟って尚、同じことを繰り返す。

訳がわからぬ。明日会う人にはその話を、できるだけ退屈でないように話したい。

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