2013/11/13

11/8,9,10

 マッシュルームのアヒージョで火傷をした上顎の痛みは無くなった。彼女の部屋の匂いがついたシャツも洗濯機の中で回り、少しずつ、またもとの生活に戻っていく。富山に出発する日の夕方に肺を疼かせた低気圧は週末を越えて東シナに去りゆき、代わりにシベリアからおりてきた重たく冷たい高気圧が、朝を一層寒くする。ほとんど震えて目を覚ますと、真横のテーブルに残ったブランデーの匂いに気が付いて、それがほかでもないぼくの部屋であることに気が付く。彼女はもう、遠くなのだ。ベッドを出てフリースの部屋着を羽織って、服を着たまま頭だけ、暑いシャワーで流した。それから髭を剃って歯を磨く。歯ブラシを咥えたままレコードプレイヤーのスイッチをいれると、昨夜眠り際に聴いていたグレン・ミラーがかかる。

 彼女の気配が無い。ぼくの生活は神奈川県の端、海も見えない湘南の冬にじっと座り込んでいるだけだ。口をゆすぐと、彼女と観た映画のことを思い出した。白い壁にもたれて、酒を飲みながら二時間半、ぼくらは観た。その間にビールをひと缶ずつ、ワインを一本空けた。エンドロールの頃には、彼女の息は幾分波立っていた。ぼくは終始、涙しそうだったのだ。今度はいつ会えるのかと尋ねる彼女の目は酒の所為か潤んでいて、思わず長い時間のことを思った。少なくとも九年はかからないよ、すると彼女は無邪気に笑った。長い間ごめんなさいと笑った。ぼくはキッチンに立って薬缶からお茶を注ぎ、彼女のもとに戻った。彼女は眠っていた。



 一人、カサブランカを観た。何度目だろう、とにかく、これまで何度も観た。

 今回気付いたことがあった。それはぼくがイングリッド・バーグマンを好きな理由だ。それは彼女に似ていた。横顔、見上げる仕草、目を閉じて頬笑む様、それはまさに彼女に似ていた。口角の上がり方、目の形、首筋の伸び方。結局のところ、ぼくは彼女の影を追い続けていたのかもしれない。ずっと長い間、ぼくは彼女のことだけを考えていたのかもしれない。

 どうしようもない気持になる。

 来月も又会えたらいい。何にも代えがたい思いだ。それはほとんど奇跡と思われる。ぼくには未だ、信じることができないくらいだ。

2 件のコメント:

  1. 奇麗で静かなショート・フイルムのようだね
    夜更けに読んでいると すーっと浸透してきます

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  2. 無上の賛辞、ありがとうございます。
    浸透する、というのがすごくうれしいです。
    そういう文章を書きたいです。

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