クラシックとジャズとをただ只管に流しまくりながら、惨憺たる部屋を片付けんとしている。立ち込める滞留せし空気と塵とを肌に内臓に感じながら、ただ要らぬものを分けていく。冬ものの多くを実家に送り返すことにした。そしてできる限りものを減らすことにした。就職活動を前に、少しでも過ごしやすい環境をこの部屋には備えなければならない。そう思うのだ。
心が乱れているのは部屋が乱れているからだ。
ぼくは寂しい。
サラ・ヴォーン、サミー・デーヴィス・ジュニア、アル・ジャロウ、フランク・シナトラ、メル・トーメ。ヴォーカル・ジャズ。リスト、ラフマニノフ、ショパン、モーツァルト、そういうものも。新世界より、ドヴォルザーク。このまま眠りたいと思う。でも背中にはじっとりと汗をかいている。チェット・ベイカーのシング。或いはストックホルムでのマイルス・デイヴィス。ぼくは部屋を片付けて、シャワーを浴びてすっかり気持ちよく眠りたいのだ。と、レイ・チャールズの出てくる辺りがよい。これをジャズと呼べるのか、分からぬがヴォーカル・ジャズ・トラックに収録されている。このCDが終わったら何をかけようか。サッチモのLPが一枚あるのだ。けれどもチャーリー・パーカーも捨てがたい。彼のように麻薬と酒とに溺れて…そうだ、彼は35で死んでいるのだ。それはぼくに暗示的な何かを見せる。というわけでも、チャーリーをかけようじゃないかと思うのだ。このCDは名古屋駅地下にかつてあった書店のカゴで贖ったものだ。高校生の時だった。今でも覚えているさ、エスカレータの脇にそのカゴはあったのだ。
ジョー・スタッフォードが歌う。
When they begin
the beguine
it brings back the sound
of music so tender
it brings back a night
of tropical splendor
it brings back a memory of green
ああ、まさにこういうものだ。
ぼくはこのアヘン窟のような寝床に蠢きながら、音楽にのってどこへでも行けるのだ。どの瞬間にも遡ることができるのだ。シーツの擦れる音がする。喉が微かに震える。雨の記憶だ。マクドナルドと花火の匂い。そういう瞬間、ぼくがまさにぼく自身であった瞬間が、音波の尾根に、谷に、ひとつひとつのうねりに残っている。或いは、ハミルトン島の珊瑚、地中海の青、中学一年に二人で上った、早朝の緩やかな坂。そういうぼくだけのものが、ぼくだけの音楽に、確かに、残されている。
埃を手で払うようにして、ぼくは音楽の調べに目を閉じる。そういう夜があってもよいだろう。とはいえ片付けは続く。ぼくは現実から逃げたいというんでもないからだ。
2013/06/30
2013/06/21
雨の鎌倉の印象
昼を過ぎてから万年床を這い出し、紫陽花を見に鎌倉へ出かけた。外では小雨がずっと、一日中降っていて、靴や靴下が濡れてしまうのが嫌だったから、サンダルを履いた。藤沢で江ノ電に乗り換えて、極楽寺でおりた。極楽寺と成就院を歩いて、それから長谷寺まで歩いた。思いのほか、疲れた。しかし紫陽花は実に美しかった。眺望に重なる紫陽花の紫と、雨に煙る由比ガ浜の白とが、ぼんやりとはしているがしかし何か印象的なコントラストで、際立っていた。
*
研究会(言語の方)の最終プレゼンの準備として、いろいろな洋楽を聴いては歌詞を訳している。The Beatlesはぼくの人生における音楽というものの大半を占めているグループなのだけれど、改めて聴くとやっぱり、いい。
"You stay home, she goes out
She says that long ago she knew someone but now he's gone
she doesn't need him
Your day breaks, your ming aches
There will be times when all the things she said will fill your head
You won't forget her"
*
研究会(言語の方)の最終プレゼンの準備として、いろいろな洋楽を聴いては歌詞を訳している。The Beatlesはぼくの人生における音楽というものの大半を占めているグループなのだけれど、改めて聴くとやっぱり、いい。
"You stay home, she goes out
She says that long ago she knew someone but now he's gone
she doesn't need him
Your day breaks, your ming aches
There will be times when all the things she said will fill your head
You won't forget her"
2013/06/20
風の強い夜
一日中寝惚けていたような感じ。何も手につかず、何も考えられない。その原因はただひとつで、それは寝不足。ほかに何も理由はないだろう。ただの寝不足。強いて言うなら、研究会が結構忙しいということくらいかな。あと、金を使いすぎている。酒って高い。そうしてぼくには金がないのではなくて、むしろ酒を飲む金があるということだ。それが過ぎた結果の貧しさなのだ。なんて贅沢なんだ、嫌気がさしてしまう。
今日こそはと何度思っても眠れない。昼間は眠いのに、夜眠れない。ずっと夜だったらいいのに、と思う。ずっと朝が訪れなければいいのに。気紛れに煙草を咥えて外に出て、カツカレーでも買って帰り道の公園の立派な机でそれをかきこんで、音楽を聴く。街灯の情に満ちたあたたかい明りのもとでぼくは古今東西の音楽を口ずさむのだ。それにも飽きたら酒を煽って家路につく。シャワーを浴びて、また音楽を聴きながら微睡むのだ。永遠の真夜中では、充実した睡眠などは必要ない。寝るだけ寝て、あとは起きていればよいのだ。気が向くなら女の子を呼んで話をしてもいい。旧友と昔のことを思い出してもいい。夜は終らないのだから、ぼくらは自由だ。
自由とは何か、馬鹿げている。
ぼくには今夜があって、もう少しすれば夜明けがある。それがぼくの一生というものなのだし、そうである以上、ぼくはそれを乗りこなさなくちゃならない。早く寝ましょう。
今日こそはと何度思っても眠れない。昼間は眠いのに、夜眠れない。ずっと夜だったらいいのに、と思う。ずっと朝が訪れなければいいのに。気紛れに煙草を咥えて外に出て、カツカレーでも買って帰り道の公園の立派な机でそれをかきこんで、音楽を聴く。街灯の情に満ちたあたたかい明りのもとでぼくは古今東西の音楽を口ずさむのだ。それにも飽きたら酒を煽って家路につく。シャワーを浴びて、また音楽を聴きながら微睡むのだ。永遠の真夜中では、充実した睡眠などは必要ない。寝るだけ寝て、あとは起きていればよいのだ。気が向くなら女の子を呼んで話をしてもいい。旧友と昔のことを思い出してもいい。夜は終らないのだから、ぼくらは自由だ。
自由とは何か、馬鹿げている。
ぼくには今夜があって、もう少しすれば夜明けがある。それがぼくの一生というものなのだし、そうである以上、ぼくはそれを乗りこなさなくちゃならない。早く寝ましょう。
2013/06/16
滑落
今日はまあ、細々としたことを済ませた。試合は結局雨で流れた。皮肉にも昼過ぎに外はよく晴れて、夕方にダンスサークルの最終公演後の友人を労いに出かけた後、喫茶店で課題を進めて、八時ごろから友人と後輩と共に大戸屋で晩飯を食った。そのあとマクドナルドでコーヒーを飲みながら本を読んだ。ぼくのちょうど背後の席には同じ大学の、知り合いではないが名前を知っているという程度の男が一人で黙々と何かを考えている様子だった。彼はきっと面白い男なのだろうと思う。けれども声はかけなかった。ぼくにも黙々と考えるべきことがたくさんあったからだ。
ある授業の課題で、臓器移植や同性婚に関する意見を書かされた。驚いたのは、高校時分の意見とほとんど変わっていないことに気が付いたときだ。ぼくは悲しくも嬉しくもあった。いろいろなことを踏まえて変わっていないのか、それともただ何も動きがないだけなのか、ぼくには分からない。あるのは文字に起こされたぼくのオピニオンのみだ。
隣の席に座っていた女の子の匂いがすごく素敵だった。彼女は眼鏡をかけていた。ワンピースを着ていた。マッキントッシュに向かって難しい顔をしていた。中間課題の時期だ。音楽を聴いていないところと、髪の黒いところと、アディダスのスニーカーを履いているところに好感が持てた。彼女は本当に良い匂いがした。
窓の外を老人が歩いて行った。よれた煙草を咥えて、濁った眼で前を見ていた。老いというのは難しい問題だ。彼だって半世紀前にはぼくのような若者だったはずだ。だのにどうして、彼はそんなに変わってしまったのだ?
変わってしまう。
ぼくも、背後の彼も、隣の彼女も。
ぼくはきっと猫背が増して、彼の髭は白くなって、彼女の匂いは失われる。
変わってしまうのだ。
*
ゆっくりと重厚な音楽が流れている。ぼくは阿呆だ。ゆっくりであれ、それは確かに流れている。何かの小説で出てきた城郭都市のイメージを思い出す。高く頑丈な漆喰の壁が歪な形で街を囲っているだろう。住民はおそらく出入りを制限されているだろう。甲冑の騎士たちが門番をしているだろう。それは共同体としては不動でありながら、その内部ではそれぞれが細胞のように蠢いている。そういう街だ。
*
涙を見ると苛立つ。帰りのベンチでアベックの女が泣いていた。ぼくは腹が立った。どうして泣くのだ?それでは何も見えやしないだろう。目を見開け、老人のように、今すぐに涙を拭って、いかなる形でもいい、前を見ろ。
ぼくだって泣きたいんだよ。くそったれ。
ある授業の課題で、臓器移植や同性婚に関する意見を書かされた。驚いたのは、高校時分の意見とほとんど変わっていないことに気が付いたときだ。ぼくは悲しくも嬉しくもあった。いろいろなことを踏まえて変わっていないのか、それともただ何も動きがないだけなのか、ぼくには分からない。あるのは文字に起こされたぼくのオピニオンのみだ。
隣の席に座っていた女の子の匂いがすごく素敵だった。彼女は眼鏡をかけていた。ワンピースを着ていた。マッキントッシュに向かって難しい顔をしていた。中間課題の時期だ。音楽を聴いていないところと、髪の黒いところと、アディダスのスニーカーを履いているところに好感が持てた。彼女は本当に良い匂いがした。
窓の外を老人が歩いて行った。よれた煙草を咥えて、濁った眼で前を見ていた。老いというのは難しい問題だ。彼だって半世紀前にはぼくのような若者だったはずだ。だのにどうして、彼はそんなに変わってしまったのだ?
変わってしまう。
ぼくも、背後の彼も、隣の彼女も。
ぼくはきっと猫背が増して、彼の髭は白くなって、彼女の匂いは失われる。
変わってしまうのだ。
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ゆっくりと重厚な音楽が流れている。ぼくは阿呆だ。ゆっくりであれ、それは確かに流れている。何かの小説で出てきた城郭都市のイメージを思い出す。高く頑丈な漆喰の壁が歪な形で街を囲っているだろう。住民はおそらく出入りを制限されているだろう。甲冑の騎士たちが門番をしているだろう。それは共同体としては不動でありながら、その内部ではそれぞれが細胞のように蠢いている。そういう街だ。
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涙を見ると苛立つ。帰りのベンチでアベックの女が泣いていた。ぼくは腹が立った。どうして泣くのだ?それでは何も見えやしないだろう。目を見開け、老人のように、今すぐに涙を拭って、いかなる形でもいい、前を見ろ。
ぼくだって泣きたいんだよ。くそったれ。
土曜の蒸気
暗闇の中で文章を書こうとしている。というのは、つまり物理的な話だ。ぼくは部屋の明かりをすっかり消して、パソコンだけを点けてこれを書いている。スピーカーからは斉藤和義。濃密な夜の中で、また眠れなくなった。明日はきっと試合はないだろうし、それならいっそ、この雨を楽しもうじゃないかと思うのだ。暗闇。
*
ダンスサークルの公演を観に行った。二年連続、合計三度目。やはりすごく、面白い。一つの芸術だ。はっきり言って、ぼくは以前ストリートダンスたるを舐めていた。しゃらくせえと思っていたのだ。けれどもすごい。多くの友人を発見しては感動していた。ぼくらは一年の頃から飲んでいた。彼らは途中で抜けるのだ。深夜練があるから、と。彼らはタフだ、そしてまともだ。
それから酒を飲んだ。友情だとか愛情だとか、支配欲だとか嫉妬だとか。海から吹いてくるじっとりと湿った風が大地を這ってやってきた。ビールのグラスにはすぐに水滴がまとわりついた。なんといっても梅雨なのだ。世界全体が膜をはっているようだ。何もかもがヴェールの向こう側にあるように感じる。或いは、ぼくだけがヴェールの下に隠されているのかもしれない。
渦巻く欲望がジェラシーの色を含んでなんだかよく分からないことになっている。ノブクリークのロックを最後に二杯飲んで、アンチョビポテトを平らげると会計を済ませて別れた。ぼくは本を読みたいと思ったけれど、それにしては汗が残っていたし、何より眠かった。早く帰ってシャワーを浴びて寝てしまおうと思った。けれどもこの有様だ。ぼくは眠れない。
そう、ぼくには見えるのだ。渦を巻いて竜巻のごとく空に伸びるぼくの心情が。帰り道、まだ雨の降らぬ道を自転車でゆっくり進んでいると、確かにそこには渦があった。ぼくは恐ろしくなって、目をそむけた。ぼくはぼくだけの殻に閉じこもっている。分かってる。けれども外に出ようと思えないのだ。ぼくは結局、ぼくだけでしかない。大切な友人も、頼りがいのある先輩も、無邪気な後輩も、可愛くていやらしい女の子も、結局ぼくの横を通り過ぎていく。そういう感覚がずっと剥がれない。どれだけ腹を割っても、どれだけ体を重ねても、ぼくは共有されない。でもこれは当然のことだ。何も不思議じゃない。だってぼくはぼくだけでしかありえないし、理解されようとすらしていないからだ。
寂しい、と思う。ずっとぼくは寂しかったし、きっとこれからも寂しいのだろう。救われたいと、思わないわけではない。もし本当に、誠実に、嘘をつかずにぼくに触れてくれる人がいるのなら、ぼくは彼女と酒を飲みたい。けれど怖いのだ。ぼくにとって愛の価値は暴落し続けている。安物には何があろうと触れたくない。この感情は一体なんだ?汚らしいナルシシズム、或いは不道徳なヒロイズム。バドワイザーを飲み干すと、ようやく眠気が訪れた。
*
ダンスサークルの公演を観に行った。二年連続、合計三度目。やはりすごく、面白い。一つの芸術だ。はっきり言って、ぼくは以前ストリートダンスたるを舐めていた。しゃらくせえと思っていたのだ。けれどもすごい。多くの友人を発見しては感動していた。ぼくらは一年の頃から飲んでいた。彼らは途中で抜けるのだ。深夜練があるから、と。彼らはタフだ、そしてまともだ。
それから酒を飲んだ。友情だとか愛情だとか、支配欲だとか嫉妬だとか。海から吹いてくるじっとりと湿った風が大地を這ってやってきた。ビールのグラスにはすぐに水滴がまとわりついた。なんといっても梅雨なのだ。世界全体が膜をはっているようだ。何もかもがヴェールの向こう側にあるように感じる。或いは、ぼくだけがヴェールの下に隠されているのかもしれない。
渦巻く欲望がジェラシーの色を含んでなんだかよく分からないことになっている。ノブクリークのロックを最後に二杯飲んで、アンチョビポテトを平らげると会計を済ませて別れた。ぼくは本を読みたいと思ったけれど、それにしては汗が残っていたし、何より眠かった。早く帰ってシャワーを浴びて寝てしまおうと思った。けれどもこの有様だ。ぼくは眠れない。
そう、ぼくには見えるのだ。渦を巻いて竜巻のごとく空に伸びるぼくの心情が。帰り道、まだ雨の降らぬ道を自転車でゆっくり進んでいると、確かにそこには渦があった。ぼくは恐ろしくなって、目をそむけた。ぼくはぼくだけの殻に閉じこもっている。分かってる。けれども外に出ようと思えないのだ。ぼくは結局、ぼくだけでしかない。大切な友人も、頼りがいのある先輩も、無邪気な後輩も、可愛くていやらしい女の子も、結局ぼくの横を通り過ぎていく。そういう感覚がずっと剥がれない。どれだけ腹を割っても、どれだけ体を重ねても、ぼくは共有されない。でもこれは当然のことだ。何も不思議じゃない。だってぼくはぼくだけでしかありえないし、理解されようとすらしていないからだ。
寂しい、と思う。ずっとぼくは寂しかったし、きっとこれからも寂しいのだろう。救われたいと、思わないわけではない。もし本当に、誠実に、嘘をつかずにぼくに触れてくれる人がいるのなら、ぼくは彼女と酒を飲みたい。けれど怖いのだ。ぼくにとって愛の価値は暴落し続けている。安物には何があろうと触れたくない。この感情は一体なんだ?汚らしいナルシシズム、或いは不道徳なヒロイズム。バドワイザーを飲み干すと、ようやく眠気が訪れた。
2013/06/15
突堤を海に向けて歩けば死について分かるだろう
(昔、イタリアの何処かの町にて)
部屋を出る直前まで一日雨が降るという予報だったのに、大学に着くころには強い日差しが射していた。図書館で研究会の発表スライドを練って、二時間ほど話し合い、それから二時間ほどは、一人で文章を書いていた。なかなかうまくいかない、相変わらずだ。
それから一旦部屋にかえってシャワーを浴びた。音楽を聴いて映画を観ようとしたけれど、気が変わってドトールに向かった。二十一時まで本を読んで、店が閉まるので反対側のミスドに移った。そこからはゆっくりと文章を書いた。うまく書けた、珍しいことだ。
二十三時ごろにKがやってきて飲みに行こうと言った。ぼくはそれに従った。一時間ほど後輩を待って、それから最近開店した居酒屋に入った。いろいろと言いたいことはあるが、ぼくは黙ることにした。ビールをジョッキに四杯飲んで、店を出た。帰りに緑色のビールを二缶買って帰宅。途中でものすごく可愛い女の子とすれ違った。あんなに暗い道をひとりで歩いたら危ないなあと思った。けれどもすごく可愛かったので、歩いていてよかったなと思った。胸の形がくっきりとシャツに浮かんでいた。ぼくは自転車でその横を通り過ぎた。部屋に戻ってシャワーを浴びて音楽を聴きながらビールを飲んでいる。ウイスキーもある。これから映画を観ようか迷っている。
*
話すようになったのかもしれないし、黙るようになったのかもしれない。とかく沈黙を埋めることは多くなっただろう。それは悲しいことだ。ぼくの意志とは裏腹に、空虚な言葉が次々と流れ出てくる。けれどもそれはある意味では仕方ないことだと許してほしい。ぼくは決して無思考に従っているわけではない。むしろ、思考したいがために、本質的な意味では沈黙したいが故に、しゃあなしに口を動かしてしまっているのに過ぎないのだ。
人は変わる、確かに、表面的には変わるだろう。しわが寄ったり、髭が伸びたり。或いは精神的なことに関しても、表層の変化は抗いがたい。けれども、その芯は、意識次第でメインテナンスが可能だ。そう思う。
*
黙ることはすごく大事だと思う。しかし同時に、語ることも肝要だ。それを忘れてはいけないと思う。二本目のビールを取り出しに行こうと思う。無性に寂しくなる。でもこれは排すべき感覚ではない。何か別のもので埋めるべきものでもない。ぼくはそれを愛するべきだ。満たされなくてはじめて、ぼくは両足で立つことができるのだから。
憂いが雨の湿り気と一緒に空に浮かんでいく。それが月を曇らせて、意味ありげに滲んだ明かりがぼうっと、部屋に染み入ってくる。女の子のことと、海のことを考えている。突堤を歩けば、きっと死について分かるだろう。
2013/06/09
急げ!
課題をしなくちゃならないのに、起きてから何もしていない。はやくゴミをまとめて捨てて、ある程度の整理をして、喫茶店に向かわなくちゃ。五時にはやってくるのだから。それまでに17枚のやつらに線をひいて分類して、考察してメモを取らなくちゃ。プログラミングの課題はどうしようもない。
コーヒーを飲みたい。洗濯機が回り終わるまでに食器も片付けよう。夕方は映画でも観ながらゆっくりしたいなと思うけれど、どうなるかは分からない。飲みに出かけるかもしれないし、眠りこけるかもしれない。未来の自分は予測できても、未来の現象は予測できないのだ。それは地震と一緒だ。地震という事象を予測できることは誰にもできないし、この間のような絶望的な、不可避な災厄としてそれがもたらされたとき、何よりも重要なのは自分であることだ。自分自身の未来は、その意志によって如何様にもなる。いいか、大切なのはハードの面ではないはずだ。
地震は起きるし、そうすれば必ず人は死ぬ。建物は倒れるし、経済は混乱する。ただいつでもぼくはぼくであるべきなんだ。それだけが大事だ。そういう為の啓発が今の日本には求められているのだと思う。しかし悲しいかな、技術だけが独り歩きした所為か、この国を取り巻く精神性は涙が出そうなほど幼稚だ。根幹からの改革が不可欠であることは言うまでもない。そしてそれは権力や経済や民衆とはずっと離れた無関係の場所で点火されるべきだ。まっこと綿密な準備が必要だ。
急げ!飯を食らって立ち上がれ!おれ。
コーヒーを飲みたい。洗濯機が回り終わるまでに食器も片付けよう。夕方は映画でも観ながらゆっくりしたいなと思うけれど、どうなるかは分からない。飲みに出かけるかもしれないし、眠りこけるかもしれない。未来の自分は予測できても、未来の現象は予測できないのだ。それは地震と一緒だ。地震という事象を予測できることは誰にもできないし、この間のような絶望的な、不可避な災厄としてそれがもたらされたとき、何よりも重要なのは自分であることだ。自分自身の未来は、その意志によって如何様にもなる。いいか、大切なのはハードの面ではないはずだ。
地震は起きるし、そうすれば必ず人は死ぬ。建物は倒れるし、経済は混乱する。ただいつでもぼくはぼくであるべきなんだ。それだけが大事だ。そういう為の啓発が今の日本には求められているのだと思う。しかし悲しいかな、技術だけが独り歩きした所為か、この国を取り巻く精神性は涙が出そうなほど幼稚だ。根幹からの改革が不可欠であることは言うまでもない。そしてそれは権力や経済や民衆とはずっと離れた無関係の場所で点火されるべきだ。まっこと綿密な準備が必要だ。
急げ!飯を食らって立ち上がれ!おれ。
2013/06/07
退屈な休日
昼前に起きて、サイダーを飲んで、カップめんを啜って、音楽を聴きながら洗濯をして、部屋を片付けるのは面倒だから辞めて、夕方から映画を観た。高校生のころ、彼女と観に行った映画だ。ビートルズの音楽と、斉藤和義の音楽。改めて観ると、なお面白い。映画そのものを包含するような音楽。
「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」と言った。ぼくは違うと思う。いや、たしかに、ある場合にはそうかもしれない。けれどもあまりに省きすぎている感がある。習慣と信頼は確かに武器になる。けれども、それらの根底にあるのはやはり”猜疑”ではないか?習慣も信頼も、猜疑の上に成り立っている。猜疑の果てに、ぼろぼろになった挙句に、本当の友人はいるのではないか。本当の信頼は成立するのではないか。人は普段、簡単に裏切るからだ。ドラマとは違う。
iphoneの画面が割れて、もうぼろぼろになっている。どうしたものか。ぼくは何にもやる気を見出すことができないでいる。とりあえず、この退屈な休日を締めくくるためにも、マクドナルドに寄ってドトールに向かおう。研究会の課題に向かおう。
「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」と言った。ぼくは違うと思う。いや、たしかに、ある場合にはそうかもしれない。けれどもあまりに省きすぎている感がある。習慣と信頼は確かに武器になる。けれども、それらの根底にあるのはやはり”猜疑”ではないか?習慣も信頼も、猜疑の上に成り立っている。猜疑の果てに、ぼろぼろになった挙句に、本当の友人はいるのではないか。本当の信頼は成立するのではないか。人は普段、簡単に裏切るからだ。ドラマとは違う。
iphoneの画面が割れて、もうぼろぼろになっている。どうしたものか。ぼくは何にもやる気を見出すことができないでいる。とりあえず、この退屈な休日を締めくくるためにも、マクドナルドに寄ってドトールに向かおう。研究会の課題に向かおう。
2013/06/03
寝言
「自分のこと好きなの?」と聞かれた。「私は自分のことが好きになれない」
言葉に詰まった。よく考えてみたら、ぼくはぼくのことをあまり好きではなかったのだ。これは不思議だった。これまでぼくはぼく自身を物凄く好きでいるつもりであったのだから、シンプルなその質問を浴びせられて戸惑っている自分に、なんだか妙な感覚を覚えた。
「難しい質問だな」とぼくは言った。「よくよく考えると、自分のこと、好きじゃないかもしれない」
「ふうん」と彼女は言った。「不思議だなあ」
ぼくだって不思議だった。「好きではないけれど、何よりも自分が大切なのかもしれない」
「誰だってそうでしょ、私もそうだから」
確かにそうだった。
だからと言ってやはりぼくは自分のことが好きなのか、と考え直してみても、どうにも嫌いなところが多いのだ、もちろん好きなところもある。けれども、別の誰かになれるのだとしたら、今すぐにでもなりたいと思う。それってつまり自分を愛せていないということではないか。
早慶戦は慶應の二連敗で終わって、今日はきちんと講義も研究会もあるのだ。ぼくは朝起き抜けからプレゼンの原稿を書きなおしていた。憂鬱だが仕方ない。これからシャワーを浴びて、出かける。プレゼンさえ終えてしまえば、今夜は横浜だ。ワインが飲めるのだ。
「誰かといると考えなくて済む」と言った女の子がいるけれど、ぼくはそういうのってないよなと思う。男を愛する理由にそれをあげるあたり、もうどうしようもない。いいだろうか、考えることから逃げれば、ぼくらはおしまいなのだ。そんなことすらできずに、まっとうな人であれるはずがない。
「幸せだと感じている人ほど長生きします」と教授は言っていたが、そういうことならぼくは長生きしなくたっていい。幸せを目的にしたら、終わりだ。それは無思考をたぶんに含みうるからだ。いいかい、きっとぼくらは苦しんでいたっていいのだ。辛いことは悪いことじゃないし、幸せなことは素晴らしいことではない。価値観を根本的に疑え、そうしてまい進するべきだ。
2013/06/01
やる気について
やる気は出るものではなくて、けれども出すものでもない。
なんとなく続けていれば自ずと出てくるものだ、たぶん。
それはきっと完全に理想的なアウトプットにはつながらないにしても、少なくともその足掛かりのようなものにはなることもあるだろう、と、思う。
たまにはこういうのも悪くない。
*
プレゼンの資料を練っているうちに日を跨いで、野村の誕生日が終わって六月が訪れた。眠気がぼうっと頭にまとわりついていて、相変わらずベッドの上は散らかっている。換気扇はすっかり直って、異音はもうしない。あれば煩わしいけれど、無くなると寂しくなるものってたくさんある。もしかしたら全てがそういうものなのかもしれない。一見不幸に思えても、その不在もまた不幸なのではないか?とすればやっぱりなんだ、人生と言うのは畢竟不幸なものである。
明日は早慶戦だ。行きたくなんかない。けれど体育の単位になるし、まあ先輩も来てくれるので、行く。朝みんなは駅で集まるようだけれど、面倒だからぼくはひとりで行こう。音楽を聴きながら眠るか、本を読んでいく。人と行くとそれができないのがつまらない。電車の中で何を話すというのだ?それは危険すぎるのだ。幾つもの街をわずかの時間で通り過ぎるような状況の中で、対話なぞ成り立つはずがないのだ。それは危険なことだ。自ら損なわれに行くようなものだ。
電車の中では読書がよい。それはなんといっても、リズムがあるからだ。ぼくは周りから完全に存在を隔て、尚且つ包含される。その感覚がなんともよい。工学的なリズムと、精神的な沈吟とがあいまって、それは実に有意義だ。ようし、決めたぞ。明日の朝は読書をしよう。
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