言葉に詰まった。よく考えてみたら、ぼくはぼくのことをあまり好きではなかったのだ。これは不思議だった。これまでぼくはぼく自身を物凄く好きでいるつもりであったのだから、シンプルなその質問を浴びせられて戸惑っている自分に、なんだか妙な感覚を覚えた。
「難しい質問だな」とぼくは言った。「よくよく考えると、自分のこと、好きじゃないかもしれない」
「ふうん」と彼女は言った。「不思議だなあ」
ぼくだって不思議だった。「好きではないけれど、何よりも自分が大切なのかもしれない」
「誰だってそうでしょ、私もそうだから」
確かにそうだった。
だからと言ってやはりぼくは自分のことが好きなのか、と考え直してみても、どうにも嫌いなところが多いのだ、もちろん好きなところもある。けれども、別の誰かになれるのだとしたら、今すぐにでもなりたいと思う。それってつまり自分を愛せていないということではないか。
早慶戦は慶應の二連敗で終わって、今日はきちんと講義も研究会もあるのだ。ぼくは朝起き抜けからプレゼンの原稿を書きなおしていた。憂鬱だが仕方ない。これからシャワーを浴びて、出かける。プレゼンさえ終えてしまえば、今夜は横浜だ。ワインが飲めるのだ。
「誰かといると考えなくて済む」と言った女の子がいるけれど、ぼくはそういうのってないよなと思う。男を愛する理由にそれをあげるあたり、もうどうしようもない。いいだろうか、考えることから逃げれば、ぼくらはおしまいなのだ。そんなことすらできずに、まっとうな人であれるはずがない。
「幸せだと感じている人ほど長生きします」と教授は言っていたが、そういうことならぼくは長生きしなくたっていい。幸せを目的にしたら、終わりだ。それは無思考をたぶんに含みうるからだ。いいかい、きっとぼくらは苦しんでいたっていいのだ。辛いことは悪いことじゃないし、幸せなことは素晴らしいことではない。価値観を根本的に疑え、そうしてまい進するべきだ。
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