2013/06/01

やる気について

 

 やる気は出るものではなくて、けれども出すものでもない。

 なんとなく続けていれば自ずと出てくるものだ、たぶん。

 それはきっと完全に理想的なアウトプットにはつながらないにしても、少なくともその足掛かりのようなものにはなることもあるだろう、と、思う。

 たまにはこういうのも悪くない。



 プレゼンの資料を練っているうちに日を跨いで、野村の誕生日が終わって六月が訪れた。眠気がぼうっと頭にまとわりついていて、相変わらずベッドの上は散らかっている。換気扇はすっかり直って、異音はもうしない。あれば煩わしいけれど、無くなると寂しくなるものってたくさんある。もしかしたら全てがそういうものなのかもしれない。一見不幸に思えても、その不在もまた不幸なのではないか?とすればやっぱりなんだ、人生と言うのは畢竟不幸なものである。

 明日は早慶戦だ。行きたくなんかない。けれど体育の単位になるし、まあ先輩も来てくれるので、行く。朝みんなは駅で集まるようだけれど、面倒だからぼくはひとりで行こう。音楽を聴きながら眠るか、本を読んでいく。人と行くとそれができないのがつまらない。電車の中で何を話すというのだ?それは危険すぎるのだ。幾つもの街をわずかの時間で通り過ぎるような状況の中で、対話なぞ成り立つはずがないのだ。それは危険なことだ。自ら損なわれに行くようなものだ。

 電車の中では読書がよい。それはなんといっても、リズムがあるからだ。ぼくは周りから完全に存在を隔て、尚且つ包含される。その感覚がなんともよい。工学的なリズムと、精神的な沈吟とがあいまって、それは実に有意義だ。ようし、決めたぞ。明日の朝は読書をしよう。

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