2013/09/30

雲を確かに掴む

 生きると言うのは、なんと苦しいことなのだろうか。マンドリンの音が暗闇の中を滑って行くと、ぼくには時間の過ぎていくことが途端に痛く感じる。ぼくの生はフロアリングの上にぽとりと落ちて、過去から未来へとゆっくり転がっていく。この時間は二度と訪れはしない、それはもう、古代からすり減るほどの回数、認識されてきた概念だ。けれども、そうなのだ。このどうしようもない倦怠、時間があるからこそぼくらは一人ぼっちなのではないか。縋ることはできやしない。女の子も去っていく、時間と同じように。一人を抱いていたって、すぐにそれは朽ち果てる。そうすればぼくはまたひとりだ。

 二つに折れたつま楊枝を山のように積み上げた。ぼくは毎晩のように彼女の夢を見る。自分でも情けが無い。気持ちが悪い。けれども仕方のないことだ。眠れない中でふとした瞬間に陥る微睡みの中で、彼女はいつも楽しそうにしている。それがぼくには嬉しかった。

 マンドリンが薄れて、消える。厳密に言えば、それは消えたことを気づかせないほどに繊細な終わりだ。沈黙の音が窓の外にして、ようやくぼくはそれに気が付く。そうすれば一安心だ。目を閉じて、眠れなくたっていいから、じっと考えるのだ。そうすればやがて朝が来るはずだ。

2013/09/28

酔狂の所業としての乱文

 

 夕方、鵠沼に一人で出かけた。行きしな、湘南台のマクドナルドでハンバーガーを食べたが、案の定気分は悪くなった。忘れたくって、コーラで流した。小田急線、鵠沼海岸駅で降車、地図も見ぬまま人の波について歩いていくと、ほどなく海が見えた。歩道橋を上ると、美しい青が一層映えた。四時台ではまだ橙は無い。しかし、堤防に腰かけて本を読んでいると、すぐに日は傾いた。西日に江ノ島が輝き、サーファーたちが影になった。烏帽子岩の向こう側で、鰯雲に薄く覆われた夕日は、間違いなくぼくに、長い年月のことを考えさせる。八年、九年、八十七年。

 昭和二年のぼくの誕生日に、芥川は死んだ。そうして彼はその前年の引地川の川口を舞台にある掌編小説を書いた。まったく同じ場所に、ぼくは居た。不思議なものだ、とぼくは思った。突堤に打つ波の優しい音や、揺れる海面が反射して瞬く様子は、ぼくに無力感と同時に、命の実感を感じさせた。ぼくはその場で煙草を二本吸った。果たしてぼくの愛とはなんなのだろう。所在無さげな海鳥が夏の気配の一切失せてしまった海岸の上空で鳴いた。彼は泣いていた。

 一時間と少し、ぼんやりしていた。磯の匂いなどまるでしない。日のほとんど落ちるか否かの時分に、往きと同じ歩道橋にのぼった。西の空には富士山の天辺が影になって見えた。建物や雲の上から覗き込むようにして、ぼくとそれとは対峙した。山よりもずっと向こうからやってくる日差しが、彼の存在感を強める。ポッケに入った小説の著者も、きっとこうして富士を見上げたに違いない、とぼくは確信した。確かにその描写はない。けれどもそのはずである。澄んだ秋の空気が一気に冷たくなるのを感じた。ぼくは引地川の岸を少し歩いて、本当は東屋の記念碑に立ち寄ろうと思ったのだけれど、気が変わって途中で踵を返し、やはり鵠沼海岸駅に歩いた。

 湘南台につくと、辺りは暗くなっていた。ぼくはそれから二時間、喫茶店で時間を潰した。防災人間科学という本を読んだが、退屈だ。店を出るとすっかり夜である。家路、空を見上げると無数の星々が輝いていた。ぼくはまた、煙草を吸った。

 不眠にはトリプトファンなるものが良いらしい、その好例にヨーグルトを食べるとよいと教わったから、帰り道に大きなプレーンヨーグルトを贖い、夕食の代わりに食べた。酒はよくないと言われつも、やはり飲んでしまう。ビール二本、ウイスキーを少々。ここのところ毎晩頭をぼうっとしている。ぼくは飢えている。何に飢えているのだ?腹も空かない、眠りも煙たい、情欲なぞ沸きもしない。けれどもそこには飢餓感がある。どうしようもない飢餓感、温くなったヨーグルトの容器を抱えて、ぼくは天井を見上げる。何もない。ぼくにはもう、何もないのか?

 *

 江ノ島を後にする直前、島の頂上に位置するサムエル・コッキング苑の灯台に明かりがともった。それはゆっくりと回転して、一定の周期でこちらにも光って見せた。ぼくはそれを撮った。何か意味があるわけではないだろう。ぼくは堤防に寝そべったまま、煙草を咥えてそれを撮ったのだ。もしまた機会があれば、そういった話をしながら、この写真を彼女に見せてやりたい。ねえ、おれは今猛烈に飢えているんだ。だからこの写真を見ろ、と。

 そう、飢えている。今、歯を食いしばっているところだ。長い夜はまだ明けそうにもない。

小夜曲

 劣等感でずぶぬれる。秋晴れの坂道をゆっくりと歩きながら、ほとんど真上に至った太陽の日差しを半袖の腕に痛く感じる。前髪が鬱陶しくて、再三かきあげてみるけれど、すぐに目を伏せれば頭は前に傾き、髪は額に落ちてくる。下らない音楽を反芻しながら、疲れ切った内臓をぶら下げる自身のくだらなさを思う。いいかい、夜は終っていない。頭の中で木霊している。おれはかれこれ長い間、夜から脱け出せずにいるのだ。

 秋の所為にしてしまえばいいのかもしれない。けれどもぼくにはそれができない。何故ならば、ぼくは夜にいるのであって、そこでは季節など関係はないからだ。

つまようじを折っては遊んでいる

 とっくりを被って秋の夜を歩いた。部屋に居ると自分が融けて無くなってしまいそうな気がしたのだ。新しく贖ったiPhoneの音楽を滅茶苦茶にランダム再生しながら、本屋に立ち寄る。本棚を漁っても見つからなかったある短編集を手に入れた。表紙が変わっていることに気が付いた。ぼくはその足で喫茶店に向かった。潰れたボックスから煙草を引っ張り出して、無くなるまでひたすら吸った。何本だったかは覚えていない。その間、じっくりと本を読んだ。
 浪人していたころ、雨の夜、家路の帰りのバスで読んでいたことを覚えている。雨足はそれほど強くはなかったが、風があり、窓を叩く水滴が反射して煩かった。ぼくはその窓に頭をもたげて、その一編を読んでいた。
 驚くことに、その話はいまぼくの暮らしているまちが舞台だった。毎日のように歩く川沿いの道、その川沿いを、著者も又歩いていた。(その小説は私小説であった。)
 鵠沼からゆっくりと歩いて、著者とその友人は江の島海岸に着いた。物語は夜だ。ぼくもまさに、夜の江の島海岸で、もう二年も前のことになるが、一晩中飲み明かしたことがあった。

 不思議なものだ。九十年ほど前に、ぼくと同じについて書かれた小説を読んでいる。ぼくは浪人のころを思い出していた。煙草の煙が目に染みた。泣きたいものだなあ、とぼくは思った。涙は出ない。

 又、その次の短編に、火花という断章がある。それをぼくは強烈に覚えていたから、読んだ。当時もちょうど、こういった気分だったのかもしれない。ノイズだらけの真っ暗な洞穴で、膝を抱えて震えているような気分だった。風の音なのか獣の声なのか、或いは自分の音なのか。具には分からないが、とにかくそういった音が、ぼくの思考を雁字搦めに妨げて、脳みそが縮むような思いだ。

 二十二時に喫茶店が閉まって、ぼくは再び外に放り出された。寒い、と思った。脇のコンビニで煙草をひと箱買いなおして、また吸った。

 ぼくはほとんど煙草を吸わない。服についた臭いが嫌いだからだ。
 けれどもそれも構わずここ数日は吸っている。その理由は、酒を飲めないからだった。酒すら喉を通らないのだ。何かを口にするとすぐに吐気が襲ってきた。無論、それは耐えられる程度のものだから、最低限の食事はできたが、けれども度々その発作はやってきた。だからぼくは、食べることも飲むことも嫌になったのだ。

 嗚呼、ぼくの歪な身体が妙な乖離感に覆われて、愈々訳の分からないことになってきた。それを戻そうと、無意識が働きかけてみても、ただの苦痛、和らげることのできない苦痛が伴うのみだ。
 

2013/09/25

眠れない日々

 あれから眠れない日々が続いている。数日しか経っていないのに、ものすごく長い時間に感じられる。八年間はもっと長い時間だ。静かで、重たくて、悲しい、長い八年間。その響きは、ぼくが高校時代から愛読しているある小説の冒頭を思い出させる。

 八年間、長い歳月だ。

 「今、僕は語ろうと思う。」

 そう、ぼくは語るべきところに来ているに違いない。たとえそれが覚束なくとも、彼女にとってダメージになろうとも、ぼくはぼくの為に、八年間の一切を語る必要があるのだ。なんと言え、ぼくは間違いなく我慢し続けたのだ。口を閉ざし、それについて語ることをしなかった。その思いについて、一言たりとも彼女にかけたことはなかった。

 それが今、解かれようとしているのは実に妙なものだ。夏が終わり、こうして神奈川での学生生活に戻りつつあるはずなのに、体だけが不自然な順応に馴染めそうも無く、ただ気持は地元や、或いは大昔の明け方に残って戻ろうとしない。或いはそうなのかもしれない。ぼくという人間は、八年間、その場所で霊魂のように彷徨っていただけなのかもしれない。

 今日は雨が降っている。それは必ずしもぼくにとって何を意味するものでもないだろう。けれども考えてしまうのだ。匂いを思い出してしまうのだ。もっと繊細だった八年前の自分が感じた、今やもう感知することすら不可能であろう匂いや音や、心の細やかな振動や彼女への苦しい思いを。そうしてそれは、確かに音楽の中に宿っている。いや、厳密に言えば、その音楽がぼくのことを震わせるとき、共鳴するように当時の記憶が湧き上がってくるのだ。

 こんなにも苦しいのはどうしてだろう。分からない。もしそれが、既に取り返しのつかない、もうどうしたって取り戻すことのできない過去だったとしても、ぼくの今の姿勢は間違ってはいないのだろうか。砂を噛む思いで、八年間の空白を埋めようと爪を立てている。

2013/09/21

八年間


八年間かけて、ぼくはじっと同じところで胡坐をかいていただけなのかもしれない。何も変わってはいないのだ。それはぼくをどうしようもない気持にさせる。どうすればいいのだ?底も淵もない黒い海に少しずつ沈んでいくようだ。光りは失われるのか?一か月、ぼくはどう暮らしたらいいのだ?煮え切らない思い。どうしてこんなにも苦しいのだ。二十二にもなって・・・!

2013/09/17

時間はただ失われるとぼくは書いた

「万人にとっては、時は経つのかも知れないが、私達めいめいは、蟇口でも落とすような具合に時を紛失する。紛失する上手下手が即ち時そのものだ。そして、どうやら上手に失った過去とは、上手に得る未来の事らしい。 」
―小林秀雄「秋」
 
 
 驚いたが、がっかりもした。ぼくの感じたことは、やはり多くの人に同様に感じられたものだ。これまで無数の人間が感じたことを、ぼくは苦しんで苦しんで、漸く言葉にしているに過ぎない。小林はいとも容易くそれを表現している。紛失する上手下手が即ち時そのものだ。まさにそうなのだ、しかしぼくにはそこまで至れなかった。ハッとさせられた。やはり彼はすごい。
 だってぼくはかくも姥貝ているのに…彼の背中すら見えやしないわけである。
 
 明日、Mを含んだ幾人かに再会する。もっとも、今度の帰省はそのためだけのものである。先日のキャンプで、昔話をしたいなという話になった。それが早くも実現しようとしていた。一年間の浪人生活を過ごしたぼく以外のメンバーは、来年そろって新しい環境に身を置く。大学院、社会人、別の大学。来年度から、ぼくらが全員揃うことは今よりもずっと難しくなるだろう。だからこそ、早急な集合がかけられた。ぼくははるばる神奈川から二晩だけ。Mは北陸から当日直接合流する。ぼくらは変わった。九年。ぼくらは変わった、しかし一方で、おそらく一堂に会して、お互いの変わらない側面を発見することだろう。そうしてそれは、それぞれにとっての励みになるはずなのだ。
 
 正直なところ、困惑している。
 
 どう振る舞えばいいのだ?口内炎がひどく傷む。

2013/09/12

また夢で逢いましょう


 嫌な夢を見た。ぼくはどこかの空港のラウンジで紅茶を飲んで、国際線でまた別の国へと飛んだ、その道中、つまり飛行機の中で、あの強烈な匂いのする不味い機内食を平らげ、一本の映画と一冊の小説を読んだ。
 辿り着いた島国で、ぼくはすぐ大型客船に乗船した。広々としたシャンデリアの食堂には美しく着飾ったMが居た。彼女はぼくの顔を見てすぐ、極めて不快そうな表情を浮かべ、踵を返して姿を人波の中に消した。ぼくは独りだった。周りはドレスにタキシード、ぼくはポロシャツにジーンズという有様であった。船内ではサザンが流れていたが、Mとの邂逅の直後、それはレーナード・スキナードに移った。ミスマッチだった。スウィート・ホーム・アラバマ。髭のマスターは横浜できっとTシャツを吟味しているころだろう。

 どうして彼女はぼくを避けたのだろうか。したがって言えば、今度の反応は嘘か誠か、遂にぼくには判別の仕様が無くなってしまったのだ。双方向の足掛かりが同じような形状をしてぼくの左右に浮上して、それが丁度相殺するようにぼくのことを惑わせた。彼女は何を思うのだ?

 愛について思うことはひどく簡単だ。しかし正しく愛について思うことは、極めて難しい。それは理屈ではほとんど語ることができない。美哀に満ちたその奇妙な領域に入ろうとするとき、ぼくはいつも酒を飲んだような気分になる。

 朝、起き上がって割れた携帯の画面を確認する。確かにそこにはぼくの記憶通りのメッセージが残っているのだ。けれども…ぼくは混乱し切っていた。よくない兆候だった。

 喫茶店に赴いて小説を広げても、まるで集中ができない。一時間粘ったが駄目だった。ぼくには身のやり場がなかった。ふつふつと欲望が湧き上がってきた。或いは雨のように、欲望が降ってきた。知らぬ間にぼくはある音楽を口ずさんでいる。曇天の街を歩きながら、Nowhere Manを思っていた。Sitting in his nowhere land...!

 いや、或いはそれでもいいのかもしれない。また夢で、或いは夢でない何処かで。

2013/09/05

ドロリとした思考

 ほとんど眠らないまま、大会の為早朝日吉に向かった。雨が降っていて、相鉄線は運転を見合わせ、その所為で市営地下鉄は怒涛の込み具合で、加えてJRの通勤ラッシュにつかまった。雨はずいぶん降っていて、どう考えても試合は無かったが、中止の連絡が来るまでは決行のつもりで動けとのこと、ようやく横浜に辿り着いたところで連絡が入った。
 早朝の横浜は下らない街だった。ラッシュから脱け出したくて一時間ほど徘徊したが、何も無かった。ただ人と塵だけが蠢いていた。腐乱臭の湿った風が濡れた古小路に塵芥を引き摺り、阿呆面の会社員たちが犬のように嬉々として人ごみの中を滑っていた。
 憤りなぞもはや生じる道理もなかった。ほとんど感覚の麻痺した、ごく微かな虚しさだけがそこにはあった。西口の奥まったところで上の空をした中年男性が雨滴る狭まった空を見上げて呟いていた。「上がらないなあ」彼には目の色が無かった。彼は傘をさしていなかった。ぼくはその横を通り過ぎて地下鉄の改札に向かった。

 頭の中で粘り気のある赤黒い思考がゆっくりと巡っていた。不健康だ、とぼくは思った。口の中が渇いて、コーヒーを飲みたいと思った。通勤ラッシュを終え、尚且つ下りの地下鉄は比較的すいており、座る場所はあったが、どうにも耐えきれなくって、二駅て立ちあがった。ドアのガラス窓に額を押し付けて、ただ時間が過ぎるのを待った。携帯の電池は切れていたし、音楽プレイヤーも部屋に置いてあったし、鞄に本を入れる隙間は無かった。じっとりと汗をかいた背中は心底不快で、もうどうにも戻りようのない朝のことを考えた。

 駅に着いてマクドナルドでハッシュドポテトとアイスコーヒーを頼んだ。五分ほどで朝食を済ませて、雨の中を帰宅した。昼過ぎまで眠った。



 イギリスに住んでいた頃、近所に住んでいた日本人の、一つ上の男の子がよくCDを焼いてくれた。収録されているのは全てJ-POPで、当時ビートルズとモーニング娘。ぐらいしか音楽を知らなかったぼくは、彼によってそれに対する興味を抱くようになった。
 その頃の音楽を聴くと、すごく寂しい気持ちになる。どうしてかは分からない。かつて当然のように起こっていた日々の出来事、ごく自然に行われていた人間関係は、今ではもう実現できないことなのだ。ぼくは14歳だったし、彼は15歳だった。ぼくより一年先に日本に帰った。彼と同時に帰国した当時の彼女は北海道で新しい彼氏を作っていた。

 八年…長い時間が過ぎた。ぼくにとっては長すぎる時間だ。



 美しい物事と、悲しい物事。この二つに関してのみ、ぼくらの理屈は永遠に通用しないのだと思う。その意味で、ぼくは女性の美しさを求めるのだし、人生と言うのはどういうわけか苦しいものなのだ。悲しいものなのだ。

 音楽は悲しい。それを説明することは出来ない。ただ、悲しいのだ。しかしそれこそが本質なのではないか。ぼくはそう思う。語り得ぬことこそが本質で、しかしそれを表現できないことには意味が無いのだ。そこで理屈を用いるのである。本質の周辺について論理的に語ることで、ぼくらはスクリーンに投影された影のような美しさ、悲しさを感じるのである。それは感覚だ。周囲を論じる中で、中心について感じ取るのだ。

 美しさと悲しさ。

 ぼくの頭を悩ませるのはいつもこの二つなのだ。

 ドロリとしたぼくの思考に、打つ手も無く、オレンジジュースを流し込む。