夕方、鵠沼に一人で出かけた。行きしな、湘南台のマクドナルドでハンバーガーを食べたが、案の定気分は悪くなった。忘れたくって、コーラで流した。小田急線、鵠沼海岸駅で降車、地図も見ぬまま人の波について歩いていくと、ほどなく海が見えた。歩道橋を上ると、美しい青が一層映えた。四時台ではまだ橙は無い。しかし、堤防に腰かけて本を読んでいると、すぐに日は傾いた。西日に江ノ島が輝き、サーファーたちが影になった。烏帽子岩の向こう側で、鰯雲に薄く覆われた夕日は、間違いなくぼくに、長い年月のことを考えさせる。八年、九年、八十七年。
昭和二年のぼくの誕生日に、芥川は死んだ。そうして彼はその前年の引地川の川口を舞台にある掌編小説を書いた。まったく同じ場所に、ぼくは居た。不思議なものだ、とぼくは思った。突堤に打つ波の優しい音や、揺れる海面が反射して瞬く様子は、ぼくに無力感と同時に、命の実感を感じさせた。ぼくはその場で煙草を二本吸った。果たしてぼくの愛とはなんなのだろう。所在無さげな海鳥が夏の気配の一切失せてしまった海岸の上空で鳴いた。彼は泣いていた。
一時間と少し、ぼんやりしていた。磯の匂いなどまるでしない。日のほとんど落ちるか否かの時分に、往きと同じ歩道橋にのぼった。西の空には富士山の天辺が影になって見えた。建物や雲の上から覗き込むようにして、ぼくとそれとは対峙した。山よりもずっと向こうからやってくる日差しが、彼の存在感を強める。ポッケに入った小説の著者も、きっとこうして富士を見上げたに違いない、とぼくは確信した。確かにその描写はない。けれどもそのはずである。澄んだ秋の空気が一気に冷たくなるのを感じた。ぼくは引地川の岸を少し歩いて、本当は東屋の記念碑に立ち寄ろうと思ったのだけれど、気が変わって途中で踵を返し、やはり鵠沼海岸駅に歩いた。
湘南台につくと、辺りは暗くなっていた。ぼくはそれから二時間、喫茶店で時間を潰した。防災人間科学という本を読んだが、退屈だ。店を出るとすっかり夜である。家路、空を見上げると無数の星々が輝いていた。ぼくはまた、煙草を吸った。
不眠にはトリプトファンなるものが良いらしい、その好例にヨーグルトを食べるとよいと教わったから、帰り道に大きなプレーンヨーグルトを贖い、夕食の代わりに食べた。酒はよくないと言われつも、やはり飲んでしまう。ビール二本、ウイスキーを少々。ここのところ毎晩頭をぼうっとしている。ぼくは飢えている。何に飢えているのだ?腹も空かない、眠りも煙たい、情欲なぞ沸きもしない。けれどもそこには飢餓感がある。どうしようもない飢餓感、温くなったヨーグルトの容器を抱えて、ぼくは天井を見上げる。何もない。ぼくにはもう、何もないのか?
*
江ノ島を後にする直前、島の頂上に位置するサムエル・コッキング苑の灯台に明かりがともった。それはゆっくりと回転して、一定の周期でこちらにも光って見せた。ぼくはそれを撮った。何か意味があるわけではないだろう。ぼくは堤防に寝そべったまま、煙草を咥えてそれを撮ったのだ。もしまた機会があれば、そういった話をしながら、この写真を彼女に見せてやりたい。ねえ、おれは今猛烈に飢えているんだ。だからこの写真を見ろ、と。
そう、飢えている。今、歯を食いしばっているところだ。長い夜はまだ明けそうにもない。
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