あれから眠れない日々が続いている。数日しか経っていないのに、ものすごく長い時間に感じられる。八年間はもっと長い時間だ。静かで、重たくて、悲しい、長い八年間。その響きは、ぼくが高校時代から愛読しているある小説の冒頭を思い出させる。
八年間、長い歳月だ。
「今、僕は語ろうと思う。」
そう、ぼくは語るべきところに来ているに違いない。たとえそれが覚束なくとも、彼女にとってダメージになろうとも、ぼくはぼくの為に、八年間の一切を語る必要があるのだ。なんと言え、ぼくは間違いなく我慢し続けたのだ。口を閉ざし、それについて語ることをしなかった。その思いについて、一言たりとも彼女にかけたことはなかった。
それが今、解かれようとしているのは実に妙なものだ。夏が終わり、こうして神奈川での学生生活に戻りつつあるはずなのに、体だけが不自然な順応に馴染めそうも無く、ただ気持は地元や、或いは大昔の明け方に残って戻ろうとしない。或いはそうなのかもしれない。ぼくという人間は、八年間、その場所で霊魂のように彷徨っていただけなのかもしれない。
今日は雨が降っている。それは必ずしもぼくにとって何を意味するものでもないだろう。けれども考えてしまうのだ。匂いを思い出してしまうのだ。もっと繊細だった八年前の自分が感じた、今やもう感知することすら不可能であろう匂いや音や、心の細やかな振動や彼女への苦しい思いを。そうしてそれは、確かに音楽の中に宿っている。いや、厳密に言えば、その音楽がぼくのことを震わせるとき、共鳴するように当時の記憶が湧き上がってくるのだ。
こんなにも苦しいのはどうしてだろう。分からない。もしそれが、既に取り返しのつかない、もうどうしたって取り戻すことのできない過去だったとしても、ぼくの今の姿勢は間違ってはいないのだろうか。砂を噛む思いで、八年間の空白を埋めようと爪を立てている。
0 件のコメント:
コメントを投稿