浪人していたころ、雨の夜、家路の帰りのバスで読んでいたことを覚えている。雨足はそれほど強くはなかったが、風があり、窓を叩く水滴が反射して煩かった。ぼくはその窓に頭をもたげて、その一編を読んでいた。
驚くことに、その話はいまぼくの暮らしているまちが舞台だった。毎日のように歩く川沿いの道、その川沿いを、著者も又歩いていた。(その小説は私小説であった。)
鵠沼からゆっくりと歩いて、著者とその友人は江の島海岸に着いた。物語は夜だ。ぼくもまさに、夜の江の島海岸で、もう二年も前のことになるが、一晩中飲み明かしたことがあった。
不思議なものだ。九十年ほど前に、ぼくと同じについて書かれた小説を読んでいる。ぼくは浪人のころを思い出していた。煙草の煙が目に染みた。泣きたいものだなあ、とぼくは思った。涙は出ない。
又、その次の短編に、火花という断章がある。それをぼくは強烈に覚えていたから、読んだ。当時もちょうど、こういった気分だったのかもしれない。ノイズだらけの真っ暗な洞穴で、膝を抱えて震えているような気分だった。風の音なのか獣の声なのか、或いは自分の音なのか。具には分からないが、とにかくそういった音が、ぼくの思考を雁字搦めに妨げて、脳みそが縮むような思いだ。
二十二時に喫茶店が閉まって、ぼくは再び外に放り出された。寒い、と思った。脇のコンビニで煙草をひと箱買いなおして、また吸った。
ぼくはほとんど煙草を吸わない。服についた臭いが嫌いだからだ。
けれどもそれも構わずここ数日は吸っている。その理由は、酒を飲めないからだった。酒すら喉を通らないのだ。何かを口にするとすぐに吐気が襲ってきた。無論、それは耐えられる程度のものだから、最低限の食事はできたが、けれども度々その発作はやってきた。だからぼくは、食べることも飲むことも嫌になったのだ。
嗚呼、ぼくの歪な身体が妙な乖離感に覆われて、愈々訳の分からないことになってきた。それを戻そうと、無意識が働きかけてみても、ただの苦痛、和らげることのできない苦痛が伴うのみだ。
嗚呼、ぼくの歪な身体が妙な乖離感に覆われて、愈々訳の分からないことになってきた。それを戻そうと、無意識が働きかけてみても、ただの苦痛、和らげることのできない苦痛が伴うのみだ。
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