2013/10/26

24頁の藁椅子

 秋の夜長に降りしきる細く静かな雨のように、ぼくの過去は一滴ずつ丁寧に、坂道のアスファルトを打って滑って、下りきると川の濁流に流れ込んで、汚れた多くの泥と一緒に、江の島海岸に向かって流れていく。霧のような街灯の明かりに照らされて滑り落ちていく。アスファルトの表面に、薄い膜が張っているようにも見える。ぼくはその様子を、過去が音も無く奪われていくような様子を、マンションのベランダから見ている。それらはもうぼくのもとには無いのだ。残るのはその余韻と記憶と、微かな匂いだけなのだ。煙草を吸い終えるとぼくは、マンションの正面を通るその坂道に向けて吸殻を投げた。せめてもの手向けだ、と思う。室外機の上に置いた盆にはウイスキーグラスと文庫本が置かれている。氷がからんと音を立てた。湿った空気に妙な乾燥が一縷、走った。ふやけた文庫本は四十年近く昔に印刷されたものだ。ぼくはこの薄い小説が好きだった。グラスを手にすると半分ほど残った中身を全て坂道に向けて撒いた。せめてもの手向けだ、と思う。それから鍋で焼かれる幾つもの卵のことを思った。パンを切らしていたが、彼は下まで降りて買いに出かけるのが面倒で、やめたのだ。


 厄介なのは、たいていの物事について、足元から落ちていってしまったあとになって、それが一体何だったのか判明するという事実だ。


 ソノムラと夕飯を食べた。彼は相変わらず面白い男だった。就労意欲はない、東大の院に進む準備をしているところだと言った。故郷の金沢には長いこと戻っていない。

「本を読んでも忘れてしまうんだ、だからおれは女を抱きたい」

 彼はときどきもっともらしいことを言う。

「でも女のことも忘れてしまうのかもしれない」

 ソノムラは本当に本をよく読む男で、まさにリアリストでもあった。


 忘れてしまう。たいせつなことも、ハイライトしたはずの一節も、女の子の仕草も、名画のワンシーンも、記憶の坂道を雨になって滑り落ちていく。分厚い雨雲の垂れこめた夜空を見上げるたびに、ぼくは絶望的な気分になった。だのに、記憶の零れ落ちたあとの窪みには、必ず悲しみが染みのように残っているのだ。生きるたびに、落とすことのできない悲しみが、増えていく。

 ソノムラの言うことはある意味では正しい。

 どうせ忘れてしまうのだ。そうして、どうしようもない悲しみだけがそこには残るのだ。

 ぼくは安心した、恐れることはないのだ。

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