2013/10/03

文章

 爪楊枝を半分に折って、真白なテーブルに置いた。それを毎日毎日、暇の限りに続けた。無数の爪楊枝(の残骸)は少しずつ山を形成し始めた。或る夜、初恋の彼女のことを想いながら楊枝を折ると、いつもよりも乾いた音がした。そうしてそれをテーブルに置いた時、山が思いのほかうず高く、美しいものになっていることに気が付いた。横に置かれたシガーケースや、或いはデジタルアラームよりも背丈は高かった。ぼくはブランデーをぐっと飲み干すとその山を眺めた。

 急峻な崖の表面は、複雑に絡み合った楊枝がささくれ立っている。長短さまざまなそれぞれが、妙に間抜けで見とれてしまった。ぼくはエディ・ヴェダーを流して、もう一杯ブランデーを飲んだ。煙草は我慢した。間違いなく、ぼくは彼女のことを考えている。

 どういうわけか、異邦人の一節を思い出した。ムルソーは自室のバルコニーから通りを眺めている。見下ろすとそこには、当然のように街の景色が広がっている。暇を持て余す彼は、昼過ぎから昼下がり、日が沈むまで、じっとこの通りを見ているのだ。まるで今のぼくのようだ。そう、そこにこそ太陽は現れ、それに目が眩むのかもしれなかった。異邦人をぼくは、毎年大晦日に読んだ。ここ二年近く読んでいないかもしれない。少しずつ変わっているのだろうか。いずれにせよ、この楊枝の山にはムルソーも上ろうと思うに違いなかった。シーシュポスでなくとも、そこに神秘性がなくとも、確かにこれは、ぼくの眼前に立ちはだかる絶壁は、彼に対する山であった。(00:05)



 早朝の微睡みの末、故郷の夢で目を覚ました。夕方、畦道を歩いていた。ぼくのほかには誰もいない。淡く青く澄んだ秋の空はその遥か高くに鱗雲をはりつけて、徒に飛んでいく鳥の群れを見下ろしている。そうしてぼくは、宛ても底も知れない黒く渦巻く欲望を腹の奥で感じるのだ。やりきれないその塊を。日が傾いて、本来ならばすぐにでも夕刻の橙に包まれるところ、その夢には時間の経過がないようで、ずっと、空の色は変わる気配が無かった。それはぼくをひどい絶望感に晒した。いつしかぼくは夜を望むようになっていたのか?肌が痛く感じられた。欲望が内側からやってくる感じだ、張り裂けそうな肌の痛みはやがて快感に変わった。スニーカーの立てる乾いたアスファルトの音は振動になり、痛みになり、ぼくの頭の中を走り回ってやまない混乱のことを、心なしか和らげてくれるのかもしれない。

 目を覚まして、ぼくはじっと考えた。もう諦めてしまった方がいいのかもしれない、と。実態の無いものごとに心を焦がれて疲れてしまうよりも、もっとソリッドな姿勢を保つべきなのではないか。例えば、今日の研究会に向けて、或いは、もうじき始まる就職活動について。ほとんど実体のない女性に拘泥することに、果たして意味はあるのだろうか。

 しかしまあ何とも、ロジックは通用しそうにもない。

 ぼくは電話を待つ。古今東西の音楽を穴倉に垂れ流しながら、それを待つ。

 …待つしかないのだ。(09:28)

2 件のコメント:

  1. ひさしぶりに イス川くんが読めてうれしいです。ふふふー

    てふこ

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  2. おひさしぶりです。
    あいもかわらずしょうもないことばかりです。はははー

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