2013/10/21

文章*

 ろくでもない音楽ばかりだ。彼女は音楽をほとんど聴かないと、片瀬江ノ島駅のホームで言った。それが正しいのかもしれない。少なくともぼくにとっては、音楽は悪い薬でしかないのかもしれない。
 楊枝の山を指で突いてみた。それは思いのほか頑丈で、ほとんど動かない。関西の大学で構造力学を学んでいる高校の同級生を思い出した。彼は学校祭でヴァイオリンを演奏した。鮮明に覚えている、けれども演目は思い出せない、不思議なものだ。音楽…。
 煙を吹きかけてみる、やはりびくともしない。雨は止んだ、明日は晴れるといい。

 新宿、彼女は深夜バスで遠くの街まで戻ろうとしていた。真夜中の酒臭い雑踏の中で、またぼくらも酔っていて、改札でじっとお互いを見た。これも不思議だ、何も言葉は要らなかったし、紅潮した彼女の頬に座る温かさも、それに触れずとも理解することができた。彼女のことを見ながら、何も変わらないのだなと思った。変わったのはぼくの身長だけだ。同じくらいだった身長が、今や一尺近く違っていた。提げていた彼女の荷物を渡すと、やっぱり重いね、ありがとうとこちらを見上げた。彼女は綺麗だ、と思った。それは変わらないことだ。十年前、バスの背もたれを抱え込んで見下ろした後ろの座席に、微笑んでいた。なにも変わらない。化粧は上手だし、髪の毛も丁寧に手入れされている。趣味の良い服装をしていて、仕草も心なしか大人びた。けれども、変わらないのだ。

 ぼくは本当に驚いた。(03:23)


 妙な吐気と共に目を覚ます。

 信じることは正しいことだろうか。ぼくは自嘲気味に野村克也の言葉を思った。「信が大事だ、信頼、信用、自信…」信じることは大変なことだろうなと思う。それは根源的で、なおかつ、どこか救いの無い繰り返しのようなものだ。信じても信じても、底はない。信じきるというのはどういうことか。

 つまり、こうだ。ぼくは彼女の言葉を信じていいのか。
 ぼくは彼女の言葉をどういった側面から信じるべきなのか。
 あるいは、軽薄であるべきなのだろうか。

 カーテンの隙間から光が漏れいる。二日ぶりの晴れ間が淡く青褪めて流れている。頭はぼうっとしたままだ。熱いシャワーを浴びて大学に向かおうと思う。(10:03)



 学食で声高に話すハーフ顔の男がいる。ストール、ヘッドフォン、顎鬚。都内の某女子大との間で行った合コンの模様が聞こえてくる。ひどい内容だ。またぼくの認識が崩れようとしている。それを感じる。楊枝の山は認識の世界で揺らぐのだ。女の子で遊ぶということがどうにも苦手だった。何度か試したことはある。けれども、だめだった。どうしてもうまくいかないのだ。相手をどうしようもなく傷つけるか、或いは虚しい気持になって、結局ビートルズを聴きながらたくさんのシャワーを浴びた。

 ぼくは多くを望まない。多くを望む権利がないと思うからだ。けれども、ただぼくはまともでありたい。まともな人と関わりたい。

 彼は大声で、処女性について叫んでいる。

 ぼくは彼女を信頼するべきなのか?(14:19)


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