2013/05/09

拘泥

 昨日、四人でラーメンを啜り、帰る間、自転車をひとりのろのろと漕ぎながら自分を恥じていた。それは、僕という人間が結局のところ、嫉妬と我執と怠惰をまぜこぜにしただけの人間のように感じたからだ。本当だったら口にもしたくないゲテモノを、丁寧に論理で塗って固めて、あるいはツヤさえ出して、一見美味しそうに、ある種の人には見えるように、そうでなくとも、それなりにまともには見えるように偽っているのだ。最も誠実でありたいと謳いながら、実は最も不誠実なのかもしれない。嫉妬と我執と怠惰、と僕は思った。確かに、その通りのように思えないか?

 「思うままに生きている人間が嫌いだ」と言う。例えば一か月の間に彼氏を三人かえてしまうような乳の大きい後輩だとか、無思考に本を読まずただ就職のことばかり考えている先輩。つまり、考えず、その瞬間思った通りに即発的に行動をとるような人間が、僕は嫌いだった。それを論理的に批判し、さらにその城は極めて頑固に建てられていたから、たいていの反論ははねつけた。

 けれども、僕はどうだ?

 僕も大差ないのだ。女の子のこととなると全く点で本能主義的だし、就職はただ面倒なだけだ。思考しているなどと言い訳をして何も行動をしない。努力をしない、忍耐を避ける。僕はそういう人間なのだ。そして羨望と嫉妬に溺れるのを恐れ、また論理の船を漕いでさっさとわたり切ってしまうのである。

 旅に出るのは何故か?これもまた、精神的な弱さの結果なのかもしれない。

 何が必要なのか?行為?

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