空は晴れ渡っている。昨晩、明け方までバーやら居酒屋やらを渡り歩いて友人や後輩と語るに、ぼくはやはりぼくのままでよかろう、たる確信をより一層深く持つことができた。結句、ぼくは恵まれている。昼前に目を覚まして、大学の時間割を作った。今学期は何かと忙しくなりそうだ。研究会を二つ抱え、プログラミング科目を抱え、バイトを抱え、自動車学校を抱え(仮)、そして、大きな希望をも抱いているのだ。
あの文章における「彼」とはぼくのことだ。今回だけは確信が持てる、そうして、それがぼくであることで、ぼく自身は本当に勇気づけられた。まだ少し冷たい春の風が川を抜けて、両岸の桜並木が粉雪のように花弁を降らせる。ぼくはシーチキンマヨネーズのおにぎりを齧りながら、幼稚園の上空をゆらゆらと揺れる鯉のぼりを眺めた。彼女はまだぼくのことを信じてくれているのだ。それだけで、世界は見違える。そこには時間と言う意味性はない。時間の長さが何かを物語っているようなケースではないのだ。それは妙な感覚だ。ただ、そこにはどしりとした、何物にも代えがたい大きな信頼が横たわっているのだ。ぼくは大仏を思い描く、それは鎌倉で見た大仏でもいいし、タイの寝そべった大仏でも良い。本当に感謝している。
最近、いろいろなことを思い出す。写真を見て、音楽を聴いて、何かを食べて。いろいろな別れがあって、それは恋人でも友人でも、彼らに会って笑って話をしたい。
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