ぼくの思うに、人間にとれば、生きることにおいて重要なのは考えることなのだ。考えることが生きることであると言っても過言ではなかろう。あくまで「人間として」生きるには、頭を使うことが条件なのだ。
考えれば考えるほど、人は死に近づくだろう。
考え尽きたときに、人の精神は死ぬのだ。
そして、本を読むと、ぼくはいろんなことについて考えてしまう。いろいろな読書があるだろう。娯楽として、活字を楽しんでみたり、漫画のように、その情景に悦楽を見出したりなど。しかし本当の、真実の読書と言うのは、ぼくはその本の精神性を吸収することにあると思う。そしてそのとき、読者は考えざるをえなかろう。その本を書いた人間が何を考えていたのか、それについて自分はどう感じるのか。
考えれば考えるほど、人は死に近づいていく。何故ならば、本当のところ、そこに生きる意味などほとんどないからだ。ぼくらはしばしば社会という立場からいろいろなことを眺めてしまう。しかし考えてみると、社会と言うのは所詮、虚像なのだ。人間が作り出した概念でしかありえないのだ。そこに真実があると言えるだろうか?本を読めば、限りなく本質に近い部分にまで寄っていくことができる。雑音の無い深海に少しずつ沈んでいったとき、ぼくらが本当に静謐な思考を手に入れたとき、少なくとも精神においては死を見るだろう。
ぼくはそれを肌で感じた。高校のころ、本を読むにつれ、少しずつ僕の内的存在が死に近づいていく感覚を、本当に感じたのだ。そして恥を偲んでそれを友人に伝えたならば、彼もまた、カミュを握りしめながら同じことを言ったのだ。
死んだ人間の本を読むのは実にたのしい、何故ならば、彼らは無条件に考えつくしている存在だからだ。彼らの全うした精神的生のエッセンスがその著作であり、それを読むことによって、読者はダイレクトに生きることについて考えることができるだろう。
こう、論理的に提示してみても、分かってくれる人は本当に少ない。おろか、鼻で笑う人が本当に多いのだ。だからぼくはもう、話さないことにした。
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