2013/04/19

味噌汁を飲もう

 カラムーチョを頬張りながらビールを仰いで、音楽を聴く。どかどかと喧しいサウンドがレコードから滲んで出てきて、曇り模様の午前を憂いてなお彩る。キスのことを考える。橙の豆電を見上げながら金のことを考える。薄暗闇に鎮座するのは歪な体の二十一歳で、救いようのない閉塞感で辺りはいっぱいになっている。袋小路だ、とぼくは思う。

 先日の飲み会には、一流企業の内定をむんずと掴んだ先輩が多く来た。サークルのほとんどの四年生は、例年大企業に就職していく。彼らは誇らしく武勇伝を謳い上げ、やおら苦々しげにぼくらに訓示を垂れ給う。「キミタチが思っているよりも、就活なんて大したことないさ」と涼しげな顔を張り付けてビールを一息に飲む彼らに、ぼくは何か複雑な気持を抱かずにはいられない―無論、底なしの羨望があってこそ、その複雑さは生じるのに他ならないのだけれど。

 祖父や父親を見ていると、ぼくもまあ大丈夫だろうと思える。けれど、大丈夫とは一体なんだ?ぼくは彼らとは違うし、何より時代だって違う。「おまえなら大丈夫だ」と周りは言うけれど、ぼくにはそうは思えない。例え大丈夫だったとして、ぼくはそれに満足できるか?血反吐を吐くまで飲まされて、それが価値を持つような場において、果してぼくは疑問を抱かずにいられるか?―否である。

 だからと言って「公務員試験を受けろ」と言われても、イマイチパッとしない。こういう考え方はナマケモノの、いわゆるニートの考え方だろうか。おそらく親にでも垂れてみろ、すぐに一蹴されてしまうだろう。何かしたいことはないのか、と聞かれる。ぼくには確かに、ひとつだけしたいことがあるのだ。それは書くことだ。けれどぼくには書くことができない。

 幾度と書こうと試している。例えば、先月末には文藝賞の締め切りがあったろうし、再来月には文学界新人賞のがある。にもかかわらずぼくには未だ書くことができない。だからほとんど諦めているのだ。

 愚痴が過ぎた。これはただの記録だ。今日は映画でも観ながら少し部屋を片付けようと思う。何もかもが単調だ。味噌汁を飲もう。

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