2013/04/24

春の夜の雨

 春の夜の雨。二コマ連続するプログラミングの講義の合間にS村と話す。カラマーゾフはまずまず面白かったよと涼しく答える彼。半島を出でよは読むべきだ、それからね、やっぱり豊饒の海さと彼。ぼくは面目ないなあと思った。ぼくはそのどれも途中で断念しているのだ。すごいなあ、多読だなと言うと彼は「でもね、決して速いわけではないよ。ゆっくりじっとり、時間をかけて読むんだ」と答えた。「この雨みたいにね、なんつって」

 S村は慶應には珍しく、ウィットに富んだ男だ。「おれはよ、女子高生とそういういやらしいことがしたいんだ。だから塾講をはじめたけど、男子中学生ばかり任されるんだもの、参っちまった。あいつら、馬鹿なんだもの」

 村上春樹の新作も読み終えたと言った。「おまえは海外作家を読むんだろ、おれはからっきしだもの、せいぜいロシアかドイツだ」しかし彼は大江健三郎についても「大抵は読んだぞ、特に好きと言うのでもないけど」と言う。毎晩深夜まで大学の図書館で一人本を読んでいるのだ。ぼくは酒ばかり飲んでいる。二か月前まで女子高生だった女の子たちをぼんやりと眺めている。ぼんやりと…。

 彼は不思議な話し方をする。本当に変な奴だ。

 「大学を辞めて田舎に帰ろうかとも思ったんだけれど、四年間はとりあえず迎合してみることにしたんだ。洗練にもきっといろいろな形があるんだよ。そう信じてみることにした」

 S村は石川県からやってきた。金沢の隣の隣の、小さな街だ。「冬にはどっさり雪が降る。石川にはね、二種類しか土地が無い。金沢か、金沢以外。金沢大学もパスしたんだけれど、神奈川の『横浜以外』にも少し興味があったんだ。思った通り退屈だ。違いは雪の有無だけだ」

 春の夜の雨。S村は図書館に向かって、ぼくはバスで転寝を繰り返しながら駅へ帰った。落ち合ったサークルの連中と十数名で中華料理屋に行き、なんだか大味で量だけ多い料理を食べた。そのあと飲みに行こうと誘われたけど、体が鉛のように重たかったから、ゆっくりと歩いて帰ってきた。正直言って、うんざりだった。「若さってなんだろうなあ」と一年の頃、S村が呟いていたのをふと思い出した。若さとはなんだろう。ぼくは一年生の男女を見ると、微笑ましくも、愚かしく思われる。もちろん、どちらも抗いがたい性質だ。ぼくも二年前は少なからず彼らのようなふうだったろうし、若いというのはきっと、本質的にそういうものなのだ。ただ、もっと何かある気がするのだ。難しいなあ。

 腕立て伏せをして風呂に浸かって、LPに針を落としてビールを飲みながらこの文章を書いている。ものすごく眠い。S村はきっとまだ本を読んでいることだろう。「ものすごく暇なんだ。だから読む」とさっき彼はぼくに言った。そういう感覚をぼくは、大学に入ってから忘れてしまった。これはきっと悲しい形の洗練なのだろう。春の夜の雨の音すら聞こえやしない。なんとなく缶に耳をあてると、ようやく気泡のはじける音がする。最後の曲が終わる。

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