2013/04/15

憐れな男

 

 起き抜けに吐き気を覚えるのはずいぶん久しぶりのことだ。自棄になって酒を煽ったのも久しぶりであった。正直のところ、ぼくの方はずいぶんと崖っぷちで、左腕の肘の辺りなんて、二年前のように少しずつ荒れ始めている。田中の共喰いという小説を思い出す。あの生臭さ、単調な気怠さ、生の退屈さ。喉が著しく痛む。大酒のあとの眠りには鼾が伴う。何故かエアコンがついていて、空気の乾燥したのも一因にはなっているようだ。髪の毛はがしと音を立てそうに気持ち悪く、はっきり言って、最悪の朝だ。

 マジカル・ミステリー・ツアーに針を落としても、音は妙に膨張してぼくを嫌う。袋小路にセイウチが跳ねている、ククック・ジュウ!58円のペットボトルの緑茶を飲み干す頃には風呂が沸いたので、入る。凝り固まって張っている左肩をなんとなく撫でながら、まだなのか、と思う。

 ”或いは、それはぼくのことではないのか?”
 ”そうであったならば、はっきりと明示してほしい。”

 いままでほとんどかのように感じたためしはないけれど、如何せんぼくには今、余裕と言うものが無い。それをいっぺん信頼したならば、最後に落胆するのがあまりにも怖いのだ。ぼくに今必要なのは、信頼できるものだ。それがぼくについてでないのだとしたら、それを今のうちから明示してくれさえすれば、事実を事実として信頼することができる。

 つまり、「まだ言っていない」、「きみ」というのが自分に関する何らかではあるまいかと思うほどに、ほとんど誤解するほどに、圧倒的な自意識過剰が、窮地の混乱においてぼくの中に渦巻き始めているのである。それを苦せず解くならばいまのうちで、これが拗れると面倒なことになりかねないのだ。

 ひどく情けない。けれど、ぼくには今余裕がないのだ。頼む。

 …恐怖に震える。迸る血潮のイメージがなぜか、脳裏に焼き付いて離れない。

 

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