2014/12/16

ダム湖の底で暮らしている

 時間はあっという間に過ぎていくのか、或いは全く移ろわずにそこにあり続けるのか、そういったことについて考えることはやめたい。時間なぞには縛られたくない。一昨晩、大会での優勝を祝う宴会の席で、久しぶりに随分と酔っ払って、その勢いで後輩に息巻いた。「そのときにしかできないことなんて、ない。」と。

 ぼくはしかし、最近ではそのように思っている。例えば「学生のうちにしかできないこと」なんてのは、実際はない。一般的に言って、それは或いは各国を行脚することで会ったり、合コンに明け暮れる日々であったり、或いは学業に打ち込むことであったりするのだろう。けれどもね、ぼくは、そんなことは学生でなくともできることだと思う。たしかに、会社に勤め、平均的な社会人としての暮らしの中に、そういった上に挙げたような要素は含まれないだろう。しかし会社員にならなければ各国を行脚することは可能だし、仮になったとて、仕事もほどほどに合コンを繰り返すことは決して不可能なことではないのだ。「学生でなければ」という条件の中に、彼らの言説においては、既に「平均的社会人とすれば」や、或いは「保身を考えれば」といった下らない枷が付け加えられているのである。はっきり言ってね、本当に打ち込みたいことがあるのなら、就職なんてしなければいいのだ、これは進学についてもほとんど同じことが言える。

 *

 ところでぼくは何故働くのか。まだそれは分からない。どうして就職活動を選んだのか、それは分かっている。親へ感謝をしたいという気持と、ほかにするべきことが思い浮かばなかったということである。誰の所為にするつもりもない、これはぼくの人間性の問題である。無論人間性を環境や時代の所為にもしない。ぼく自身の問題なのだ、それが正しいか正しくないか、について語るには足らない。強いてその二元論に添わせるのであれば(つまり正しくあろうとすることはいつでも正しいことである)、それがぼくにとって自然であるという意味においては、正しいだろう。そう思ったからこそ、つまり、ぼくがぼくとして自然な振る舞いをする上で、就職活動を選択することに正しさを見出したからこそ、ぼくは幾度もの面接をこなしたのであった。

 *

 経験に意味はない。しかし、経験に至るまでの認識と、経験のあとにある認識との中には、場合によっては大きな意味が齎される。つまり経験はある限定された場所においてのみ、媒体としての役割を果たす。経験そのものに意味があるわけでは決してない。その裏にある認識にこそ意味が孕まれ得るというだけの話だ。

 その意味においてぼくは社会に出るのだろう。とすれば、今の段階での、ぼくの働く理由とはそこにあるのかもしれない。勿論それが本質的かつ普遍的にどこに依拠しているのかについて、ぼくはまだ知る由もない。或いは永遠に知り得ないかもしれない。けれどもそれに関してぼくは拘泥する必要が無い。今のぼくには関係づけの不必要な部分だからだ。

 認識だ、認識だ。あらゆる行動に認識が裏付けらるるべきだ。ぼくはそう思っている。もうじき卒業を迎えようとしている段にいてなお、そんなふうに考えているのだから、ぼくは本当は愚かなのだろうと思う。ぼくは一等愚かである。死への憧憬さえ理解できる、そういった愚かさはどうなのだろうね。冬が深くつみあがる季節に、白い太陽が浮沈する時間に、やりきれない気持は毛布の中で成長するのだろうね。

2014/10/30

病と魚と粥

 肺に穴の空いた話をもう少し具に書こうと思ったけれど、ぼくにはどうしてもそれができなかった。理由は分からないが、数行書くともう、駄目だった。ぼくはすっかり暗闇に紛れ込んでしまっていて、そこから闇雲に手を伸ばしても、言葉を拾うことはできなかった。

 どうしようもない恐怖が冷気のように床を伝ってぼくのところにやってきた。玄関からゆっくりと流れてきたそれは、ぼくの足を、腿を、腰を、背を、首を冷やしながら、最後には身体中をすっかり冷たくしてしまった。音楽は遠のいた、鼓膜が強張る感覚、ぼくはどうにも肌に触れたいと思った。見境なく千切ってしまいそうな気がした。衣服を剥ぎ、皮膚を剥ぎ、骨肉を粗方触り果てて、ようやく眠りにつけるような気持がした。恐怖を恐怖によって掻き消そうという作用だったのかもしれない。ぼくの異様な憂鬱は、確かにぼく自身に因るものであった。ほかの誰も、何も、悪くはない。何故ならば、なるほど実際、ぼくは生きている限りあらゆる環境要素と関わりあって暮らさざるを得ないところにあれど、しかし結局のところ、自分の振る舞いそのものを最後に決めるのはほかでもないぼく自身であったからだ。ぼくが選んでいるのだから、すべての現象は、ぼくの周りに起こるすべての現象は、ぼくに責任があるのだった。仕方ないことだ。抗いようのない大きな力を感じる、ぼくはそれに覆われるのをじっと待つことしかできない。恐ろしいことだ、分かるだろうか?得体の知れない、大きな、大きな、気が遠くなるほど、ぼくらの想像の範疇からはまったく把握の仕様もない、それは大きな真っ黒のヴェールが―材質も特性も時間も分からないヴェールが―ゆっくりと向こう側からやってくるのだ。冷気を送り込んだ風上にわずかそのヴェールが見えるのは、橙の微光が後ろから照らしているからであった。じれったいほどに、それこそ永遠と思えるような時間をかけてじりじりとぼくの身に近づいてくるヴェールは、やがてぼくの身を完全に覆い尽くしてしまう。そこには過去のみが渦巻くだろう。純然たる罪悪を丹念に濾過した重油のようなエッセンスが、ぼくの全身に泥沼のようにまとわりついてくる。

 毛布のように、ヴェールにくるまり外界とまるで隔絶されたぼくには、もう何もない。これはパラドクスだ、孤独を望んだがために、ぼくは孤独を失うのだ。そうして同時に、孤独を手に入れた。女の言葉が蘇る。ぼくは吐いた、胃が躍り、食道が震え、彼女らによって植え付けられた罪の意識を吐いた。大昔の幾つもの匂いが吐瀉物を形成していた。ぼくはもう駄目かもしれない、あまりに消耗され過ぎた。彼女らに対して、正しい認識を求めるのは不毛ならずも罪悪だ。彼女らはまったく何も認識してはならないのかもしれない。つまり、はじめから黙っていればいいのだ、しかしそこまで門戸を開いてみても、その程度に利口なのも居やしない。ぼくはどこで間違ったのだろうね。全く駄目だ。

2014/10/17

『すごく面白い話』

 ふと、言葉の出なくなることがある。それはいろんな場面で、たとえば大学の仲間と一緒に部屋で暇を潰しているとき、女の子と飲んでいるとき、ひとりで文章を書こうとするとき、音楽を聴いているとき、髭を剃っているとき。
 普段、言葉は湧き上がってくる。湧昇してくるものを金魚すくいの要領で拾い上げることもあれば、底に滞留しているものを腕を浸して引っ張り上げることもある。少なくともそこには無意識の領域があって、そこにおいては不可侵だ、そのもう少しこちら側にぼくの領域がある。
 言葉の出なくなる瞬間、その流れが止まる、或いは、温泉のような湧出は、地下深くの水路の微妙なずれか何かで、埋まってしまう。つまりぼくには、あらゆる言葉の価値がとても虚ろに見えてしまうのである。何を言っても、或いは、何を言わなくても、全ての流れは失われたままのような気がしてくるのだ。

 その間―つまり言葉の出ない間、ないしは、その澱み―つまり流れのない状態、において、ぼくは黙るしかない。言葉はどれも同じに見える。どう選り好みをしたって、結局のところ事態は動きそうにない。もちろん普段だって、何か事態を恣意的に動かすために言葉を選び発しているわけではないけれど、いずれにしても、言葉によって何かが変わっていることは確かだ。それを物理的かそうでないかと吟味することには意味がないにしろ、である。

 言葉だけならばまだよい。しかしこういった塩梅の時、ぼくにとっては大抵、あらゆる表象が同一の作用を来す。あらゆる表象、あらゆる芸術が、ひいては音楽も絵画も、ジェスチュアも表情も、スキャットもダンスも、言葉と一緒にうずたかい塵泥に沈み込んでいく。うずたかい塵泥は死んだ言葉の墓のようにシンボリックだ、死んだ言葉というのが正しい表現なのかどうかも分からない。或いは言葉の死んだ墓なのかもしれない、墓の言葉の死なのかもしれない。死んだ言葉とはなんだ?それでは生きている言葉とはなんだ?死んだ人間に生きた言葉は表現できるのか?こういった具合だ、言葉は泡のように頼りない。

 言葉は無力だ。しかし言葉に足る何かがぼくらに備わっているのか?言葉は無力であるが上に美しい。少しずつ力を失っていく様子もはかなくて美しい。記号という枠組みを超える瞬間もある。言葉が言葉を生むこともある。文字にした途端に印象の変わるものもある。ぼくが愛していると言えば、その言葉は順列組合せみたいに乱舞しながら中空を彷徨い、彼女や、髭のマスターや、隣のテーブルの女子大生たちに吸収される。或いは鳴りやまないカントリーロックが覆いかぶさって隠してしまうかもしれない。言葉はこれだからやめられない。言葉はこれだから脱け出せない。ああ、ぼくは言葉が欲しい。言葉の先端に火を灯して、吸い込んで、肺のフィルターに滲まなかったものだけを、したり顔で吐き出せばよい。

2014/10/16

カレイドスコープ

 左耳の奥が疼いて目を覚ました。時計を見やれば午前三時、脈を打つのが耳の奥で聞こえる。それはビートのようだ。先日観たダンス・ショーのステージを思い出させる。毛布を抜け出すとぼくはよろめきながら立ち上がり、冷蔵庫のミネラル・ウォーターを勢いよく飲み込んだ。変わらず部屋は暗闇、微かに漏れ入る街灯の明かりが、何も無い部屋と、昨晩脱ぎ捨てられてそのままのジャケットを映している。トラウザーズは?…足元にあった。シャツや下着は洗濯機に、ネクタイとベルトは廊下に放られている。

 身体が熱を帯びている。レコードプレイヤーの上に残された赤ワインを飲んだ。グラスを濯いでキッチンに戻した。プレイヤーのスイッチを押せばマーヴィン・ゲイ、昨晩繰り返し聴いていた。左耳の鼓動はまさにこれだ。痛みは鼓膜の奥から感じられた。キャンディーチーズの袋を冷蔵庫に戻して、ジャケットとトラウザーズとをクローゼットに戻した。一転肌寒さを覚え、パーカーを羽織った。一体どうなっているというのだろう。LPのノイズが苛立たしい…昨晩のことを思い出している、艶めかしい匂いがシャワーのように降っていた。見るからに粘度の高い音楽が冷気のように地面をゆっくりと這って、ぼくの足首をまとって籠絡した。美しさとは何か?眉のピアスがぼくに尋ねた。一方で、快楽とは何か?蒼い首筋がぼくに尋ねた。ぼくは靴のくすみを気にしながら丁寧に彼女らの輪郭に耳を澄ました…耳を!バターナイフで皮脂を絡め取り、薄切りのトーストに塗りつける。ショートブレッドの欠片はフロアリングに沈み込み、朝のコーヒーはすっかり冷めてしまった。何故ならそれは夜だ、ぼくは耳のことを考えた。彼女らの渦のような耳を、それは醜い、裏を捲れば残らず真赤に爛れていたからだ。もう遅いのだ、熟れたトマトのような耳の無数を毟り取ってダム湖に沈めた。赤茶けた山稜の向こうから空が浮かび上がって、大きな鳥が越えていった。イメージは山奥からダムを滑り落ち、天竜川を下って静岡の海に流れ出でる。しかしそこで終わりだ。また都会に戻る…爛れた耳は沈んだ、残っているのは無機的な身体だけだ、それはテンポラリーで、模倣的で、甘美で、仮初の、エロティシズム、乱舞する色とりどりの光線が明滅を繰り返して鼓舞した。腐臭と快楽は紙一重のところにある。たとえばぼくには、そう、たとえばぼくには、この腐った夜、耳の奥の疼く夜、こういった夜が身を打ち震わせるほどに快い。

 そう、たとえばぼくには、こういった具合の苦しみにこそ親密さを覚える。痛みにこそ安堵を感じる。胸をつんざく冷たい刃先にこそ、自己陶酔を伴わない正しい形での普遍を感じるのだ。耳の痛みが頭に及んで、白い靄が考えを妨げる。ぼくは銀のスプーンをイメージする。混濁したスープは、傾いたスプーンから少しずつ滴り落ちていく。落ちる先はやはり板張りの床だ、或いは円形の芝生だ、三角錐の形をした孤独だ。スープは分散される。そうしてもうほとんど、誰の記憶からも失われる。

 記憶とは浅はかなものだ。ぼくらには記憶をもう少し厳密に定義する必要があるのではないか。つまり、記憶を自己と同一視することは辞めにしないか?こういった論旨はあらゆるところに散見され得る。たとえば結果とは何か?結果を重視するとのたまう彼に、結果とは何かを厳密に説明できるのか?否である。主張には、その主張を構成する言葉をきちんと知る必要がある、或いは、知らしめる必要がある。

 つまり耳が痛い深夜の話だ、いや、もう朝も近かったかもしれない。これが記憶の浅はかさだ。どれだけスプーンが頑丈でも、スープはいつも不安だ。それは誰にも、何にも、依存しないからだ。今日美しいものが、明日醜くても、誰にも文句を言う権利はないということだ。ぼくのイメージは中央アフリカのサバンナに飛び、すぐさま北欧の海岸線に飛んだ。フィヨルドの底には財宝が眠ると言った。ぼくはそれを信じない。ナルヴィクの不凍港には悪魔が居ると言った。ぼくはそれも信じない。どうしてそれならムンクが居るのだ?ムンクは果して居なかったのか?ノルウェーのイメージは光を失って、ビートは戻り、痛みはぼくを引き戻す。音楽が鳴り止んだ。

2014/10/12

ゆらゆらとした混乱

 涼しくなってきた。昼前、支度をしながら、この部屋に越してきたころのことを思い出していた。大学に入学するまでの数週間、ぼくはあえてこの部屋を拠点にして、あてもなくさまざまな土地を歩いた。がらんどうだった、当時は自転車と、オーディオと、本しかなかった。ベッドさえなかったし、テーブルもラップトップもなかった。茶色のフロアリングに仰向けに倒れて、黄昏の部屋に音楽を聴きながら考え事をするのが好きだった。ぼくは十九だった。いまよりも四年若く、いまよりも失うべきものごとを四年分背負っていた。

 この部屋に居るのも、残り半年足らずとなった。ぼくは四年前と同じように、仰向けになって天井を仰いだ。少し太って、筋肉がついて、いくつかのことを忘れた。いろんな匂いを知って、それは即ち、いろんな匂いを失うことに相違なかった。台風が近付いているからか、頭が痛かった。寝不足の所為か昨晩の深酒の所為か、ぼうっとした脱力感が身体に膜のように張り付いている。

 *

 昨晩ぼくは泣いたのかもしれなかった。

 

2014/10/06

嵐の夜

 うんうんと色々思いをめぐらした結果、何も得られなかったから、簡潔に、書き出せることのみを記す。終日大雨、空気は寒し。昼前まで部屋でビートルズを聴いて、駅横のマクドナルドで本を読みながらゆっくりハンバーガーを食べる。夕方まで横浜、のち帰宅。
 ここまで自分に嫌悪感を抱いたのは久しぶり。何もかもが駄目だった、自分だけならいいけれど、今日のぼくは酷かった。申し訳ない。

 帰って諸々を済ませ、寝る、少しして、汗まみれで目を覚ます。原因は悪夢、内容はひとつも思い出せない。熱が奪われて震えていた、タオルで急いで汗を拭って衣服を剥がしてシャワーを浴びる。ひとつのことを考えていた。その間にお湯を沸かして、あがるとコーヒーを淹れて飲む、音楽はかけず。

 ぼくはこんな塩梅だけれど、きちんと眠っていてほしいと思う。ぐっすりと、いい眠りに浸かってくれていることを願っている。願っている時点で、ぼくには何も語る資格がない。無理矢理寝る、途中また目が覚めやしないかと恐れている。音はない。

2014/09/01

追憶

 高い天井のカセドラルから一本の糸が垂れている。その先端がぼくのちょうど目の前にある。先端を見て、天井をもう一度見上げる。美しい絵画に彩られた複雑な構造の天井の、一体どの部分からこの白い糸は垂れているのだろうと思った。カセドラルにはぼくの他にも何人かの人々が居る。発せられる声や音は限定された空間に籠って響いて、鼓膜を、蝸牛を伝って脳にじんと震えを感じさせる。ぼんやりとした頭のままで傍らの椅子に腰を掛けて、汗がひくのを待とうと決めた。ひんやりとした空気はぼくの混乱を少しは鎮めてくれるのかもしれない。

 ビリと電気が駆けたような気がする。分厚い扉を開けて外に出ることを考えたけれど、止めた。それはぼくには叶わないこのように感じた。扉はあまりに分厚すぎる。いつか読んだ漆喰の壁のことを思い出している。そこに十戒が書かれていた、葡萄畑のイメージ…話の内容は思い出せない。時間の流れるスピードが分からなくなった…日は傾いたのだろうか、ステンドグラスの弱光で本を読んでいる。

 愛が融けてパイプオルガン、元町をゆっくりと一人歩いた夕方を思う。マドレーヌをやり過ごしてグリューヴァインを買って、一人啜りながら冬の街を歩いていた、風の匂いもガスの匂いも親密で、橙の外灯に照らし出された煉瓦通りはどこまでも続いているように思われた。けれどしばらく歩けばそれは終る。通りの最後に小さなバーがあって、中からライブの音が漏れていた。フランク・シナトラ、じれったいほどのスローなアレンジで、ぼくはその硝子戸に映った自分の姿をじっと見ていた―愛が融けて、頭の先から爪の先までが、上から順にゆっくりと融けていく様子を。

 暗がりにぽっかりと空いた地下鉄の駅に潜って、部屋に戻った。


 カセドラルのことはもういいんだ、ブリスベンの通学路にシティホールがあった、噴水の前を通ると、いつも妙な匂いがした。時間がパキと音を立てながら融けていく。

2014/08/29

Bonjour Tristesse

 地下鉄のホームの隅で白髪の老人がギターを弾き始めた。はじめは古いカントリー、それから薬漬けになったアーティストの名曲、またカントリー、それからサザンロック。ぼくは少し離れた椅子に掛けて、長いことそれを聴いていた。無数の車輌がそこには訪れ、そして滑るように過ぎて行った。ゆっくりと停止すると自動扉が開き、夥しい数の人々が乗降した。ぼくの居た隣の席にもたくさんの人が座り、立ち去った。ぼくほどその音楽に長い時間耳を傾けている人は居なかった―誰もが忙しかった。それぞれの問題を抱え、それぞれの方策に耽っていた。問題を肩にぶら下げたままにしているのはぼくくらいのものだった。その考えはぼくにある西部映画を思い起こさせた。大学2年に観たものだ。主人公の青年は獣の肉を干して保存食として旅に伴った。干からびたぼくの問題たちは水分を飛ばして軽くなり、老人の調べ、弦が織り成す空気の振動に共振してぼくをも震わせた。しばらくすると肩の辺りがじんと麻痺した。ぼくはそれを確認すると椅子から立ち上がった。ちらと老人がこちらを見た。美しく豊かな白髪、ぼくは彼のこれまでの生涯を思わずには居られなかった。

 老人は枯葉を弾いていたが急にやめ、別の曲を弾き始めた。散り散りの音の全容を、はじめぼくは掴み損ねていたが、乗車位置で足を止めて神経を集中させると、それがショパンの別れの曲であることに気が付いた。ぼくはそういった類の音楽には疎かったけれど、それは聴いたことがあった。スペインのグラナダで聴いたのだ。バーで演奏するネグロイドの青年を見やりながら、親父はこれはショパンの別れの曲というのだと教えてくれた。ぼくはまだ船酔いが抜けきらないぼうっとした頭でそれを聴いていた。親父はもう、覚えていないかもしれない。

 音楽はぼくを揺さぶる。芸術とは不思議なものだ、かくも輪郭の判然としない力を、ぼくはほかに知らない。変色した古い小説のインクの汚れに、一枚の変哲のない風景画に、そうしてこの、都会に埋もれかかった、袋小路で奏でられる音楽に、どうしてぼくらは感動するのか。俄かに風が吹き始めると、トンネルの向こうに列車のライトの明かりが見えた。その光景はぼくにどういうわけか、田山花袋の蒲団を思い起こさせた。芳子が父に連れられ村に帰る場面のことだ。田山花袋…!ぼくはどうしようもない気持になる。ゆっくりと音楽は進んで、ちょうど車輌がぼくの眼前でぴたりと止まると同時に、止んだ。ぼくは全身に得も言われぬ痺れを感じていた…それから或いは、芳子の匂いを。

 扉が閉まり、動き始めた。白髪の老人はまた、次の曲を始めたらしかった。車窓が彼の前を通り過ぎる瞬間、彼は薄目をそっと閉じて、上体をそれまでのように、ゆっくりと揺らした。

2014/08/02

青い麦

 昼下がりの畦道を自転車でゆっくりと走ると、青い麦という言葉が浮かび、そういったタイトルのコレットの小説を思い出した。しかし内容はほとんど思い出せなく、ただその小説に染み付いた情景と、いま自分の含まれている風景とがマッチせず、同じ青い麦でもかくも違うものかと妙な感動に耽った。音楽を止めて周囲を見渡すと、真っ青な夏の大海原に、無数の虫たちがあらん限りの叫びを尽くしていた。悪くなかった。照りつける太陽は異邦人の、かののんびりと緊迫した銃声を思わせたが、不都合なことに、そこには海はなかった。ただ只管に広がる空の青色に、海原を連想させることも不可能ではなかったのかもしれない。カフカの短編集だったか寓話集だったか、忘れたが登場する測量家?だっただろうか、旅行家だっただろうか、思い出せないがとにかく、見知らぬ土地で不気味な風習に出会うことの、ある種快感にも似た感覚を想像する・・・無論いまぼくのいるのは、ぼくの故郷であるが、だからこそ思うのだ・・・つまり、まったく所縁のない土地でしか味わえないあのエキゾチシズム、下腹部の奥からじんわりと昇ってくる感覚は、えもいわれぬ印象を孕んでいる。

 エキゾチシズムはゴーガンをも思い起こす。悩ましい臀部をひねった褐色の女たち・・・タヒチから帰った知り合いが土産に紅茶を寄越した。当時紅茶を好まなかったぼくは、それをきっかけに飲むようになったのだった。彼はいま、大学院で物理学を極めんとしている。

 *

 眠りから脱け出してきて、ぼんやりとした頭でこれを書いている。タオルケットに包まって、仰向けになってこれを書いている。
 
 *

 本屋でTOEICの問題集を買おうとして止めた。それから芥川の魔術の収録されたものを買おうとして、これも止めた。ほとんど持っている話ばかりだったからだ。それから幸田露伴と迷って、トマス・マンの長編を買った。戻ると親父の本棚に同じものがあった。ぼくは上下巻とも買ってしまったことを悔やんだ。今思えば、ぼくはその、親父の本棚にあるものを予備校生のころ読んだのであった。すっかり失念していた。ぼくはほとんどのことを忘れてしまう。

 *

 眠気がまた訪れた。おやすみなさい。

2014/07/11

二年前に書いた文章の断片

いろんなことを考えながら歩いているうちに、背中に少し汗をかいていた。駅に降り立った時には寒くてパーカーを羽織ったものだったが、坂道を上り続けているうちに体は温まっていたのだ。時刻は八時をまわった頃だ。僕の精神はすっかり夜の闇に鎮められているように感じる。ポケットの中に手を突っ込むと、鍵と小銭とが擦り合う音がじゃりとした。僕はその、現実的な金属の音が嬉しくて、じゃりじゃり、と立て続けに鳴らした。鍵は勿論、僕が一人で住んでいた部屋のものではない。そんなものを持ってくる必要はないからだ。

「ハイセンスな女の子なんて存在しない。ハイセンスはいつも男性の中にしかない。」と、高校時代の彼女は言った。自転車の鍵を頭上に高く投げて、それをキャッチする。そんな造作を繰り返しながら、彼女は僕と一緒に歩いていた。

僕が黙っていると、「あたしにもセンスはない。分かるのよ、ただ分かるの。」と彼女は続けた。「そして、年を取るにつれてますますつまらないことになってしまうの。」

今のことは知らないけれど、僕は当時の彼女のことを、センスのある女の子だったと思っている。けれども、彼女の言うこともある意味正しいのかもしれない。だって女の子である彼女が言うのだから、それは僕の考えよりも信憑性があると考えるのが至極普通だろう。

「どうして女の子にはセンスがないの」と僕はその時尋ねた。今でも覚えている。高校からの帰り道だ。ほとんどの生徒が通る、高校の前の坂道を途中で右に折れると、静かな住宅街に入る。その道は逆にほとんど人通りが無くて、僕らはよくそこを通って帰った。駅まで行くには遠回りになってしまうが、途中に小さな公園があったり、昔ながらの駄菓子屋さんがあったりして、僕はその道が好きだった。その道でまさに彼女は、「きっとね、それは仕方ないことなのよ。女性の美しさを男性が持ち合わせられないように、それは無条件なことなのね。」と言った。直後に漏らした彼女の微かな溜め息は、僕がこれまで聞いた中で最もハイセンスな溜め息だった。

鍵、と僕は思った。彼女の鍵にはしし唐のキーホルダーが付いていた。とてもハイセンスだ。


僕が今握っている鍵は、向かっている別荘の鍵だ。祖父の別荘。父親が子供の頃は、夏休みになるとよく家族で出かけたのだという。川で遊んで魚を釣り、夜になると焼いて食べた。音楽をかけてカードゲームを遊び、二週間ほどはそこにいたのだ、と。父親とその妹が成長するにつれてそこに訪れる機会は減ったのだ、と祖父は先日話した。僕は一度その別荘に訪れたことがあった。それは高校一年生の時で、友人と二人で東日本を一周したときのことだった。都内から鈍行列車で遥か離れ、途中に寄ったのだ。三日間、僕らはその別荘に滞在した。友人はコウムラという男で、高校を卒業し、東京大学に合格した年の夏にグアテマラで死んだ。南米に旅に出かけている最中に入ったレストランで、たまたま爆発テロが起こったのだ。運の悪いことに、グアテマラというのはたまたまテロの起こるような国であった。彼を含めて、レストランの中にいた人間は全員死んだのだという。彼はスタインベックの好きな男だった。「なあ、お前にはセンスがある。」と、コウムラは僕に言った。「ただ、勇気がないだけだ。」

僕にはやはり勇気がなかった。だからこそ今、この湿った林道をとぼとぼと歩かなければならないのだ。別荘の鍵は何の変哲もない、普通のなりをした鍵だ。アクセサリも何もない。夜はすっかり密度を増して、もうすぐ別荘に辿り着こうとしている僕の背筋をしゃんと伸ばす。咳払いをすると、夜の空気に少しだけ響いた。

2014/07/08

疑心

 ぼくは甘い。自分にも甘いけれど、こと女の子には甘すぎるくらいに甘い。けれどもそれは優しさとか寛容さではなくって、ぼくは結局のところ、彼らについてほとんど諦めているということだ。もう期待することは止した、まあ実際の話、まだきちんと諦めきれてはいない。けれどもそれだって時間の問題のはずだ。少しずつ染みこんでいく、ぼくはもう彼女たちのことを信じない。だから甘くなっていく一方だ。大抵の裏切りや嘘では傷つかなくなるだろう。その代わり愛することもできなくなる。それは抗いようのないことだったのだ、ぼくが信じて、彼女らがそれに背く限り、ぼくはそういった道を辿らざるを得ない。これは自明だ。

 どうしてそんなに優しいのかしらと言った女の子が居た。ぼくは当時、自分のことを優しい男だと思っていた。けれどもそれは幻想なのだ。もし次会うことがあれば告げるだろう、ぼくはこれっぽっちも優しくはないのだと。きみに対して誠実ではあれなかったのだと。ぼくは最後まで、自分に対する誠実さで精いっぱいだったのだ。誠意の絶対量は決まっているのかもしれない。それを全て自分に注いでしまったのだ。

 *

 久しぶりに晴れたから、早い時間に部屋を出た。大学でこれを書いている。平和な午前だ。おろしたてのTシャツは柔軟剤のいい匂いがしている。匂いが好きだと言われる、それは何の匂いのことだったのだろう。雲はうんざりするぎりぎり手前のところ、絶妙な穏やかさでゆっくりと過ぎていくし、学生は皆晴れやかな顔をしている。ぼくは友人を待ちながらいろんなことを考えている。考え事は浮かんでは消え、また浮かぶ。いろんな人のことを、いろんな自分のことを思う。

 *

 憧憬はある。ぼくが発しているそのもののぼくを、まったく同じニュアンスで受け入れてくれるような状況、そうしてぼくも又、彼女のことを、同じように信じるだろう。そういったケースがもしあったらどれだけ安心できるだろうと思う。けれどもおそらく、そんなのは有り得ないのだろう。わずか残る微かな希望にも、ぼくは縋るのが心底恐ろしくて仕方ない。もう本当に、ぎりぎりのところなのだ。余裕のある男性になりたいと常に思っている。時間に、金に、生活に。けれどもぼくには余裕はなかった。いや、物質的にではない、ただそれよりももっと根本的な部分において、ずいぶんと窮屈な思いをしていた。真皮が爛れている。ぼくにはそれを感じることができる―火傷のような痛みだ。

 *

 悲しみは水のように、さらさらと流れている。擦りむくと血が出るように、ぼくは水のような悲しみを垂れ流しているのだ。それが尽きることはない、水脈はぼくの底の無い絶望の先まで続いている。逆立ちしたって、どれだけ美しい女の子と寝たって、それを止めることは出来ない。であれば、ぼくはそこに甘んじるしかないのか?どうなのだろう、悲しむことはつらいことだ。もしも本当に、何も言わない温かさがあるのなら、いや、うーん、駄目だ。研究会のことをしこしこと続けることにしよう。埒なんてそもそも明くるものではない。根なぞ無い。気の毒な男である。

2014/07/01

屁理屈マン

『生きのびているのは、馬鹿と、ならず者だけである。』



 講堂の窓から青空が見える。前の黒板には今日の授業が休講になった旨が稚拙な筆致で記されていて、だから堂内は数人の暇な学生が点々としているだけでがらんどうだ。ぽっかりと空いた空間の心地よさに酔ったまま、彼らはぼんやりと各々の所作にふけっている。ぼくもその一人だ、縦長の窓の外をぼんやりと眺めながら…およそ果てのない憂鬱な思索を試みている。
 食堂に行けばいつものように仲間が談笑に食事を摂っているはずだが、思うようにぼくの気持ちはそこへは行かない。どうにもうんざりとした心持のまま、数十分の間を自慰のような空想に充てている。空調の効いた室内。

 …大学創設者の著作を読んだことがない。ある教授がうんたらのすゝめという世に言う名著を講義で薦めていたが、ぼくにはどうにも読む気が起きなかった。「先生の本を一読しておくことは、本学の学生としては大いに価値のあることだ」と彼はのたまった。そう言われてしまっては読むわけにはいかないのだ。無論その名著たり、又少なからぬ真実を孕んでいることには特に疑いもしないが、しかしだからとて、それを読んで新しい発見があるかといえば、そうも思われない。第一ここの学生に学問の匂いを感じたことはほとんどない。ぼくもそうだ。



 人間の行動の源泉に感情を認めたくはない。そこには常に理性の介在を保障したい。つまり、確かにぼくは感情を認めたい、感情がなければ生きる価値などないからだ(画一的な世界になってしまうということだ)。しかし人として生きる上では、やはりその感情を包含するような理性の発揮が不可欠であることは、構造上ごく自然にして、又、定義上も正当かつ絶対であることは明々白々たる真実に他ならなかろう。人間にとって、感情は核にはなりえない。それはあまりに古すぎる。

 その意味で、人間である以上、ぼくは考えることから逃れたくはない。従えば、その半ば本能的な衝動(感情と本能は本質的に異質のものである)こそが、ぼくの誠実さへの憧れを成り立たせている。誠実さとは考え抜くことに相違ないのだ。自分に対して、相手に対して、あるいは世のあらゆる要素に対して、常に愚直なまでに考え、そのために働きかけることだ。

 ところがどうして、世の中には頭を使わない人があまりに多いように思われる。彼らはもう一歩、二歩先を考えれば、あるいは、もう三秒頭を使えば踏み外さなかったろう。 しかし一度過ちを犯したなら、たいていの場合、もう取り返しはつかない。ここにこそ、ぼくの経験を否める所以がある。経験には価値はないのだ。

 ぼくの言う経験とは、理性の外で行われる経験のことだ。

「経験しないとわからない」という人が多くいるが、果してその根拠はどこにあるのか?経験をしなくてもわかることはたくさんあるし、そういった認識を持たないで無駄な経験をすればするほど、彼はどうしようもなくすり減り、人間としての正しさを失っていく。

 だからぼくは、若気の至りという言葉も嫌いだ。若かろうがなかろうが、考えればわかることは常に同じだ。経験や知識に基づいて言葉を連ねる人間は信用ならない。彼らは無責任だ。いつでも他者の中でしか語ろうとしない。結局のところ、彼らは考えるのが怖いのだ、あるいはもっとひどい場合では、彼らには考えるという能力が根本的に欠落しているのだ。



  経験や行動は、考え、疑い、認識の底を触ったときにはじめて、その意味を生む。



 窓の外に薄らと雲がかかり始めている。雨が降らないうちに部屋に戻ろうと思う。酒屋で安いウイスキーとビールを買って、今夜もゆっくりと本を読もう。こういった日々が、ときにはあったっていいじゃないか。

2014/06/24

テレビを観ない

 テレビを観ない。高校生のころからテレビを観なくなった。夏の甲子園くらいのものだ。或いは、地震速報くらいのものだ…それだって最近では、近しい教授のホームぺ―ジにアクセスした方が早いし、正確だ。本当に、ぼくはテレビを観ない。おそらく年間通して一時間も観ない。そのうち能動的な観賞は十分にも満たないだろう。

 煙草を吸わない。常習的に吸った時期はほんの一瞬だった。当時は酒を飲むと吸いたくなったが、今ではその衝動さえも心地よい肴で、実際に喫煙することはない。周りはみな吸うが、それを借りることも無い。何だか、別に嫌いと言うのでもない。ただ、なんというか、無意味なことをしたくないのだ。とても吸いたいなら吸うべきだと思う。それを否定はしない、否定しだしたらぼくには友人が居なくなってしまう。ぼくはとても吸いたくないわけじゃないから、そんな奴に吸う資格はないと思うだけだ…うーん、ちょっと言い過ぎかもしれない。ただまあ、今後も吸うことはないと思う。吸わないことを格好いいとは思わない、寧ろ映画なんかには煙草が欲しい。ボガートなんかには絶対に吸っていてほしい。

 シャワーを浴びないとベッドに入れない。或いは、シャワーを浴びないと夜を越せない。例えば友人の部屋で夜通し飲むことに抵抗がある。もしそこに居座るにしても、必ず替えの下着を持ってシャワーを借りたい。できれば一度自分の部屋に戻ってシャワーを浴びて着替えてしまいたい。どうしてかは分からない。たくさん汗をかくが汗がとても嫌いだ。代謝がいいと汗はべたつかないしにおわない(と言われる)。それでもぼくは汗が嫌いで、夏場は一日に幾度となくシャワーを浴びる。ぼくはシャワーが好きだ。外から戻ると少なくとも足を洗う。靴を脱いだ足で部屋に居たくない。ただ別に潔癖と言うのでもない。部屋はさほど綺麗ではない、寧ろ大抵散らかっている。

 期待をしない。自分にも、相手にも、求めすぎてはいけない。常に自分を把握することはすごく大事だ。大それた夢も、相手への欲求も、ひとまず実際のところを知ってから、はじめて至ることができるんじゃないかなあ。そんな朝、二限に遅れそうな朝、音楽ばかり聴いている。ぼくは音楽をよく聴く。

2014/06/20

何も知らない

 ケフラヴィーク国際空港に向かって機体が着陸態勢に入ると、窓から大地が見えた。ぼくははそれを月面と見紛った。斑ひとつない、眩しいほどの青の足もとには、灰色の荒野が延々と広がっていた。滑走路だけが不自然に一本、浮かんでいた。妙な気持になったものだ、今でもよく覚えている。チョコレートバーを齧りながら、ぼくはぼんやりと景色を眺めていた。



 大学生になったぼくは、国内のあらゆる土地を歩き回った。鈍行列車に宛てもなく揺られ続け、一等閑散とした駅で下りることを好んだ。昼間のベッドタウン、東北の山間部、和歌山の奥地。ぼくはバックパックを背負ってホームに足を踏み出す度に、かつての、高校一年の時分に感じた、かのアイスランドの感覚を思い出すのであった。音楽ともない音楽が脳裏をうっすらと流れてゆき、匂いともない匂いが鼻腔の裏を撫でていく。腹の底で打ち続ける鼓動はぼくを果てなく歩かせた。知らない土地がどうしようもなく好きであった。ポケットの小銭を握りしめて、時間の制約を逃れて、背中にじっとりと沸いてくる汗をも好意的に受け入れる。そこには確かにぼく自身が在ったのだ。そこにいる自分こそに、ぼくは意味を見出していた。



 大学の単位もそこそこ取り終え、就職活動を終え、周囲は口々に、ぼくのことを順風満帆だと言う。羨ましいとのたまう。他大学の女の子の態度もがらりと変わり、親類もやたらと褒め称える。ぼくはもう、本当にうんざりしていた。なんだか一つの展示品にでもなった気分だった。順風どころかそよ風さえも吹かず、満帆どころか帆は垂れて微動だにしていない。それはぼくにとっては不思議だった。自己顕示欲、承認欲求、ぼくに備わっていると思い込んでいたものに対して、その不在をありありと感じたからだ。

 ぼくは本当にうんざりしている…金曜の昼間から大掃除をしている。全ての不要物を捨ててしまおうと思った。シャワーを浴びて、洗濯をして、ビールを飲んでいる。女の子から今夜飲もうとラインが届いていた。飲みたくないわけではなかった。しかし彼女の話は詰まらないし、何しろ情欲に掻き立てられることに快さを感じられそうにはなかった。



 「知らない土地を歩くとき、何を考えるの?」

 そう尋ねられたことがあった、もう二年以上も前の話だ。横浜の裏手にある居酒屋で、カウンターでビールを啜りながら、ある女の子と焼き鳥を食べていた。ぼくはその問いに答えることができなかった。

 旅の中で考えることには、ある種二次産物的な側面があるのかもしれない。何故なら、ぼくは考えるために旅をしているわけではなかったからだ。自分を探求しようだとか、何かを知得しようだとか、そういった意識はまるでなかった。それに気が付いたとき、ぼくは驚いた。ではどこに意義があるというのだろうか。あえて言うなれば、ぼくは考えてなぞいなかった、いや、厳密に言えば、意識的に考えると言うことはしなかったのだ、結果的に考えるに至ることこそあれ。



 移動し続けることに意味があるのかもしれない。つまり、大地に触れ、できるだけ自分以外のもの、あわよくば人間以外の要素のみに囲まれ、そこで歩き続けること。そういった欲求が無意識のうちに働いているのかもしれない。寒空の早朝に歩く紀ノ川沿い、熱帯夜にうずくまる四万十川の暗闇、ぼくはそういった瞬間に、自分の容認される感覚を抱いているのかもしれなかった。



 アイスランドを旅する間、ぼくはゆっくりと本を読んでいた。それは古く、名も無い小説で、長野の山奥に住む叔母から送られてきた古本だった。飛行機から飛び降りた男がセックスを拒んでレモネードを飲む話だ。大学に進学して引っ越すときに、何かに紛れて失くしてしまった。ぼんやりと、ある女性の首筋を思い出している…ぼくはそこに傷をつけたい。

2014/06/07

やわらかな雨

 雨が止まない。朝九時ごろに、鈍い頭痛とともに目を覚まして、カーテンを開けた。ずいぶんと降っていた。ぼくはカーテンを閉めて、歯を磨いてシャワーを浴びた。ヨーグルトを食べて、音楽を聴きながら着替えた。英語のテキストと適当な小説を手に取って鞄に入れた。それから、ペンとノート。出掛けようと思って傘を握り、玄関の扉から部屋を出た。廊下に立って外を眺めると、やはりずいぶんと、降っていた。ぼくは少しの間、その風景を眺めていた。青々と茂る木々の葉を揺らす雨粒、ノイズ、どこまでも続いていく灰色、それからまた、頭痛を思い出した。今度はその上に、気怠い眩暈さえも覚えた。疲れていたのだろう、昨晩はずいぶんと長い時間、ぼくは眠ったようだった。思えば目を覚ました時、電気は点けっぱなしで、読んでいた小説は腰の下敷きになって表紙を曲げていた。
 ぼくは踵を返して部屋に戻った。そうして服を脱ぎ捨て、レコードプレイヤーにグレン・ミラーを回し、電気を消して、寝床に戻った。音楽が雨音を消して、薄暗がりの部屋に安寧を感じた。こういう金曜日があってもいいではないか。ぼくはいろんなことを考えながら微睡み、最後にはやはり、憂鬱な惰眠に落ちて行った。


 雨が止まない。インスタントのコーンポタージュを啜りながら夕暮れ時、今度はダニー・ケイを聴いている。夕暮れとはいえ、陰鬱な雨雲の所為で、その時間の経過は感じられない。ただのっぺりとした景色が繰り返し流れて行くだけだ。ぼくは開けたカーテンをまた閉めた。それからゲームで暇を潰した。何件か酒の誘いがあったが、断ってしまった。寝起きの呆けた頭でまた、下らないことを考えていた。彼女の乳房のことだとか、この間女友達と話した結婚の話、後輩のコンプレックスの下り、勉強する気も起きない講義の中間試験のこと。夏野菜カレーを食べたいと思った。女の子の作ったカレーを食べたことがない。ぼくはカルボナーラやロールキャベツは食べたが、女の子の作ったカレーを食べたことがなかった。詰まらないなあとゲームを切って、仰向けになって天井の染みを眺めた。三年前の飲み会でついた染みだ、由来も成分も分からない。奇妙な複数の模様と、その配置は、なんだかモダン・アートな感がある。
 前の彼女のことを考えた。途端に多くの音楽を思い出した。ダニー・ケイは知らぬ間に終わっていて、雨の音が伴奏になった。湧水の如く音楽は溢れだした。それは雑多にしてしかし、深海に居るような静けさを伴っていた。筆舌に尽くし難きかく浮遊、とぼくは頭の中で書いた。オリーブの種、彼女はタリスカーを飲んでいた。


 なんとなしに外に出た。古いパーカーと撚れた短パン、駅前の居酒屋で拾ったサンダルでおめかしをした。手ぶらだ、財布も持たなかった、コインを適当に掴んで持ってきただけだ。音楽を聴きながら歩いた。雨は止むどころか、強くなっていた。アパートの前の坂道を川のように流れていく雨水、その流れに逆らうように、ぼくは上った。音楽を聴いている、それはどんなものでもよかった。再生をすると、それはぼくが中学二年のころによく聴いていた音楽だった、マイナーな曲だ、好きと言うわけでもない、ただ、当時のことが思い出されるだけだ、無色に。

 雨の中で緑は映える。どうしてだろうか、道沿いの竹藪は活き活きとしている。その一本一本が、嬉々として雨のその身に流れるを受け入れている。藪から目を落とすと、打たれて散ったのか、吹かれて散ったのか、足元に若い葉の一枚が落ちている。ぼくはしゃがんでそれを手に取った。厚みを感じる。

 コンビニで雑誌を買った。帰ってシャワーを浴びて、また眠った。目を覚ますと外は暗闇だった。


 電話をした。何とも言えない気分だ。


 午前四時、昼間眠りこけた所為で、まるで寝つけない。仕方なくこの文章を書いている。雨はまだ止まない、結局、ずうっと降り続けている。あるいはぼくの寝ている間に、止んでいたのかもしれない、いやあ、それはないだろう。音楽を聴いている。電気を消した部屋、暗い部屋で一人、腰をさすりながら言葉を捻りだしている…まさに捻りだしている。文章を書くというのは、小説を読むことよりもずっと苦しい。けれども書かねばならない。彼女の声を思い出した、どういうわけか、かっと全身の熱くなるのを感じた。ぼくは退屈な人間になってしまったのかもしれない。それでもいいのかい?ぼくは詰まらない人間になってしまったのかもしれない。

 それは仕方のないことだ。今はただ、ひとつのことだけだ。

 雨は止まない。明日のうちに深夜バスの代金を振り込まなくちゃ。彼女の匂いを思い出そうとしている。けれどもそれは徒労だ。バーボンをグラスに注いだ。氷を取りに起き上がるのも億劫だ。一息に飲みこんだ。どうしたって、ぼくはこんなにも寂しいのだろう。

2014/05/01

 部屋の掃除の途中、座椅子にかけて眠ってしまっていた。目を覚ますと日が暮れていて、時計は二時間ほど、針を進めていた。桑田佳祐の音楽が延々と繰り返されている。『今でも君を愛してる』、白桃の香りと薄暗がりが妙にエロティックで、彼女のことを思い出している…ぼくは今でも、彼女のことを愛している。傍らのバナナをひと齧り、食欲のないここ数日の憂鬱を考えている。ぼくは裏切られたのだろうか、そうして、これからまた、裏切られるのだろうか…今までのように、ぼくは結局のところ、損なわれるだけの存在なのだろうか。

 ぼくはもう、最後だった。今度がうまくいかなかったときには、全てをやめてしまおうと心に決めていたのだ。だってね、誠実さにとっては、それが最も大切なことだったからだ。遂にぼくは、ぼくであり続けることしかできなかったのだ。それはあまりに悲しいことだった。

 この一週間で、二度、彼女を泣かせてしまった。それについてぼくは、思っていたよりもずっと大きな罪悪感を感じている。ぼくは間違ったことは言わなかったはずだ、けれども、たとえそうであっても、いずれにせよ彼女に涙を流させてしまったことは、大きな罪だ。ぼくの罪だ、そうしてそれは、償われるべき、罪である。

 明日、彼女は訪れる。どうして彼女を抱けようか、青い悲しみが部屋を満たしていく。それはどの青とも違う。血のように鮮やかで、木々のように萌える青、滲んだそばから消え入りそうな、悲しい青だ。

2014/04/15

サボタージュ・ジャーナル

 就職活動を終えて十日余りが経って、けれどもぼくにはまだ、整理がつかないでいる。いろいろな場所で酒を飲み、女の子たちと話をして、人生のことだとか、男女のことだとか、お金のこと、結婚のこと、将来のこと、過去のこと、いろいろなことを考えてきたけれど、十日間の最後には、結局ぼくはポケットの小銭を数えながらラーメン屋の暖簾をくぐっていた。酔狂の末にひとり、かつて女の子とよく訪れたラーメン屋のカウンターに座っていた。ラーメンは知らぬ間に値上がり、ホールの女性も知らぬ顔であった。酒の回った内臓にスープを流し込むと、矢張りぼくはぼくでしかないのだと思い知らされた。この愚図で不束なノッポの男は身の程もわきまえず、背広を着て社会に出て行こうとしているのだった。ぼくはどうしようもなく憂鬱な気分になった。煮卵を頼んで浮かべると、それを器の中で転がして遊んだ。


 ノートを買って、小説を書こうと思った。ある女の子との約束まで二時間ほど中途半端にあまってしまって、地下街の喫茶店で真新しいノートを広げた。しかしぼくにはろくに書くことができない。ペンを握ると、かつてそこにあったはずの感覚の損なわれていることを感じた。ぼくは確かに歳を取っているのだ、ぼくは思った。そうして高校生のころに書いた、「ぼくは失われ続けるものである」という旨の文章を思い出した。そうである、まさしく当時のぼくは真実を語っていたのだ。ぼくはただ、ぼうっと立っていることしかできない。何か行動をとった気になって、実は何もしていないのだ。そうしてただ、ぼくのエッセンスのようなもの、或いは重要な臓器のようなものが少しずつ、断片的に失われては足元の泥沼に沈み込んでいく様子を傍観していることしかできない。

 桜の木のことを考えていた。空は高く澄み、桃色の花弁の散るを見下ろす青々とした葉桜の傘が逞しく、ぼくはその脇に立って只管失い続けるのだ。


 誠実さについても考え続けている…もうそこには、ほとんど絶望しか残っていない。ぼくはその絶望を丁寧に掬い取っては、背後に撒いて捨てていく。重油のような絶望はひどい臭いを立てているけれど、ぼくはもう慣れた。それはまさに習慣の勝利であった。その具現のさなかにありながら、ぼくは表情を崩すことも無く、ただ誠実さと言う概念が絶望に浸食されていくことに欠伸をしている。

 そこには誠実さは有り得なかった。それはぼくには驚くべきことだった。また別の場所を掘りはじめなければならない。ここには誠実さはなかったのだ。


 抽象的なことばかりである。けれども、本当の具体性と言うのは、しばしば抽象の究極のところに位置するのではないかとも考えられ得る。そうではないか?少なくともぼくはそう考えている。抽象論はひどく苦しいものだ。けれども、その苦しみこそがぼんやりとした輪郭にはっきりとした陰影を与えるのだ。少しずつその姿が白日の下にさらされ始めている。確かにそういった感覚を持っているし、かならずや、今年の終わるまでにはその全貌を把握しなければならないと、ぼくは切実に望んでいる。焦燥は不要だ。

2014/04/05

記録3

第一志望の企業から内々定をいただいた。通過のたびに、或いはフィードバックのたびに人柄を評価されて、なかなかそんな経験これまでになかったから、うれしかった。
少しは自分に自信を持てたかなあ。

2014/04/04

記録2

昨日の雨が過ぎても、桜はまだ残っている。ぼくはぼくの気持を伝えようと思う。更には、これまでの自分をきちんととした目で認識し、それを表現することに努めたい。強く屈強で、尚且つ弱さも認める意志を持つことだ。これからのぼくをきちんと見つめる。

2014/04/01

記録

強い意志を持つことだ。タフであれ、しかしタフなだけでは足りない。強く屈強で、尚且つ弱さも認める意思を持つことだ。春の明るさに負けないように、ぼくはきちんとしようと思う。

2014/03/10

風立ちぬ、いざ生きめやも

 思いに耽ることが少なくなった。夜を徹してもがき悩む日も無い。その代わりに、日中、断片的な考え事が過ぎていくことを感じる。都営三田線のホームの上を乾いた風と一緒に、何かしらの考え事が流れ去っていく。中央線の改札口を通る刹那、背後に重要な考え事を残してきたような気がする。その煮え切らない感覚がどうにも気味悪く残っていて、そのどれもに残る惰性みたいな匂いがぼくのスーツに少しずつ、染みついていく。いつだって残るのは匂いだけだ。
 コートの襟もとから胸の部分にかけて、彼女のファウンデーションがついた。それをぼくは落とさずに着ているから、傍から見ると少し汚れているように見えるかもしれない。けれどもぼくにとってそれは汚れではない。

 思いの断片が剥がれては上空に昇っていく。それは妙な感覚で、少しずつ自分が剥がれ落ちていくような気持でいる。無理に自分を捻じ曲げて、その力に耐えきれなくなった皮膚が裂けては失われていくのだ。けれどもぼくには分かっている。それは仕方のないことなのだ。誰かを愛そうとする限り、人はそのようにして妥協を強いられる場合だってある。或いは意志とは関係なく、愛するたびに失わねばならないケースも往々にしてある。そういうものだ。

 久しぶりにゆっくりと考えている。無論、本来であればそんな時間はない。ようやく履歴書を書き終えたところで、明日はまた5時過ぎには起きなければならない。ある企業についての勉強も済まさなくちゃならないし、正直のところ、最早うんざりさえしない。「スイッチを切れ」という言葉を思い出した。ぼくはスイッチを切ろうとしている。焦らなくていいのだ、また付け直せばいいのだから。いつだって本質を忘れてはならない。スイッチの位置は覚えておこう。それは決して難しいことではない。慣習は失われない。確かに少しは埃さえかぶってしまうかもしれないけれど、スイッチの位置は変わらないのだ。思い出してきちんとつけることができれば、すぐにぼく自身は取り戻される。

 彼女のことをぼんやりと考えている…トマトジュースを一口含んだ、さほど美味しいものではない。ぼくは彼女の何を好きになったのだろうか。耳だろうか?胸だろうか?首だろうか?脚だろうか?何なのだろう。それはひどく難しい質問だった。どうして難しいのだろう、それはごく自然のことのように思われるのだ…つまり、ぼくと彼女とが同じ場所にいるという事実について。

 毎日は悲しいものだ。これはぼくが二十年余りを過ごす中で見出した最大級の発見のひとつだ。人生は悲しみで満ちている。けれどもそれは落胆するべき事実ではない、なぜならば、悲しみというのはごく当たり前にそこにあるものだからだ。ぼくたちは悲しみと親密である必要がある。それを避けようとするのはある種の背徳だ。

 だからこそ、ぼくは耐えることができる。彼女がここにいなくって、それがたとえやりきれないほどに悲しい気持にさせたとて、ぼくは大丈夫なのだ。悲しいことはまともである証拠だ。彼女がここにいないことに、肩を落としてため息をつくことは、ぼくにとっては確認のひとつにもなりうるということだ…勿論それが懐疑の解決になることはない、懐疑というのは断続的に続いていくもので、ため息をひとつつくというのは、結局のところその間に一つの関節のようなものを形成するにすぎないからだ。懐疑は新たな懐疑を生む。しかしそれを認識できるということでさえ、そんな些細なことでさえ、今のぼくにとってはすごく意味のあることではないか?

 認識こそが行動に先立つ。ぼくは今でもそれを信じているし、たとえその考えに反するような文言を吐いたとて、或いは動きをとったとて、それすら認識の上に成り立っているという自信がある。その自信さえ失わなければ、ぼくは永久にぼく以外にはなり得ないだろうし、その意味において、ぼくというのはやはりぼんくらのノウタリンなのかもしれない。

 諦めが肝心である。ぼく自身を慈しみ、あるがまま這いずるしか道はないのだ。

2014/01/11

qu-jew

 スザンヌ・ヴェガを繰り返しながらぼうっと午前を過ごした。一月の陽光は余所余所しくてぼくはなんだか居たたまれない。正午を跨いでも、何も変わりはしない。日の角度がわずかずつ動いて、部屋の模様が申し訳程度に変化するだけだ。相も変わらず彼女はここにいないし、ぼくは独りだ。ぼくは思う。本当に独りなのだ。天井がゆっくりと降りてきているような圧迫感がある。

 中学二年の冬に高熱を出した。翌日英語検定のためにロンドンに行こうかという週末の夜で、ぼくは恐ろしい感覚に落ちた。それはまさに、覚醒と睡眠との間に起こった。
 ぼくは、自分の身体から精神が少しずつ乖離していく様子を実感した。これは嘘ではない、本当だ。ぼくの意識は、身体という物質的な限界にその刹那、馴染んでいんかったのだ。半ば拒否症状のように身体はさらに熱を帯びて、どうしようもないもどかしさのようなものを覚えた。ずるずると引きずり出されるようにして意識は身体を離れた。痛いというでも、気持ち悪いというでもない。ただ圧倒的な違和感が不快さを呼んで、ぼくは耐えられそうも無かった。
 ぼくは聞き取れない譫言を垂れていたそうだ。汗まみれになって、しばらくしたのち、嘘のように静かに眠りに戻ったのだという。

 それから、ぼくはその感覚を忘れられずにいる。あれほどまでに乖離の感覚を覚えることはもうない。けれども、どうしようもない歯痒さを伴ったその感覚が、日々の中に訪れることが屡ある。それは今だってそうだ。わずかなズレがそれを生むのだ。ぼくの身体と、その影のような意識とがほんの少しズレて重なるとき、ぼくは歯を食いしばって耐える。何をすることもできないのだ。ただ耐えるしかない。

 彼女への手紙を書こうと、ちゃぶ台の前に丸くなった。けれども書けない。幾ら書けども、納得のいく文章が書けないのだ。ぼくは焦っている。もう二度と、彼女には会えないのではないか?実際、そうではない。彼女は月末に訪れる。けれども、どうにも不安で仕方ないのだ。ぼくはこのまま、この部屋に吸い込まれてしまうのではないか?

 何を思うでもない。皮膚に、筋肉に、骨格にまとわりつくこの違和感こそが、ぼくを確かに生かしているのだから。