2013/12/16

ものさしのこと

 夢の中で、しゃくりあげて泣いた。蹲って頭を地面にこすり付け、どうにももんどりうちながら只管声をあげて泣いた。理由は忘れた。空は曇っていて、何やら工場のような場所にいた。仲間が二人寄ってきて(誰であったのか覚えていない)、ぼくの背中を撫でた。ぼくは頭の中で熱い鉄球がごろごろと動いているのを感じた。それは確かに、熱せられた鉄球であった。ぼくの頭は内側から熱を与えられ、衝撃を受けた。眼球の裏の視神経を刺激し、首元の背骨にも震動は伝わった。寒くはなかった。ただぼくは半ば痙攣して涙を流し続けた。鉄球を冷やすために。



 ぼくがぼく自身であるということは、例えば、誰かに腹が立ちそうなシーンにおいても、自分はきちんと自らの立場を見失わないということだ。腹が立つのは、自分が相手の土俵に立つからだ。すなわち、聞こえの悪い言い換えをすれば、相手のレベルに合わせるということだ。それでは気に食わないこともあろう。

 期待をしないことだ。距離をきちんと計ること。『必要なものは感性ではなく、ものさしだ』と極端な文章もあるほどだ。ぼくは人との、或いは物事とのあいだに横たわる距離を慎重にはかることで、彼らとの関係に最大限の効果を求めようとしている。人と関わることで、ぼくらはそれぞれの思想に栄養を与えあうことができるのだ。

 所詮、他人なのだ。こういうとひどくぼくが人でなしのように響くが、けれども事実だ。第一、自分でもなお大して把握できているわけでもないぼくという人間について、ほかの誰かが理解し尽くすことのできるはずがなかろう。然れば仲違いのきっかけはそこかしこに転がっていて当然なのである。かくして、ぼくは彼らを大切に思うが故に、彼らとの距離を一等真剣に考えるわけだ。



 髪を切った。寒い。

流れ星

 横浜のバーでマスターとだべって、少し酔いながら電車に揺られ、部屋へと続く最後の坂道をゆっくりと上っていると、向こうの夜空で流星が一筋降った。先刻ふたご座流星群の話をしたばかりで、ぼくは何とも言えない気持ちになった。道の真ん中で立ち止まり、ぼうっとその残像を追いながら、ただ彼女のことを思わずにはいられない。夜の澄み渡った空気がぼくには痛いくらいで、無意識に漏れ行く霞んだ白い息が、街灯に照らされながら電線のあいだをすり抜けていくのが見えた。

 部屋に戻って音楽をかけて、風呂を沸かして本を読んだ。読みなれた一節に目を通しながら、やはりぼくは思い出す。良い文章というのはそういったものだ。物語の情景の中に記憶があいまいに溶け込んでいて、その文末に向けて追うごとに、自然に、ゆっくりとぼくは思い出す。古いロックがかすれた音をレコードに鳴らして、ぼくはますますウイスキーを飲みたいと思った。けれどもひとまずは風呂に入ることが先決だ。ぼくはクリスマスのことを考えた。喜んでくれるだろうか。

 中学生のころ乗った観覧車に乗ろうと言った。彼女は電話越しにいいねと笑った。十三の頃、別れの直前に、ぼくらは近所にぽかんと浮かぶ観覧車に乗ったのだ。今でも鮮明に覚えている、と彼女は言った。ぼくもだ。ぼくらが一言も言葉を交わさなかったという記憶も一致していた。恥ずかしかったのだろう、そういう恋愛であった。ぼくはイギリスに渡って、彼女は日本に残った。何も分からないころの話だ。けれどもきっと彼は、いまと同様、いろんな下らない、果ての無い思いを巡らせていたに違いない。結局のところ、ある程度の時間がなければ分からない類の真実が、世の中には存在しているからだ。

 川沿い、土手にも行こうと話した。真冬、彼女は白いダウンを着て橋の向こうに待っていた。ぼくは彼女を手招いて、川の土手を降りた。かすかな水音と、頭上の端を行き交う車の音とがしていた。ここでもぼくらはほとんど会話をしなかったろう。ぼくは彼女に細やかなプレゼントを渡した。川はゆっくりと流れていて、ぼくは―本当に、驚くくらい鮮明に覚えている―この流れが少しずつゆっくりになって、最後には止まってほしいと望んだ。そうすればぼくらも離ればなれになることはないのだ。

 年明け、ぼくは彼女と同じ新幹線で地元に戻る。九年間をさかのぼるように、車体はぼくらを運んでいくのだろう。

2013/11/29

Guaranteed

 保障された生活は詰まらないと思う。無骨でざらざらとした生活を営みたいと思う。それが若さと言うものではないか。三島は言う、若さが幸福を求めるというのは、すなわち衰退であると。ぼくは人間として在り続けるため、或いは、衰退しないためにも、洗練された世界から隔絶されたいと強く望むところだ。けれどもその反面、まさしくぼくはスーツを二着新たにあしらえ、あろうか就活サイトに快く会員登録まで済ませる始末である。
 理由はふたつある。両親を悲しませたくないのと、愛する女性と生活したいこととだ。強烈なジレンマがある。ハーブティーから立ち上る湯気を眺めながら考える。ぼくはパンツ一丁だ。着古したトランクス姿、首にくるりのハンドタオルを掛けている。古今東西の音楽を大きく流しながら、セブンイレブンのスモークチーズを齧る。ぼくの求めているものはなにものなのか。それさえ掴めないのに、何が主張だろう。若者の主張ほどに空疎で安いものはないだろう。例外的に、いわゆる社会的大人の一見大人びた思想に比べてみれば、無論はるかまともな論であることは確かであるが。

 大学四年になったら、本格的に旅をしようと思っている。一人でだ。国外に行くつもりはない。国外に行く必要がないし、寧ろそこにはたぶんなノイズが想定されるからだ。ぼくが行うのは観光ではない。しかしまた、いわゆる自分探しの旅でもない。呼ぶなれば、これはぼくがぼく自身を完結させるための、旅とも呼べぬ、ある種の放蕩となるに違いない。

 これまで幾度も同じような旅を繰り返してきた。それぞれにそれなりの結果は伴った。しかしその挙句として、あくまで悪い形ではなく、ぼくは現在、ある種の自己拘泥をさらに深めんとしているさなかであることは否めない。然りてぼくは思うのだ。もう少し長い時間、ゆっくりと足を動かすことが重要であると。そうしてぼくはぼく自身を完結させることができる。

 バッターボックスに立って投手と対峙するとき、ぼくはいつも「間」のことを考える、ま。ぼくはネクストサークルから歩いてボックスに向かうが、その時、その場は無論バッテリーによって支配されている。彼らの空気を割るようにしてぼくが入るのだから、完全に招かれざる客といった役回りである。捕手がサインを出し、投手は頷き、モーションに入る。ここでもまだ、ぼくは第三者だ。ようやくボールが投手の手から離れた瞬間、そこにぼくはつけ入る。ボールが誰のものでもなくなった刹那、ぼくの腹の前を通り過ぎていくまでのあいだ、その場の支配権は、うまくいけばぼくに渡されるのだ。ゆっくりと足をあげて、下半身に連動させるような形で上体を後ろ向きにためる。ボールの動き、回転に合わせて体を滑らかに動かすと、ぼくの眼前にその球が訪れるころには、無理なく自然な形で、バットがそこに出されている。

 間。

 旅というのはぼくにとって、こういったものなのだ。
 そうしてその間は、あとわずかしかないかもしれない。つまり、あと一年半ということだ。

 そのあいだ、ぼくはぼく自身―それはバッターボックスに立つぼくのことかもしれないし、尾を引くように彼に迫りくる白球に投影された形としてのぼくかもしれない。いずれにしても、ぼくはぼく自身について本当の意味で支配することができるのだ。長い時間ではない。けれども、それは間の取り方によって、最大限の長さにまで伸ばすことができる。

 旅に出たいと強く感じる。自分を探すだなんて野暮なことはしない。ぼくは自らを完結させたいだけなのだから、至極自然なことだろう?

2013/11/16

As Time Goes By

 

 如何なる喜びや快楽や、幸福感に包まれたところで、ぼくの奥の方で長い間巣食っている悲しみは、決して癒されることはないのだろう。そう思った。重要な内臓にべたりと癒着して鎮静化の兆しもない腫瘍のように、ぼくの悲しみは、ほとんどぼくそのものであるかのようだ。古い音楽に呼応して振動する度に、ぼくは肺の裏側に、痛みとも懐かしみともいえない、耐え難い思いに、つんとした感覚に触れることを禁じ得ない。

 十四歳の冬、彼女を日本に残してから一年が過ぎようとしているころ、ぼくは中学の食堂で友人とよくいろんな話をした。放課後、ホットチョコレートとマフィンを買って、他愛のない話をしたのだ。やがて日が傾き、みな帰る。ぼくはもう少し残った。味気ないマフィンを甘いだけのチョコレートに浸して、彼女のことを考えた。もう二度と会うことはないのかもしれない。イギリスの田舎町、古くなった柱を見つめながら、ぼくはよく考えたものだ…彼女について、彼女の居た風景について、彼女と見た風景について。

 だからこそ、今のぼくにはもう、何も要らないはずなのだ。長い間、ぼくの青春のほとんどの時間、心のどこかで浮遊し続けて居なくなろうとしなかった彼女の陰影は、しっかりと今のぼくに染みついている。そうして確かに、彼女はいま、遂に約束をしたのだ。ぼくに向かって、自信があるとのたまうのだ。ゴルゴンゾーラのニョッキを頬張ってワインを飲み、彼女はぼくの目の前で笑ったのだ。では、だのにどうしてかくも悲しい気持になるのだろう。



 これから元町に出かける。放蕩?いや、違う。

2013/11/13

11/8,9,10

 マッシュルームのアヒージョで火傷をした上顎の痛みは無くなった。彼女の部屋の匂いがついたシャツも洗濯機の中で回り、少しずつ、またもとの生活に戻っていく。富山に出発する日の夕方に肺を疼かせた低気圧は週末を越えて東シナに去りゆき、代わりにシベリアからおりてきた重たく冷たい高気圧が、朝を一層寒くする。ほとんど震えて目を覚ますと、真横のテーブルに残ったブランデーの匂いに気が付いて、それがほかでもないぼくの部屋であることに気が付く。彼女はもう、遠くなのだ。ベッドを出てフリースの部屋着を羽織って、服を着たまま頭だけ、暑いシャワーで流した。それから髭を剃って歯を磨く。歯ブラシを咥えたままレコードプレイヤーのスイッチをいれると、昨夜眠り際に聴いていたグレン・ミラーがかかる。

 彼女の気配が無い。ぼくの生活は神奈川県の端、海も見えない湘南の冬にじっと座り込んでいるだけだ。口をゆすぐと、彼女と観た映画のことを思い出した。白い壁にもたれて、酒を飲みながら二時間半、ぼくらは観た。その間にビールをひと缶ずつ、ワインを一本空けた。エンドロールの頃には、彼女の息は幾分波立っていた。ぼくは終始、涙しそうだったのだ。今度はいつ会えるのかと尋ねる彼女の目は酒の所為か潤んでいて、思わず長い時間のことを思った。少なくとも九年はかからないよ、すると彼女は無邪気に笑った。長い間ごめんなさいと笑った。ぼくはキッチンに立って薬缶からお茶を注ぎ、彼女のもとに戻った。彼女は眠っていた。



 一人、カサブランカを観た。何度目だろう、とにかく、これまで何度も観た。

 今回気付いたことがあった。それはぼくがイングリッド・バーグマンを好きな理由だ。それは彼女に似ていた。横顔、見上げる仕草、目を閉じて頬笑む様、それはまさに彼女に似ていた。口角の上がり方、目の形、首筋の伸び方。結局のところ、ぼくは彼女の影を追い続けていたのかもしれない。ずっと長い間、ぼくは彼女のことだけを考えていたのかもしれない。

 どうしようもない気持になる。

 来月も又会えたらいい。何にも代えがたい思いだ。それはほとんど奇跡と思われる。ぼくには未だ、信じることができないくらいだ。

2013/11/05

諦めるということ

 誠実さについて考えて、もう長いこと経つ。寛容さとは諦める能力のことではないかと思った。優しさとは、諦める能力のことではないかと感じた。

 諦めることって大事だ。
 「努力すれば自信になる」と先輩や教師は言うけれど、ぼくは違うと思う。努力はいくら積んでも足りない。上には上がいるし、例えある括りの中で最も優れていたとしても、その枠を外してしまえばまた、ぼくは陳腐な人間に成り下がるわけだ。
 努力に裏打ちされた自信というのは、勘違いだ。ぼくは受験でも野球でも、そう感じた。幾ら勉強しても、自信なんて持てやしない。おかしな話だ。どうしてぼくは努力しても東京大学に入れないのだ?そういうことだ。

 サークルの試合において、今年度の成績が目覚ましい。これは自他認めるところで、春から四番に座り続けて久しい。打率は実に.632。守備面においても遊撃手でまだエラーはない。守備率十割である。
 ぼくは中学一年でイギリスに渡り、野球をやめた。
 いま所属しているチームのメンバーで、ぼくを除く全員が元高校球児だ。ぼくは高校三年間、読書と音楽に現を抜かすばかりであった。

 無論、ぼくはチームの中で優れたほうではない。これは事実だ。

 ぼくは、諦めることで成績が伸びたと感じている。

 諦めること。無駄な期待をしないこと。そのバッターバックスに居て、ぼくはぼくでしかありえず、僕以上にはなり得ないのだ。例えチャンスで内野フライをあげてしまったとしても、その時点でのぼくは、その程度のことしかできなかったということだ。これはまともではないか。

 即ち、自分に自分以上を期待しないことが肝要であるように思われる。
 「努力したから結果はでるよ」なんてのは嘘だ。それは矛盾している。結果が出れば「努力が実ったね」と言い、そうでなければ「努力が足りないね」と言う。つまりこれは、すごくシュレーディンガーの猫みたいな話で馬鹿げている。野球は量子論で語るものではないからだ。

 どれだけ努力したって、そこで発揮できるのはせいぜい自分の力に過ぎない。
 ぼくはそう考えている。


 或いは、たとえば好きな女の子と意見が食い違ったとしよう。
 今までのぼくであれば、これを論理で説得しようとしていた。だって、たいていの場合ぼくが正しいからだ。ぼくが正しくない場合は、彼女の言い分でぼくが納得する。

 けれども、これも違う。彼女は「優しくない」と言うのだ。
 優しさとは、諦めることだ。

 結局のところ、ぼくらは分かりあうことなんてできない。勿論ぼくは彼女のことを自分のものにしたいと考えるし、理解してほしいとも考える。ところが、それが感情論にすぐスイッチしてしまったら、元も子もないのだ。そこでぼくは諦める。ぼくは彼女のことが好きだからだ。好きだから諦める。ぼくは彼女には期待しないし、期待しないということこそが、本当の優しさなのではないか。

 自分を信じることさえできないのに、目の前にいる女の子のことを信じることなんてそもそもできやしないのだ。それは傲慢であった。ぼくはもっと諦めるべきだ。そうした方がずっと過ごしやすいだろう。

2013/11/02

Living is easy with eyes closed

 十月が終わって、十一月がやってきて、朝晩が冷え込むようになって、厚手の服を着るようになった。新宿駅を出て、甲州街道をのたりと歩きながら陸橋の欄干に持たれて、眼下を歩く人々の様子を眺める。ぼくは婦人物の香水を買って、手渡された手提げをバッグに入れて型崩れさせるのも嫌な気持ちで、そのまま手に提げていたのだけれど、それが少し恥ずかしかった。四時の新宿は、軽薄な色をした粒子が濃密な霧となって支配していた。ぼくは音楽を聴くのをやめて、じっと街の音を聞いていた。

 脇の喫茶店で焼きたてのトーストとアメリカン・コーヒーを注文して、女の子のことを考えた。彼女はいまどこにいるのだろうか。日本を想像して、世界を想像した。彼女はもう二度と、ぼくと会うことも、会話をすることもないかもしれない。

 それから別の女の子のことを考えた。

 トーストは美味しかった。シナモン・トーストも食べたくなったが、なんだかやめた。品性の問題だ。コーヒーを飲みきるまでゆっくりと本を読んだ。サキの短編集だ。高校のときに一通り読んだはずが、中身はまるで覚えていなかった。

 ゆっくりと人生は過ぎていく。

 Can't Buy Me Love.

 いろんな思いが頭の中を巡るが、ひとまず風呂に浸かろう。寒くなると、一日に何度も風呂に浸かりたくなるのだ。何事についても、人にあまり期待はしないほうがいい。

2013/10/31

マリエ

 穏やかな気持の中で、ただ昨晩の愚行だけを悔やんでいる。どうしてあんなことをしてしまったのだろう。カーテンを閉め切った夕方の部屋を出て、大学に向かう。風呂を出て、髪を乾かして、服を着た。彼女の声を思い出すことができない。かすれた喉に空咳が痛む。寂しいな、と思う。秋の夕方。

2013/10/28

誠実さとはなにか

 

 中途半端に酒を飲んで、しかも思いもよらぬ言葉をかけられて、気持が落ち着かず眠れないから、音楽を聴きながら朝の訪れるのを待っている。レコードを静かに回し続けている。鈍く重たい、熟れた果実のような眠気を背中に感じながら、ぼくは誠実さについて考えてみようと思う。

「こんな人が世界にはいるのかと思うほど、誠実だと思ったの」

 酔っ払った彼女はそうぼくに告げた。どんな表情をしていたのか、どんな気持だったのか、どんな格好をしていたのか、ぼくは知らない。ただ、酒に酔って受話器に向かって叫んでいただけなのかもしれない。けれども確かにそう告げたのだ。誠実?

 ぼくは誠実でありたいと思ってきた。今までずっとそれだけを考えていた。正直であること。

 けれども、それゆえに、ぼくは多くの人を傷つけ、また、ぼく自身も深く傷ついた。中にはもう、永久に消えそうもない傷もある。ぼくは誠実であろうとするために、或いはそれが間違った姿勢の取り方であったとしても、取り返しのつかない悲しみに暮れてきた。

 誠実さとは何か。ぼくはその問いを彼女に投げかけられたのかもしれない。無論、あの態度であれば、おそらく彼女はぼくのことを誠実であると信じているのだろう。ぼくは果して、誠実なのだろうか。ぼくは本当は、都合の良いようにふるまっているだけではないか。つまり、理屈をこねてあらゆる不誠実を正当化しているだけではあるまいか。

 ぼくは本当に誠実なのか。

 正直であるとはどういうことか。どうして誠実さを目指して女の子を傷つけるのか。そうして又、誠実さを目指すが故に、かくも絶望的な気持にならねばならぬのか。

 誠実さというのは、本当は不要なのではないだろうか、とさえ思うのだ。つまり、女の子とぼくとがお互いに幸せであるためには、誠実さよりもバランスが大事なのではないか。ときには正直であり、ときには嘘をつかねばならないのではないか。

「本質を見よ」と言ったのはイワセ先生だ。中学一年の終わり、渡英して間もないぼくに向かって彼はそう告げ、そうして日本人補習校を去った。

 誠実さの本質はどこにあるのか。

 まだ酒が抜けきらない。頭は少しぼうっとしたままだ、しかしこれは眠気の所為かもしれない。

 誠実さというのは、純粋なエゴイズムと表裏一体だ。少なくともぼくの場合はそうではないか。つまり、誰かを思いやるために正直であることよりも先に、自分にとって誠実でありたいと思うところのほうが強いのだ。誠実さを崩せば、ぼくはぼくでなくなってしまう。これは偏に、ぼくのコンプレックスだろう。弱い人間は、頭の中で頑丈な壁を作り上げなければならないからだ。

 ぼくは自分自身に大きな自信と誇りを持っている一方で、どうしようもなく惨めで弱いのだ。それを自覚している。だからこそぼくは誠実さという隠れ蓑の中で、いつまでもじっとしているのかもしれない。

 混乱している。けれども一つだけ確かなことがある。考えたところで変わりようのない事実、十年間も抱いてきた夢が今、現になろうとしているという、幸せのことだ。

2013/10/26

24頁の藁椅子

 秋の夜長に降りしきる細く静かな雨のように、ぼくの過去は一滴ずつ丁寧に、坂道のアスファルトを打って滑って、下りきると川の濁流に流れ込んで、汚れた多くの泥と一緒に、江の島海岸に向かって流れていく。霧のような街灯の明かりに照らされて滑り落ちていく。アスファルトの表面に、薄い膜が張っているようにも見える。ぼくはその様子を、過去が音も無く奪われていくような様子を、マンションのベランダから見ている。それらはもうぼくのもとには無いのだ。残るのはその余韻と記憶と、微かな匂いだけなのだ。煙草を吸い終えるとぼくは、マンションの正面を通るその坂道に向けて吸殻を投げた。せめてもの手向けだ、と思う。室外機の上に置いた盆にはウイスキーグラスと文庫本が置かれている。氷がからんと音を立てた。湿った空気に妙な乾燥が一縷、走った。ふやけた文庫本は四十年近く昔に印刷されたものだ。ぼくはこの薄い小説が好きだった。グラスを手にすると半分ほど残った中身を全て坂道に向けて撒いた。せめてもの手向けだ、と思う。それから鍋で焼かれる幾つもの卵のことを思った。パンを切らしていたが、彼は下まで降りて買いに出かけるのが面倒で、やめたのだ。


 厄介なのは、たいていの物事について、足元から落ちていってしまったあとになって、それが一体何だったのか判明するという事実だ。


 ソノムラと夕飯を食べた。彼は相変わらず面白い男だった。就労意欲はない、東大の院に進む準備をしているところだと言った。故郷の金沢には長いこと戻っていない。

「本を読んでも忘れてしまうんだ、だからおれは女を抱きたい」

 彼はときどきもっともらしいことを言う。

「でも女のことも忘れてしまうのかもしれない」

 ソノムラは本当に本をよく読む男で、まさにリアリストでもあった。


 忘れてしまう。たいせつなことも、ハイライトしたはずの一節も、女の子の仕草も、名画のワンシーンも、記憶の坂道を雨になって滑り落ちていく。分厚い雨雲の垂れこめた夜空を見上げるたびに、ぼくは絶望的な気分になった。だのに、記憶の零れ落ちたあとの窪みには、必ず悲しみが染みのように残っているのだ。生きるたびに、落とすことのできない悲しみが、増えていく。

 ソノムラの言うことはある意味では正しい。

 どうせ忘れてしまうのだ。そうして、どうしようもない悲しみだけがそこには残るのだ。

 ぼくは安心した、恐れることはないのだ。

2013/10/24

レーズンベーグルの時間

 眠気はある。眠たいとは思う、けれども寝つけない。暗闇の音がじいっと耳をつんざいて、壁で反射したそれとさらに追ってくるものとが共鳴して振幅はますます増長し、みるみる大きな雑音となってぼくを睡眠から遠ざける。ぼくはそのたびに寝返りをうったり、別のことを考えようとする。けれども無駄だ。彼方からやってくる得体のしれぬその波はぼくの部屋の中で無限大に増幅し続ける。ぼくはたまらず音楽をかける。少し和らぐ、でも、それだって無駄だ。曲が終わればノイズは思い出される、束の間、それを隠しているだけに過ぎない。

 この生活から脱却するためには、この状況から脱却する必要がある。しかしぼくにはその術がない。それがぼくの弱いところだ。ぼくはぼくの力でここから脱け出すことができない。


 よくものごとを忘れる。記憶力が無いことを自負している。もしかしたらそれは、無意識のうちで忘れようとしているのかもしれない。過去とは、記憶とは、結局のところ自分を苦しめるものでしかないということを、ぼくはぼくの意志とは無関係に行っているのかもしれない。


 口の中がとても渇く。中学で一緒だった女の子の噂を聞いた。彼女は誰とでも寝るらしい。ぼくの旧友のうちの何人かも、彼女と寝ているのだという。ぼくは嫌な気分になった。誰も信じることはできないと思った。別に悪いことではないだろう。しかし、どうしてそれを酒の肴にできるのだろう。ぼくには理解ができなくて、笑えなかった。彼らは乳房の話をしていた。下劣だと心から思った。きみたちは日ごろから全裸でいたらどうなんだ?品性の問題だ。


 品性の問題なのだ。そうして品性とは、ただしい認識に基づくものであるはずだ。


 ぼくは今、とても気分が悪い。誰とも話したくないし、誰にも会いたくない。でもそうはいかない。明日は朝から授業だし、夜には研究会でグループワークだ。はっきり言って、嫌で仕方ない。だって眠れないのだ。ノイズは豪雨のように降り注ぎ、ぼくには息継ぎをする暇さえ与えられていない。

2013/10/21

文章*

 ろくでもない音楽ばかりだ。彼女は音楽をほとんど聴かないと、片瀬江ノ島駅のホームで言った。それが正しいのかもしれない。少なくともぼくにとっては、音楽は悪い薬でしかないのかもしれない。
 楊枝の山を指で突いてみた。それは思いのほか頑丈で、ほとんど動かない。関西の大学で構造力学を学んでいる高校の同級生を思い出した。彼は学校祭でヴァイオリンを演奏した。鮮明に覚えている、けれども演目は思い出せない、不思議なものだ。音楽…。
 煙を吹きかけてみる、やはりびくともしない。雨は止んだ、明日は晴れるといい。

 新宿、彼女は深夜バスで遠くの街まで戻ろうとしていた。真夜中の酒臭い雑踏の中で、またぼくらも酔っていて、改札でじっとお互いを見た。これも不思議だ、何も言葉は要らなかったし、紅潮した彼女の頬に座る温かさも、それに触れずとも理解することができた。彼女のことを見ながら、何も変わらないのだなと思った。変わったのはぼくの身長だけだ。同じくらいだった身長が、今や一尺近く違っていた。提げていた彼女の荷物を渡すと、やっぱり重いね、ありがとうとこちらを見上げた。彼女は綺麗だ、と思った。それは変わらないことだ。十年前、バスの背もたれを抱え込んで見下ろした後ろの座席に、微笑んでいた。なにも変わらない。化粧は上手だし、髪の毛も丁寧に手入れされている。趣味の良い服装をしていて、仕草も心なしか大人びた。けれども、変わらないのだ。

 ぼくは本当に驚いた。(03:23)


 妙な吐気と共に目を覚ます。

 信じることは正しいことだろうか。ぼくは自嘲気味に野村克也の言葉を思った。「信が大事だ、信頼、信用、自信…」信じることは大変なことだろうなと思う。それは根源的で、なおかつ、どこか救いの無い繰り返しのようなものだ。信じても信じても、底はない。信じきるというのはどういうことか。

 つまり、こうだ。ぼくは彼女の言葉を信じていいのか。
 ぼくは彼女の言葉をどういった側面から信じるべきなのか。
 あるいは、軽薄であるべきなのだろうか。

 カーテンの隙間から光が漏れいる。二日ぶりの晴れ間が淡く青褪めて流れている。頭はぼうっとしたままだ。熱いシャワーを浴びて大学に向かおうと思う。(10:03)



 学食で声高に話すハーフ顔の男がいる。ストール、ヘッドフォン、顎鬚。都内の某女子大との間で行った合コンの模様が聞こえてくる。ひどい内容だ。またぼくの認識が崩れようとしている。それを感じる。楊枝の山は認識の世界で揺らぐのだ。女の子で遊ぶということがどうにも苦手だった。何度か試したことはある。けれども、だめだった。どうしてもうまくいかないのだ。相手をどうしようもなく傷つけるか、或いは虚しい気持になって、結局ビートルズを聴きながらたくさんのシャワーを浴びた。

 ぼくは多くを望まない。多くを望む権利がないと思うからだ。けれども、ただぼくはまともでありたい。まともな人と関わりたい。

 彼は大声で、処女性について叫んでいる。

 ぼくは彼女を信頼するべきなのか?(14:19)


2013/10/20

For the dead hours of the night


 Cはぼくの左側を必ず歩いた。どうしてもこちら側が落ち着くのだと言って、和歌山城を散歩したときも、神戸の夜を練ったときにも、烏丸駅からレストランまで歩く間も、ずっとそうだった。そうして彼女は手先が乾燥していた。この時期になると大変で、と、よくハンドクリームを塗っていた。

 気が付いたことがある。

 Mも必ずぼくの左を歩くのだ。そうして手先が乾燥しがちで、切れてしまうこともあると言った。だから彼女は、寝る前に肌の手入れを念入りに行う。髪だって長いから、風呂を出てから寝支度を済ますまでに随分と時間がかかるのだ。湯冷めするなよ、と言うと腹巻をしているから大丈夫だと笑った。(08:02)

 近頃すごく寒い。


 じっと考えていると、瞬く間に週末が終わってしまった。鍋の誘いを断り、酒も断り、そのほとんどを一人で過ごした週末。今日は朝から雨が滴り、宛ても無く広がりゆく自室の床に寝転がって天井を見上げてみたり、珍しく筋力トレーニングを丁寧に行ったりした。ただ一人の人間に支配されて身動きが取れなくなったぼくの何某とは裏腹に、彼女の何某はまるで気にもなっていないようだ。少なくともぼくにはそう見える。


 なんだかみっともないのだ。そう思う。筋が埋まって見えなくなった腹を撫でながら考える。何も手に着かない。それはけれども、ふわふわと不安定に浮遊するような状況が続いているからで、これがきちんと決着されさえすれば、ぼくはきちんとまたもとのように歩むことができるはずなのだ。何しろずっと酔っ払っているようなのだ。そうしてそれは、誰に因るものでもないのだ。ただ時間が過ぎるのを待つしかなく、そうしている間にきっと秋は終り、為す術もないままに、冬が空から緞帳のように降りてくるのだろう。足元に重たく薄く伸びたその匂いは、乾いた街を滑るようにして、ぼくのことを忘れてしまうのだろう。

 ぼくは一体、何を望むものだろう。ぼくは結句一人では駄目なのか?虚しい気持のまま、夜の街に出かけようと思った。(20:11)



 塵のような雨がときおり街灯に照らされて白くぼうっと光る。寒さの中、パーカーのフードを被って身をかがめ、煙が帯になって竜のように空に浮かんでいく様を眺めていた。うねりながらそれは明りひとつない黒い色をした空にむかって昇って行った。ぼくはその竜をめがけ、口に残る煙を吹きかけた。気が付くと傍らに猫が座っていた。彼はぼくをじっと見ていた―たまたまそのように見えただけかもしれない。ぼくは嫌な気分になって立ちあがり、部屋に戻った。彼女の匂いを思い出しながら。(23:52)

2013/10/18

10/16,17

 ぼくはその一言を聞くためだけに生きてきたようなものだ。

 はっきりと思い出す。煙草の煙も霧消して、ウイスキーの酔いもすっかり醒めて、最後には彼女だけがそこに残る。深夜、小田急の蒸し暑さの中で、ぼくはドアにもたれ掛ってじっと考えていた。ぼくはまさにそれだけのために暮らしてきた。そうしてそれは、確かにはじまりであるはずだった。いや、そうしなければならない。新宿駅の改札で、彼女は耳元にそう告げたのだ。

 …言葉にならない。文字に起こすことは、ときにかくした障壁を感じさせる。表現することでそれはたしかにはじめて保存され得るのかもしれないが、けれどもぼくにはそれを文字にする為の手段が無い。そり立ったアイスランドの岩山を思い出す。ぼくにはその瞬間の気持を言葉にすることができないのだ。ただひとつ言えるのは、ぼくにはもう、ひとつしかないということだ。

2013/10/10

サイケな

 ぼくは女の子を泣かせることでしか愛を感じることができないのかもしれない。或いは、女の子に嫌われることでしか愛を感じることができないのかもしれない。熱で溶けて歪んだままに固まったぼくの愛は目の下に隈を消さずにぶら下げて、ぼくは傷つけて傷つけられてはじめてその人に猛烈に惹かれるのかもしれない。けれどもそれは間違いだ。それはぼくをこういう具合にしてしまう。ぼくは駄目になってしまう。

 サンドウィッチとヨーグルトを食べて、腰が重い。大学に行かなくちゃなあ。行きたくない。音楽を聴いて一日を過ごしたい。何も思うことはない。ただぼくはじっと座っていたいのだ。外は風が強すぎる。

2013/10/08

LUCKY STRIKE IT'S LOASTED


夏が終わって、何も考えることができなくなった。

2013/10/07

僕と彼女と週末に

 経験というものについて考える必要があると思うわけ。経験とは何か。経験は必要なのか。ぼくはね、経験という言葉そのものに対する認識が甘いように感ずるわけだ。つまり、ろくでもないものを経験と名付けて崇拝し、本質をあたかも探り当てたような気でいながら、実は本当の本質はその影に隠れてさらに、これまでよりもずっと深いところに落ちて行ってしまっているのかもしれない。それは恐ろしいことだ。ぼくらは震災を、戦争を追体験した気でいながら、結局生きているのだ。

 はっきり言って、経験なんてえのは大したものではない、とぼくは思うわけだ。無論、ジャンルには依ろう。表面的に、例えば利益を上げるためには、現場の経験というのはモノを言うはずだ。けれども、死者について考えるとき、経験なんてものは全く意味を成さないはずだ。ぼくはそう信じる。これはナマケモノの負け惜しみでは決してない。心の底から思っている。経験?ならばぼくは死ぬべきだ。そうは思わないか?


 昨日は二試合で5打数3安打。藤沢市リーグでは今季通じて13打数8安打。打率.615。全身の筋肉が軋むように痛い。大学に行こう。

2013/10/03

文章

 爪楊枝を半分に折って、真白なテーブルに置いた。それを毎日毎日、暇の限りに続けた。無数の爪楊枝(の残骸)は少しずつ山を形成し始めた。或る夜、初恋の彼女のことを想いながら楊枝を折ると、いつもよりも乾いた音がした。そうしてそれをテーブルに置いた時、山が思いのほかうず高く、美しいものになっていることに気が付いた。横に置かれたシガーケースや、或いはデジタルアラームよりも背丈は高かった。ぼくはブランデーをぐっと飲み干すとその山を眺めた。

 急峻な崖の表面は、複雑に絡み合った楊枝がささくれ立っている。長短さまざまなそれぞれが、妙に間抜けで見とれてしまった。ぼくはエディ・ヴェダーを流して、もう一杯ブランデーを飲んだ。煙草は我慢した。間違いなく、ぼくは彼女のことを考えている。

 どういうわけか、異邦人の一節を思い出した。ムルソーは自室のバルコニーから通りを眺めている。見下ろすとそこには、当然のように街の景色が広がっている。暇を持て余す彼は、昼過ぎから昼下がり、日が沈むまで、じっとこの通りを見ているのだ。まるで今のぼくのようだ。そう、そこにこそ太陽は現れ、それに目が眩むのかもしれなかった。異邦人をぼくは、毎年大晦日に読んだ。ここ二年近く読んでいないかもしれない。少しずつ変わっているのだろうか。いずれにせよ、この楊枝の山にはムルソーも上ろうと思うに違いなかった。シーシュポスでなくとも、そこに神秘性がなくとも、確かにこれは、ぼくの眼前に立ちはだかる絶壁は、彼に対する山であった。(00:05)



 早朝の微睡みの末、故郷の夢で目を覚ました。夕方、畦道を歩いていた。ぼくのほかには誰もいない。淡く青く澄んだ秋の空はその遥か高くに鱗雲をはりつけて、徒に飛んでいく鳥の群れを見下ろしている。そうしてぼくは、宛ても底も知れない黒く渦巻く欲望を腹の奥で感じるのだ。やりきれないその塊を。日が傾いて、本来ならばすぐにでも夕刻の橙に包まれるところ、その夢には時間の経過がないようで、ずっと、空の色は変わる気配が無かった。それはぼくをひどい絶望感に晒した。いつしかぼくは夜を望むようになっていたのか?肌が痛く感じられた。欲望が内側からやってくる感じだ、張り裂けそうな肌の痛みはやがて快感に変わった。スニーカーの立てる乾いたアスファルトの音は振動になり、痛みになり、ぼくの頭の中を走り回ってやまない混乱のことを、心なしか和らげてくれるのかもしれない。

 目を覚まして、ぼくはじっと考えた。もう諦めてしまった方がいいのかもしれない、と。実態の無いものごとに心を焦がれて疲れてしまうよりも、もっとソリッドな姿勢を保つべきなのではないか。例えば、今日の研究会に向けて、或いは、もうじき始まる就職活動について。ほとんど実体のない女性に拘泥することに、果たして意味はあるのだろうか。

 しかしまあ何とも、ロジックは通用しそうにもない。

 ぼくは電話を待つ。古今東西の音楽を穴倉に垂れ流しながら、それを待つ。

 …待つしかないのだ。(09:28)

2013/10/01

2013/09/30

雲を確かに掴む

 生きると言うのは、なんと苦しいことなのだろうか。マンドリンの音が暗闇の中を滑って行くと、ぼくには時間の過ぎていくことが途端に痛く感じる。ぼくの生はフロアリングの上にぽとりと落ちて、過去から未来へとゆっくり転がっていく。この時間は二度と訪れはしない、それはもう、古代からすり減るほどの回数、認識されてきた概念だ。けれども、そうなのだ。このどうしようもない倦怠、時間があるからこそぼくらは一人ぼっちなのではないか。縋ることはできやしない。女の子も去っていく、時間と同じように。一人を抱いていたって、すぐにそれは朽ち果てる。そうすればぼくはまたひとりだ。

 二つに折れたつま楊枝を山のように積み上げた。ぼくは毎晩のように彼女の夢を見る。自分でも情けが無い。気持ちが悪い。けれども仕方のないことだ。眠れない中でふとした瞬間に陥る微睡みの中で、彼女はいつも楽しそうにしている。それがぼくには嬉しかった。

 マンドリンが薄れて、消える。厳密に言えば、それは消えたことを気づかせないほどに繊細な終わりだ。沈黙の音が窓の外にして、ようやくぼくはそれに気が付く。そうすれば一安心だ。目を閉じて、眠れなくたっていいから、じっと考えるのだ。そうすればやがて朝が来るはずだ。

2013/09/28

酔狂の所業としての乱文

 

 夕方、鵠沼に一人で出かけた。行きしな、湘南台のマクドナルドでハンバーガーを食べたが、案の定気分は悪くなった。忘れたくって、コーラで流した。小田急線、鵠沼海岸駅で降車、地図も見ぬまま人の波について歩いていくと、ほどなく海が見えた。歩道橋を上ると、美しい青が一層映えた。四時台ではまだ橙は無い。しかし、堤防に腰かけて本を読んでいると、すぐに日は傾いた。西日に江ノ島が輝き、サーファーたちが影になった。烏帽子岩の向こう側で、鰯雲に薄く覆われた夕日は、間違いなくぼくに、長い年月のことを考えさせる。八年、九年、八十七年。

 昭和二年のぼくの誕生日に、芥川は死んだ。そうして彼はその前年の引地川の川口を舞台にある掌編小説を書いた。まったく同じ場所に、ぼくは居た。不思議なものだ、とぼくは思った。突堤に打つ波の優しい音や、揺れる海面が反射して瞬く様子は、ぼくに無力感と同時に、命の実感を感じさせた。ぼくはその場で煙草を二本吸った。果たしてぼくの愛とはなんなのだろう。所在無さげな海鳥が夏の気配の一切失せてしまった海岸の上空で鳴いた。彼は泣いていた。

 一時間と少し、ぼんやりしていた。磯の匂いなどまるでしない。日のほとんど落ちるか否かの時分に、往きと同じ歩道橋にのぼった。西の空には富士山の天辺が影になって見えた。建物や雲の上から覗き込むようにして、ぼくとそれとは対峙した。山よりもずっと向こうからやってくる日差しが、彼の存在感を強める。ポッケに入った小説の著者も、きっとこうして富士を見上げたに違いない、とぼくは確信した。確かにその描写はない。けれどもそのはずである。澄んだ秋の空気が一気に冷たくなるのを感じた。ぼくは引地川の岸を少し歩いて、本当は東屋の記念碑に立ち寄ろうと思ったのだけれど、気が変わって途中で踵を返し、やはり鵠沼海岸駅に歩いた。

 湘南台につくと、辺りは暗くなっていた。ぼくはそれから二時間、喫茶店で時間を潰した。防災人間科学という本を読んだが、退屈だ。店を出るとすっかり夜である。家路、空を見上げると無数の星々が輝いていた。ぼくはまた、煙草を吸った。

 不眠にはトリプトファンなるものが良いらしい、その好例にヨーグルトを食べるとよいと教わったから、帰り道に大きなプレーンヨーグルトを贖い、夕食の代わりに食べた。酒はよくないと言われつも、やはり飲んでしまう。ビール二本、ウイスキーを少々。ここのところ毎晩頭をぼうっとしている。ぼくは飢えている。何に飢えているのだ?腹も空かない、眠りも煙たい、情欲なぞ沸きもしない。けれどもそこには飢餓感がある。どうしようもない飢餓感、温くなったヨーグルトの容器を抱えて、ぼくは天井を見上げる。何もない。ぼくにはもう、何もないのか?

 *

 江ノ島を後にする直前、島の頂上に位置するサムエル・コッキング苑の灯台に明かりがともった。それはゆっくりと回転して、一定の周期でこちらにも光って見せた。ぼくはそれを撮った。何か意味があるわけではないだろう。ぼくは堤防に寝そべったまま、煙草を咥えてそれを撮ったのだ。もしまた機会があれば、そういった話をしながら、この写真を彼女に見せてやりたい。ねえ、おれは今猛烈に飢えているんだ。だからこの写真を見ろ、と。

 そう、飢えている。今、歯を食いしばっているところだ。長い夜はまだ明けそうにもない。

小夜曲

 劣等感でずぶぬれる。秋晴れの坂道をゆっくりと歩きながら、ほとんど真上に至った太陽の日差しを半袖の腕に痛く感じる。前髪が鬱陶しくて、再三かきあげてみるけれど、すぐに目を伏せれば頭は前に傾き、髪は額に落ちてくる。下らない音楽を反芻しながら、疲れ切った内臓をぶら下げる自身のくだらなさを思う。いいかい、夜は終っていない。頭の中で木霊している。おれはかれこれ長い間、夜から脱け出せずにいるのだ。

 秋の所為にしてしまえばいいのかもしれない。けれどもぼくにはそれができない。何故ならば、ぼくは夜にいるのであって、そこでは季節など関係はないからだ。

つまようじを折っては遊んでいる

 とっくりを被って秋の夜を歩いた。部屋に居ると自分が融けて無くなってしまいそうな気がしたのだ。新しく贖ったiPhoneの音楽を滅茶苦茶にランダム再生しながら、本屋に立ち寄る。本棚を漁っても見つからなかったある短編集を手に入れた。表紙が変わっていることに気が付いた。ぼくはその足で喫茶店に向かった。潰れたボックスから煙草を引っ張り出して、無くなるまでひたすら吸った。何本だったかは覚えていない。その間、じっくりと本を読んだ。
 浪人していたころ、雨の夜、家路の帰りのバスで読んでいたことを覚えている。雨足はそれほど強くはなかったが、風があり、窓を叩く水滴が反射して煩かった。ぼくはその窓に頭をもたげて、その一編を読んでいた。
 驚くことに、その話はいまぼくの暮らしているまちが舞台だった。毎日のように歩く川沿いの道、その川沿いを、著者も又歩いていた。(その小説は私小説であった。)
 鵠沼からゆっくりと歩いて、著者とその友人は江の島海岸に着いた。物語は夜だ。ぼくもまさに、夜の江の島海岸で、もう二年も前のことになるが、一晩中飲み明かしたことがあった。

 不思議なものだ。九十年ほど前に、ぼくと同じについて書かれた小説を読んでいる。ぼくは浪人のころを思い出していた。煙草の煙が目に染みた。泣きたいものだなあ、とぼくは思った。涙は出ない。

 又、その次の短編に、火花という断章がある。それをぼくは強烈に覚えていたから、読んだ。当時もちょうど、こういった気分だったのかもしれない。ノイズだらけの真っ暗な洞穴で、膝を抱えて震えているような気分だった。風の音なのか獣の声なのか、或いは自分の音なのか。具には分からないが、とにかくそういった音が、ぼくの思考を雁字搦めに妨げて、脳みそが縮むような思いだ。

 二十二時に喫茶店が閉まって、ぼくは再び外に放り出された。寒い、と思った。脇のコンビニで煙草をひと箱買いなおして、また吸った。

 ぼくはほとんど煙草を吸わない。服についた臭いが嫌いだからだ。
 けれどもそれも構わずここ数日は吸っている。その理由は、酒を飲めないからだった。酒すら喉を通らないのだ。何かを口にするとすぐに吐気が襲ってきた。無論、それは耐えられる程度のものだから、最低限の食事はできたが、けれども度々その発作はやってきた。だからぼくは、食べることも飲むことも嫌になったのだ。

 嗚呼、ぼくの歪な身体が妙な乖離感に覆われて、愈々訳の分からないことになってきた。それを戻そうと、無意識が働きかけてみても、ただの苦痛、和らげることのできない苦痛が伴うのみだ。
 

2013/09/25

眠れない日々

 あれから眠れない日々が続いている。数日しか経っていないのに、ものすごく長い時間に感じられる。八年間はもっと長い時間だ。静かで、重たくて、悲しい、長い八年間。その響きは、ぼくが高校時代から愛読しているある小説の冒頭を思い出させる。

 八年間、長い歳月だ。

 「今、僕は語ろうと思う。」

 そう、ぼくは語るべきところに来ているに違いない。たとえそれが覚束なくとも、彼女にとってダメージになろうとも、ぼくはぼくの為に、八年間の一切を語る必要があるのだ。なんと言え、ぼくは間違いなく我慢し続けたのだ。口を閉ざし、それについて語ることをしなかった。その思いについて、一言たりとも彼女にかけたことはなかった。

 それが今、解かれようとしているのは実に妙なものだ。夏が終わり、こうして神奈川での学生生活に戻りつつあるはずなのに、体だけが不自然な順応に馴染めそうも無く、ただ気持は地元や、或いは大昔の明け方に残って戻ろうとしない。或いはそうなのかもしれない。ぼくという人間は、八年間、その場所で霊魂のように彷徨っていただけなのかもしれない。

 今日は雨が降っている。それは必ずしもぼくにとって何を意味するものでもないだろう。けれども考えてしまうのだ。匂いを思い出してしまうのだ。もっと繊細だった八年前の自分が感じた、今やもう感知することすら不可能であろう匂いや音や、心の細やかな振動や彼女への苦しい思いを。そうしてそれは、確かに音楽の中に宿っている。いや、厳密に言えば、その音楽がぼくのことを震わせるとき、共鳴するように当時の記憶が湧き上がってくるのだ。

 こんなにも苦しいのはどうしてだろう。分からない。もしそれが、既に取り返しのつかない、もうどうしたって取り戻すことのできない過去だったとしても、ぼくの今の姿勢は間違ってはいないのだろうか。砂を噛む思いで、八年間の空白を埋めようと爪を立てている。

2013/09/21

八年間


八年間かけて、ぼくはじっと同じところで胡坐をかいていただけなのかもしれない。何も変わってはいないのだ。それはぼくをどうしようもない気持にさせる。どうすればいいのだ?底も淵もない黒い海に少しずつ沈んでいくようだ。光りは失われるのか?一か月、ぼくはどう暮らしたらいいのだ?煮え切らない思い。どうしてこんなにも苦しいのだ。二十二にもなって・・・!

2013/09/17

時間はただ失われるとぼくは書いた

「万人にとっては、時は経つのかも知れないが、私達めいめいは、蟇口でも落とすような具合に時を紛失する。紛失する上手下手が即ち時そのものだ。そして、どうやら上手に失った過去とは、上手に得る未来の事らしい。 」
―小林秀雄「秋」
 
 
 驚いたが、がっかりもした。ぼくの感じたことは、やはり多くの人に同様に感じられたものだ。これまで無数の人間が感じたことを、ぼくは苦しんで苦しんで、漸く言葉にしているに過ぎない。小林はいとも容易くそれを表現している。紛失する上手下手が即ち時そのものだ。まさにそうなのだ、しかしぼくにはそこまで至れなかった。ハッとさせられた。やはり彼はすごい。
 だってぼくはかくも姥貝ているのに…彼の背中すら見えやしないわけである。
 
 明日、Mを含んだ幾人かに再会する。もっとも、今度の帰省はそのためだけのものである。先日のキャンプで、昔話をしたいなという話になった。それが早くも実現しようとしていた。一年間の浪人生活を過ごしたぼく以外のメンバーは、来年そろって新しい環境に身を置く。大学院、社会人、別の大学。来年度から、ぼくらが全員揃うことは今よりもずっと難しくなるだろう。だからこそ、早急な集合がかけられた。ぼくははるばる神奈川から二晩だけ。Mは北陸から当日直接合流する。ぼくらは変わった。九年。ぼくらは変わった、しかし一方で、おそらく一堂に会して、お互いの変わらない側面を発見することだろう。そうしてそれは、それぞれにとっての励みになるはずなのだ。
 
 正直なところ、困惑している。
 
 どう振る舞えばいいのだ?口内炎がひどく傷む。

2013/09/12

また夢で逢いましょう


 嫌な夢を見た。ぼくはどこかの空港のラウンジで紅茶を飲んで、国際線でまた別の国へと飛んだ、その道中、つまり飛行機の中で、あの強烈な匂いのする不味い機内食を平らげ、一本の映画と一冊の小説を読んだ。
 辿り着いた島国で、ぼくはすぐ大型客船に乗船した。広々としたシャンデリアの食堂には美しく着飾ったMが居た。彼女はぼくの顔を見てすぐ、極めて不快そうな表情を浮かべ、踵を返して姿を人波の中に消した。ぼくは独りだった。周りはドレスにタキシード、ぼくはポロシャツにジーンズという有様であった。船内ではサザンが流れていたが、Mとの邂逅の直後、それはレーナード・スキナードに移った。ミスマッチだった。スウィート・ホーム・アラバマ。髭のマスターは横浜できっとTシャツを吟味しているころだろう。

 どうして彼女はぼくを避けたのだろうか。したがって言えば、今度の反応は嘘か誠か、遂にぼくには判別の仕様が無くなってしまったのだ。双方向の足掛かりが同じような形状をしてぼくの左右に浮上して、それが丁度相殺するようにぼくのことを惑わせた。彼女は何を思うのだ?

 愛について思うことはひどく簡単だ。しかし正しく愛について思うことは、極めて難しい。それは理屈ではほとんど語ることができない。美哀に満ちたその奇妙な領域に入ろうとするとき、ぼくはいつも酒を飲んだような気分になる。

 朝、起き上がって割れた携帯の画面を確認する。確かにそこにはぼくの記憶通りのメッセージが残っているのだ。けれども…ぼくは混乱し切っていた。よくない兆候だった。

 喫茶店に赴いて小説を広げても、まるで集中ができない。一時間粘ったが駄目だった。ぼくには身のやり場がなかった。ふつふつと欲望が湧き上がってきた。或いは雨のように、欲望が降ってきた。知らぬ間にぼくはある音楽を口ずさんでいる。曇天の街を歩きながら、Nowhere Manを思っていた。Sitting in his nowhere land...!

 いや、或いはそれでもいいのかもしれない。また夢で、或いは夢でない何処かで。

2013/09/05

ドロリとした思考

 ほとんど眠らないまま、大会の為早朝日吉に向かった。雨が降っていて、相鉄線は運転を見合わせ、その所為で市営地下鉄は怒涛の込み具合で、加えてJRの通勤ラッシュにつかまった。雨はずいぶん降っていて、どう考えても試合は無かったが、中止の連絡が来るまでは決行のつもりで動けとのこと、ようやく横浜に辿り着いたところで連絡が入った。
 早朝の横浜は下らない街だった。ラッシュから脱け出したくて一時間ほど徘徊したが、何も無かった。ただ人と塵だけが蠢いていた。腐乱臭の湿った風が濡れた古小路に塵芥を引き摺り、阿呆面の会社員たちが犬のように嬉々として人ごみの中を滑っていた。
 憤りなぞもはや生じる道理もなかった。ほとんど感覚の麻痺した、ごく微かな虚しさだけがそこにはあった。西口の奥まったところで上の空をした中年男性が雨滴る狭まった空を見上げて呟いていた。「上がらないなあ」彼には目の色が無かった。彼は傘をさしていなかった。ぼくはその横を通り過ぎて地下鉄の改札に向かった。

 頭の中で粘り気のある赤黒い思考がゆっくりと巡っていた。不健康だ、とぼくは思った。口の中が渇いて、コーヒーを飲みたいと思った。通勤ラッシュを終え、尚且つ下りの地下鉄は比較的すいており、座る場所はあったが、どうにも耐えきれなくって、二駅て立ちあがった。ドアのガラス窓に額を押し付けて、ただ時間が過ぎるのを待った。携帯の電池は切れていたし、音楽プレイヤーも部屋に置いてあったし、鞄に本を入れる隙間は無かった。じっとりと汗をかいた背中は心底不快で、もうどうにも戻りようのない朝のことを考えた。

 駅に着いてマクドナルドでハッシュドポテトとアイスコーヒーを頼んだ。五分ほどで朝食を済ませて、雨の中を帰宅した。昼過ぎまで眠った。



 イギリスに住んでいた頃、近所に住んでいた日本人の、一つ上の男の子がよくCDを焼いてくれた。収録されているのは全てJ-POPで、当時ビートルズとモーニング娘。ぐらいしか音楽を知らなかったぼくは、彼によってそれに対する興味を抱くようになった。
 その頃の音楽を聴くと、すごく寂しい気持ちになる。どうしてかは分からない。かつて当然のように起こっていた日々の出来事、ごく自然に行われていた人間関係は、今ではもう実現できないことなのだ。ぼくは14歳だったし、彼は15歳だった。ぼくより一年先に日本に帰った。彼と同時に帰国した当時の彼女は北海道で新しい彼氏を作っていた。

 八年…長い時間が過ぎた。ぼくにとっては長すぎる時間だ。



 美しい物事と、悲しい物事。この二つに関してのみ、ぼくらの理屈は永遠に通用しないのだと思う。その意味で、ぼくは女性の美しさを求めるのだし、人生と言うのはどういうわけか苦しいものなのだ。悲しいものなのだ。

 音楽は悲しい。それを説明することは出来ない。ただ、悲しいのだ。しかしそれこそが本質なのではないか。ぼくはそう思う。語り得ぬことこそが本質で、しかしそれを表現できないことには意味が無いのだ。そこで理屈を用いるのである。本質の周辺について論理的に語ることで、ぼくらはスクリーンに投影された影のような美しさ、悲しさを感じるのである。それは感覚だ。周囲を論じる中で、中心について感じ取るのだ。

 美しさと悲しさ。

 ぼくの頭を悩ませるのはいつもこの二つなのだ。

 ドロリとしたぼくの思考に、打つ手も無く、オレンジジュースを流し込む。

2013/08/31

過ぎ去りぬ夏、過ぎ去りぬ時代

 二日間、中学の同級生と三人でキャンプをしてきた。去年に引き続き、二度目である。とはいえ、台風の虞から、今度は昨年のようにテントやタープははらず、バンガローを借りて行われた。夕方に到着し、四時ごろから真夜中まで、ゆっくりとBBQを続けながら語らいに興じた。それは本当に素晴らしい時間だった。酒を片手に、ぼくらはありとあらゆる話をした。テーマは尽きなかった。
 思えばぼくらはおよそ十年来の友人になっていた。ぼくらはそれに心底驚いた。十年というのは長い時間だ。住んでいる場所も立場もそれぞれの中で、一年に一度か二度しか会えない中で、かくも心を許せる彼ら。
 ぼくは彼らの前でこそ、自分自身でいられる気がするのだ。
 生きているのも悪くないと思えるのは、幸せなことだ。

 ヒグラシが鳴いて、クツワムシが鳴いた。サカタは煙草を片手に女の子の話をしていた。カンタは酒に顔を赤らめて結婚の話をした。就職の話をして、学校の話をして、かつての話をして、将来の話をした。

 「一生、毎年こういう具合に集まりたいね」と口をそろえた。
 奥さんができたら六人で、子供ができたら三家族で。年をとったらリッチなホテルで。そういった話は希望そのものである。希望というのはやはり、愛すべき他人との間にこそあるものなのか?

 生きているのも悪くないな、と思った。
 それから、Eの話をした。ぼくは彼女に会いたい、と思った。ぼくらにはまだ話すべき幾つもの物事があるはずだ。夜を徹して、只管に話をしたい。そう心から思う。

 なんだろう、不思議な気分だ。

2013/08/29

放浪の果てに

 「僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついてた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。」
ー小林秀雄「モオツァルト」

 旅の中で、やり場のない、形容すらしがたい「乱脈な」思いに満たされることがしばしばある。ぼくはその掴みどころのなさや曖昧さ、さらには一方でそのぼんやりとした輪郭をはっきりと見極めることの出来ない自身にも、静かな苛立ちを抑えることができずにいた。それは八戸駅のそばの鬱蒼とした川原で、足摺岬の果てない眺望に、或いは、神戸マリンタワーの回転喫茶で。つい先日、午後十一時の暗闇に携帯の電池を切らして情報を失い、京都は烏丸駅近くのマクドナルドで途方に暮れているときも、由来の明らかならぬ、ふつふつと湧き上がるこの苛立ちに苦しんでいた。思考が行列のように蛇行してぼくの頭の中をぬるぬると滑り落ちては這い上がる。真夜中のマクドナルドは肌寒く、上着を羽織ると眠気に意識を失いかけた。
 けれども、帰りのJRで小林秀雄による上の文章を読んだとき、ぼくははじめてこの苛立ちを肯定することができた。もちろん、その全様を善しとするものではない。けれども、小林ほどの頭脳ですら、この苛立ちを経験し、またそこから何かを勝ち得ている様子、「自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして」いる状態があったのだということは、ぼくにはすごく励みになる。ぼくは単純な男なのだ。
 そうして、旅とも呼べぬかの貧乏放浪の末にぼくは又、この耐え難き虚しさの代わりにかけがえのない思いを含みこむことができたのだと信じている。そうでなくば、小林は間違っているのだろうか、或いは、ぼくの苦痛はまったくの無駄ということだろうか。

 周りに左右されたくないというのは、頑固に自分の言論を貫き他を負かしたいという欲求からきているものではない。そういう時期もあったが、今は違う。これは、人と自分との差別化をはかることの重要性を自分に言い聞かせるものである。つまり、人と自分は違う。これは当然のことだ、しかし一方で、我々はその単純かつ自明のことを忘れがちだ。人と自分という普遍の二項対立的構造をとっているはずのものを、ついつい同一のものとして捉えてしまいがちなのである。
 そうすると、自分はなくなる。他人が自分であり、自分が他人になってしまう。それが人の考えなのか、自分の考えなのか、そういったことが分からなくなってしまうのだ。それは極めて危ういことだ。なぜならば、洗脳や独裁といった非人間的社会状況というのは、かくした個々人の認識にこそ通用するのだから。
 「外的要因がない限り現在自己の離脱が出来ないのも事実」これも確かだ。間違ってはいない。しかしその認識が念頭にある限りは、彼は「外的要因」にもたれかかるだけの「非自己」に囚われる人形でしかあり得ないだろう。

 ぼくの思うに、信頼というのは苦しいものだ。本当の信頼というものは、猜疑の積み重ねに裏づくと思っている。それは人に対する信頼も、何か物事に対する信頼も同じだ。はじめから成立しているような信頼は、本来の信頼ではない。これは虚構なのだ。
 したがって、人は裏切られるものである。では、裏切られたときのことを考えなければならない。たとえば、恋人に自分の全部分を没入させていたらば、浮気をされたとき、私=恋人であるのにも関わらず、恋人を私自身から遠ざけようとする行為には、まさに自分自身を引きちぎるような半ば不可能とも思われる乖離への必要が生じる。
 ぼくは、彼に対する誠意として、完全なる信頼を決して行わない。彼を疑うことは、彼に対する尊敬だ。信頼というのはそういったプロセスの結果に過ぎないのではないか。また、疑うということは、自分をも省みるということであり、きちんとした自分を、相手の前に提示するという本質的かつ分かりやすい自らの相手に対する敬意を具現する。

 信頼というのは結句、練磨された挙句の究極の宝玉なのかもしれない。それはシンプルなものだ。しかし、それに繋がる過程は、極めて複雑なのだ。模倣は簡単である。大きなごつごつした石を丹念に削り続けて小さな碁石を作り上げるのと、碁石のような石を川原で遊んだ折にでも拾ってくるのとの違いだ。
 しかし、一見同様の石であれ、その質は明らかに違っているのである。

 ぼくは、本当の信頼を得たいと思う。何もかもをとは無論言わぬ、一つでいい、一人でいい、ぼく自身を曝け出し、ぼく自身で愛することのできる本当の宝玉を見つけたい。それを築くためなら、ぼくは何をも惜しまない。如何なる苦痛も惜しまない。

 さて、ぼくはかようなことを考えていたから昨晩眠れなかったのだ。なんだか目は冴えている。八月も終わりが近く、いま、実家の食卓でこれを打っている。勝手場では母がスパゲティを茹でている。ステレオからは加山雄三が流れている。犬は寝ている。風が吹いている。ぼくは生きているのだし、生きている限り、肯定的な姿勢でありたいと思う。ぼくは間違っちゃ居ないのだ。京都の夜を思い出す。あの妙な絶望感、何か濁った絶望感、あの夜には気になって鬱陶しかったその濁りが、今では味わい深い日本茶のような、奥行きを生み出すための美しい濁りにさえ、見えてくるのだ。

2013/08/25

真夏の果実

地区の小さな夏祭りにかりだされて手伝いをしてきた。ビンゴ大会と抽選会の仕事だった。祭りには多くの家族連れや子供たちが訪れる。ぼくも小学生、中学生時分には友人や家族と毎年来たものだった。様子は変わっていなかった。十年前とほとんど何ら。体操着の中学生たちが照れくさそうな顔で焼き鳥を買い、乳房の大きな新妻が赤ん坊を抱いて鰯雲を眺めている。おじさんたちはビールを片手に歓談に耽り、曲がった高校生は眉にピアスを空けた女を連れて夏を惜しむ。

そうした風景の中で、知らぬうちに自分の知り合いのほとんど居ないことに気がついた。ぼくと同じように、彼らもまた地元を離れ暮らしているのだ。たまたま今年実家に居て、たまたま親に仕事を任されたからぼくはここにいるのであって、そうでなければぼくもまた、多摩川の花火を最後に夏の終わりを待とうとしていたのだ。

それは妙な感覚だった。空気は同じだ。そこに居る人間の種類も同じだ。しかしぼくの認識はその傾向、或いは枠のみにとどまるものだ。間違っても具体に踏み入れることはない。なぜならば、ぼくは彼らの種類には大きく感じさせられるが、彼ら自身を知らないからだ。
そして又、一方で、ぼくは背だけが伸びたに過ぎず、結句この水溜りに浸かり続けているのだ。流動性を含まない、浅く広い水溜りで、ぼくはその中だけをゆっくりたゆたう。ノスタルジーではない。なぜならば、ぼく以外のものは全て既にここにはないからだ。

係りを終えて、二十時ごろからいよいよビールをしこたま飲んだ。けれども話す相手なんて居ないから、ずっと音楽を聴いていた。高校二年の毎日をそうしたように、サザンの真夏の果実を延々とリピートし続けたのだ。夜はすっかり過ごしやすい気温だ。汗もひいて、日は暮れた。鰯雲の影が月明かりで透けて、ぼくは同じような空を見た多摩川を少し思い出した。川崎の側で花火を見たのはつい十日ほど前のことだ。そのときもこうしてビールを飲んでいたな、と思った、花火は美しかった。

懐かしいと思うことが多くなった。これは当然のことだが、しかしぼくは未だ二十二である。この年でかくも感じるのだから、これからもし何十年と生きていくのなら、そのうち人生のほとんどを懐かしみの中に暮らさなければならなくなるのかもしれない。ちょっと考えにくいことだが、でもこれまでを思うと、それが自然だ。
会場になった公園は、中学一年のころ付き合っていた彼女と一度だけ訪れたことがあった。誰も居ない平日の夜に、何と無しに集合場所をそこにして話をしたのだ。何を話したのかは覚えていない。記憶にあるのは、彼女が滑り台の一等したの部分に腰をかけてこちらに手を振ったのと、ぼくが彼女を本当に心の底から愛していたということだ。

・・・恥じらいというものがないのか?
けれどもそうなのだ。それが事実だ。
当時のぼくには、恋愛はごく簡単なことだった。

今では分からないことが多い。人生は経験だと言う人がいる。ぼくはそうではないと思う。彼らはぼくの話を聞くときまって「揚げ足を取るな」だとか、「例外を述べ立てるでない」だとか云々のたまう。
経験するにつれ、ぼくは阿呆になっている気がするのだ。

人を愛するとはどういうことか。それは真実にはどういう感覚でぼくの中に在るべきものであったか。性愛を除いて、確かにぼくは女性を心底愛することができたはずなのだ。関係性やほかの理屈を放り投げて、その人だけを愛することができたはずなのだ。

ぼくはイギリスに渡り、彼女はそのうちぼくと別れようと言った。仕方ないことだ。そうしてぼくの同級生と付き合い、そのれは五年ほども続いたと言う。これは最近地元の旧友に聞いた話だ。しかしつい先日、その彼と別れた。そうして今荒れている、と。ぼくはなんともいえない気持になった。
いや、いやな気分になった。

一体、どうしてそう効率性を損なうのだろうか。
ぼくにはまったく理解ができない。

確かに人は間違うだろう。けれども彼らは幾度も間違い、それを悟って尚、同じことを繰り返す。

訳がわからぬ。明日会う人にはその話を、できるだけ退屈でないように話したい。

2013/08/22

苦瓜とビール

実家に訪れている。これから愛知と静岡の境目、遥か山奥に位置する祖母の家に向かおうとしている。一泊だが、楽しみだ。祖父は高二の春に亡くなった。本当に素晴らしい人物だった。
実家に帰ると刺激を受ける。父親に、祖父に、その他親類に。弟もきちんと成長しているようだし、犬は相変わらず元気である。幸せなことだ。確かに幾つもの問題を、彼らそれぞれが抱えているに違いない。けれどもその中にあって、こうのびのびと暮らせているというのは、偏にみんなのお陰だ。亡くなった祖父、それよりずっと以前に亡くなっている曽祖父、曾祖母。こういった人たちの先立っての努力と人生とが、ぼくにも確かに脈々と影響してくる。そう考えると、ぼく自身もおちおち気を抜いていられない。一日一日に対して懸命にならなければならない。ということで、本を読むことにする。ぼくの場合、如何にこれに没頭できるかが、あらゆる物事のパラメータになっているように思われる。

2013/08/16

シノノメに

 東雲に吹く風を切ってコンビニへ向かった。細々としたものを買って、アイスコーヒーを飲みながら帰ってきた。二週間の留守の間に、自転車のチェーンが少しおかしくなっている。早朝とはいえ、やっぱり暑い、瞬く間に背中にじっとりと汗をかいて、だからシャワーを浴びた。音楽をかけてゆっくりと本を読みながら、今日すべきことを考えた。よく考えたら、明日には実家に帰るのだ。きちんと準備をせねばならぬが、まだ何も手を付けていない。おろか、部屋はまた散らかる一方である。

2013/08/15

終戦の日

 免許合宿の間に小説「永遠のゼロ」を読み、昨日映画「風立ちぬ」を観て、そうして今日は終戦記念日であった。こういう機会に思い出したように考え込むのは、或いは薄情の裏返しに過ぎないのかもしれないが、日本人ならば考えずにはいられないだろう。
 ウェーキ島で戦死をした父方の曽祖父を、又、体が悪く徴兵されず、名古屋の三菱重工で戦闘機の生産に携わっていた母方の祖父を、思う。彼らは戦争の世代だ。今の日本に豊かさを齎した、しかし彼ら自身は死と隣り合わせの青春を送った、そういった世代だ。

 日本は確かに豊かになった。けれど、精神的には貧しい。これは傲慢だろうか、或いは求めすぎだろうか。日本はすごく寂しい国だ。もしかすると、戦前、戦中よりもずっと寒々しい時代なのかもしれない。鋳型にコンクリを流し込んだような国だ。ぼくはそう感じる。
 思い出さなければならないのは、戦争の凄惨さだとか、それに伴った多くの悲劇ももちろんそうだけれど、それ以上に、当時の日本人の精神的な豊かさではないか。当時の、われわれの先祖の、誇り高き自覚ではないだろうか。貧しくも希望に満ち、また死を見ることで信じた生の素晴らしさ、これをぼくらは思い出さなければならない。
 巷の議論はどれも下らない。本質的な問題提起は青臭いと一笑され、代わりに形式主義的で形骸化した時代遅れの横文字を並べ腐ってばかりいる。何もかもを忘れ、過去を置き去りにして(彼らは「過去なんて関係ない」などと抜かすのだ!)、さも高らかに「未来を」なぞとのたまっている。しかし彼らは空洞だ。過去を学ばずに、現在できるものか、将来を設計できるものか。

 まるで根本的に間違っているのだ。価値観なぞというものはこの場合存在しない。価値観の世界と虚実の世界とは全くの別物だ。まずはそこから説明する必要があるが、これもまた悲しい。忘れてはならないのは、意識の念頭に置くべきは、必ず正しさと言うものは存在するということだ。もちろん、その上に付与され得る別個性は価値観に依拠する場合があるが、大方、その議論に達する以前には、それが正しいのか否か、それも論理的な整合性が含まれているか否かに基づいている。従って、その土台が正しくなくば、その議論には意味はないのだ。ゼロである。
 そうして、しばしば正しさと言うのは、過去から未来に貫く普遍性を持ち合わせている。従って我々は過去を注意深く観察する必要があるのだ。過ぎ去ったことは観察できる。今過ぎゆこうとしている現在や、まだ影すら匂わせない未来に目を凝らしたところで、真実なぞ見えるはずがないのだ。
 過去に学ぶこと。ろ紙を何枚も使って、きちんと真実らしさを抽出し、それを鋲でとめること。数歩下がって壁を見渡せば、自ずと正しさは見えてくる。
 白痴の多くは過去を見ない。そういう連中とは話ができない。彼らには話すべき中身が無いからだ。

 日本の過去の歴史は辛いものだ。しかし、その表現されたものを現代のわれわれが目にするとき、それは決してわれわれに感傷や絶望を与えるためのものではない。泣くのではない、跪くのではない。ぼくらはそれに学ばねばならないのだ。それに涙したら、同じだ。ぼくらの生がその歴史に基づいていることを深く理解すれば、涙は出ないはずだ。ぼくらは生きねばならない。そして、生きるということは、すなわち死ぬということだ。
 

2013/07/27

NOT FOUND

 学期末が終わった。幾つかの課題と試験を済ませて、その間に二十二歳になった。いろいろな人から祝われた。幸せだなと感じる一方で、何か悲しい思いもある。どうしてかは分からない。何か虚無感のようなものが胸の中にあってとれない。
 年だけを重ねている。何も成長していないのではないか?ただのんべんだらりと日々をやり過ごしているだけのような気がしてならない。勿論、単位はそれなりに取っているし、好きなことを勉強するのにも、大きな充実感を感じている。けれどもなんだろう、どういうわけか、実感が無い。つまり、生きているという実感、愛されているという実感。

 考えるということと、行動するということについて、昨日アキと話した。彼女は髪を触りながら、女友達の恋愛について愚痴っていた。彼女の言い分にはぼくもおおむね同意した。結局のところ、一般的な恋愛なぞ遊びのようなものなのだ。それをさも高らかなる交渉であるかのごとく振る舞うあたりに、根本的な誤りがある。もし真剣に人を愛そうとしたら、まずもって幸せなどではありえないはずなのだから。

 喜びや幸せと言うのは、悲しみや絶望のひび割れた隙間からわずか漏れ出してくる汁のようなものに過ぎないのだ。幸せとはそういうものだ。野球をしていても、イギリスで暮らしていても、無為徒食の日々にも、まさにそう思う。

 ただ、ぼくは、行動しなければ考えていないと同様だという思いを口にしたが、彼女はそれを少し違えて捉えているようだ。行動こそが、という意味ではない。その人にとっての思想とは、行動ないしは非行動で以てのみ表現され得るということを言いたかったのだ。行動しないことも一つの表現だ。ぼくがそうであるように、行動によって精神の向上ははかれないと信じる人間も居るということ。

 アキと話すのは本当に楽しい。彼女も考えているからだ。そうして何より学がある。彼女と会話をするたび、ぼくは教わっている。そういう感覚を、大学に来てからほとんど感じない。高校のころはNが居た。こういう友人は本当に貴重だと思う。だからこそ腹を割って全てを話してしまうし、それゆえ時には不愉快な思いもさせるかもしれない。

30日から愈々免許合宿である。不肖にして二十二での取得と相成らんとしているが、本をたくさん持っていこうと思っている。インターネットすらない環境だというから驚きだが、それなりに楽しみだ。

 二十二歳の抱負は、「懸命に生きること」
 ぼくらしからぬテーマである。

2013/07/19

幾つかの思うこと

 この夏すること。自動車免許取得、読書、就職活動に向けた準備。大学人入試の下調べ。友人と遊ぶ。友人と対話をする。自分の適性について考える。

 フランス語および哲学の教授であるところのK氏と、馴染みのバーが一緒であった。横浜駅東口のバーで、ぼくは気が向くとそこに行ってクリフォード・ブラウンやザ・バンドを注文する。それからウイスキーを頼んで大事に啜るのだ。また行こうと思った。けれどもあの小さな店内で教授と対峙することはいささか畏れ多くもある。

 最近は勉強をしている。研究会の最終発表があり、その翌週横浜の個室居酒屋で打ち上げを行った。青い水槽で囲まれた個室で、ぼくらはほとんどはじめて心を許したのではなかったか?しかしそこでもまた、ぼくは陳腐な大衆感情を突きつけられる。帰り道の相模原鉄道、二年の女の子と二人で、酔いどれの世間話にまた、酔いしれた。途中で降りて乗り換えた。そこからは独りだった、すっかり落ち着いて、鞄の中から本を出して読んだ。

 勉強?ぼくは大学に入って終ぞまともに勉強なぞしていなかった。ここにきて焦るのも変な話であるが、しかし焦燥は悪くない。昨夜十時まで大学図書室までこもり、帰り道にSと偶然会った。「大阪の飛田新地って知ってるか、一緒に行こうぜ」と彼は言った。ぼくは笑った。彼の話はいつでも面白い。ぼくの興味をかきたてる。

 コンプレックスを持つ人間がすごく愛おしい。というより、コンプレックスがない人間はいないのだろうけれど、そのコンプレックスの規模や、それに対する態度だとかで、彼の魅力は左右されるのかもしれない。

 Kが最近つまらないのは、そのコンプレクスドな日々に終止符を打って、完全に突き抜けた感があるからだ。おそらくそれは彼の健康にとっては少なからず良いことで、その意味では心から祝福したいと思う。けれども、彼も又ありふれた潮流、味も匂いもない無機質で空疎な潮流に足並みをそろえてしまったことは、何か対岸から見ている人間としては寂しくもあるのだ。ぼくだって、その大きな流れに沿って歩いていることは間違いないし、別の流れに足並みをそろえようともまた、していない。そういう立ち位置にあってさえなお、それはすごく辛いことだ。

「楽しければいいじゃないか」

 彼は、彼女は、そう言う。

 ぼくはその言葉が一等嫌いなのだ。

 金も無く、知識も無く、名誉も無いところで、楽しんでいたって虚しくなるだけだ。

 何も批判しているわけではない。ぼくには理解ができないというだけの話だ。大学に行こう。

2013/07/09

幕の内サディスティック

 瞬く間に夏が訪れた。大学祭の夜、永遠のような宴に酒を次々仰いで何もかもを忘れようともした。花火の音だとか、それに重なろうとする幾つもの記憶。週が始まってスコールが降った。スコール?地元の知り合いの母親が亡くなった。いろいろなことを考えずにはいられない週末と、月曜の夜、とはいえもうほとんど火曜である。ぼくはまた眠れない。

 もし最後にどうしようもないほどの悲しみが訪れるとすれば、いや、それは必ず訪れるものだ。そうだとしたら、どうして人は愛を根拠にできるだろうか。それで幸せなのか。無限の、深い深い悲しみが最後に襲ってくることは自明ではないか?それをしても、それまでの時間の方が幸福であると明言できるか?いや、不可能だ。人の寿命はそれぞれ異なるし、ぼくらにそれを推し量ることはほとんどできない。

 幸福というものについてもっときちんと考えるべきだ。「こういうものだから」と言って知りもしないのに行動をとっては馬鹿を見るのだ。ぼくはそう思う。その意味で、行動ありきの経験論が支配している日本の、或いは現代のアカデミズムは理解ができないのだ。高名な教授が言うのだ。「経験こそが命である」と。しかしぼくはそうは思わない。中学三年間を怒涛の中に暮らし、高校三年間を驚くほどの退屈さの中に耐え抜き、そうしたあとに残った思いは、決して経験がものを言うわけではないということだった。そしてこの真理さえも、経験なくして気付くことのできることだとぼくは思う。いや、経験を通してしか理解できないのでは、遅いのだ。人は死ぬし、夏は過ぎていく。

 近所のおばさん、すごくよくしてくれた。多くの言葉を交わした記憶はないが、それでも優しく、小学生であったぼくらを見ていた。良い人であった。早逝すべからざる人が逝き、ぼくのような愚鈍で矮小な若造がのうのうと生きている。これを見て何も感じないはずがないのだ。ぼくは生きなければならない、それもまともに、生きる必要がある。

 ぼくは自分のことを一等正しいなどとは思っていない。正しくありたいと思うだけであって、唯一ぼくの言論の中で正当性に自信を持てるのは、この一点のみなのだ。

2013/07/06

夜の隙間から光が漏れた

 夜が明けて、風の強い朝を散歩してきた。公園で少しだけ本を読んだ。長い夜だった。眠っていない。今日は大学の七夕祭がある。後輩を労いに足を運ぼうと目論んでいるが、如何せん眠らないことには夜の飲み会に赴くことすらままならなくなりかねぬ。ということで、少しだけ眠ろうと思う。昼前には起き上がりたい。眠りの穴が黒く足元に口を開けている。彼はぼくを待っている。肉が少しずつ剥がされていく―それは引力だ、ぼくの眠りは惑星のように丸い。微睡みの終わりに。

2013/06/30

アイネ・クライネ・ナハトムジーク

 クラシックとジャズとをただ只管に流しまくりながら、惨憺たる部屋を片付けんとしている。立ち込める滞留せし空気と塵とを肌に内臓に感じながら、ただ要らぬものを分けていく。冬ものの多くを実家に送り返すことにした。そしてできる限りものを減らすことにした。就職活動を前に、少しでも過ごしやすい環境をこの部屋には備えなければならない。そう思うのだ。

 心が乱れているのは部屋が乱れているからだ。

 ぼくは寂しい。

 サラ・ヴォーン、サミー・デーヴィス・ジュニア、アル・ジャロウ、フランク・シナトラ、メル・トーメ。ヴォーカル・ジャズ。リスト、ラフマニノフ、ショパン、モーツァルト、そういうものも。新世界より、ドヴォルザーク。このまま眠りたいと思う。でも背中にはじっとりと汗をかいている。チェット・ベイカーのシング。或いはストックホルムでのマイルス・デイヴィス。ぼくは部屋を片付けて、シャワーを浴びてすっかり気持ちよく眠りたいのだ。と、レイ・チャールズの出てくる辺りがよい。これをジャズと呼べるのか、分からぬがヴォーカル・ジャズ・トラックに収録されている。このCDが終わったら何をかけようか。サッチモのLPが一枚あるのだ。けれどもチャーリー・パーカーも捨てがたい。彼のように麻薬と酒とに溺れて…そうだ、彼は35で死んでいるのだ。それはぼくに暗示的な何かを見せる。というわけでも、チャーリーをかけようじゃないかと思うのだ。このCDは名古屋駅地下にかつてあった書店のカゴで贖ったものだ。高校生の時だった。今でも覚えているさ、エスカレータの脇にそのカゴはあったのだ。

 ジョー・スタッフォードが歌う。

When they begin
the beguine
it brings back the sound
of music so tender
it brings back a night
of tropical splendor
it brings back a memory of green

 ああ、まさにこういうものだ。

 ぼくはこのアヘン窟のような寝床に蠢きながら、音楽にのってどこへでも行けるのだ。どの瞬間にも遡ることができるのだ。シーツの擦れる音がする。喉が微かに震える。雨の記憶だ。マクドナルドと花火の匂い。そういう瞬間、ぼくがまさにぼく自身であった瞬間が、音波の尾根に、谷に、ひとつひとつのうねりに残っている。或いは、ハミルトン島の珊瑚、地中海の青、中学一年に二人で上った、早朝の緩やかな坂。そういうぼくだけのものが、ぼくだけの音楽に、確かに、残されている。
 
 埃を手で払うようにして、ぼくは音楽の調べに目を閉じる。そういう夜があってもよいだろう。とはいえ片付けは続く。ぼくは現実から逃げたいというんでもないからだ。

2013/06/21

雨の鎌倉の印象

 昼を過ぎてから万年床を這い出し、紫陽花を見に鎌倉へ出かけた。外では小雨がずっと、一日中降っていて、靴や靴下が濡れてしまうのが嫌だったから、サンダルを履いた。藤沢で江ノ電に乗り換えて、極楽寺でおりた。極楽寺と成就院を歩いて、それから長谷寺まで歩いた。思いのほか、疲れた。しかし紫陽花は実に美しかった。眺望に重なる紫陽花の紫と、雨に煙る由比ガ浜の白とが、ぼんやりとはしているがしかし何か印象的なコントラストで、際立っていた。

 *

 研究会(言語の方)の最終プレゼンの準備として、いろいろな洋楽を聴いては歌詞を訳している。The Beatlesはぼくの人生における音楽というものの大半を占めているグループなのだけれど、改めて聴くとやっぱり、いい。


"You stay home, she goes out
She says that long ago she knew someone but now he's gone
she doesn't need him

Your day breaks, your ming aches
There will be times when all the things she said will fill your head
You won't forget her"

2013/06/20

風の強い夜

 一日中寝惚けていたような感じ。何も手につかず、何も考えられない。その原因はただひとつで、それは寝不足。ほかに何も理由はないだろう。ただの寝不足。強いて言うなら、研究会が結構忙しいということくらいかな。あと、金を使いすぎている。酒って高い。そうしてぼくには金がないのではなくて、むしろ酒を飲む金があるということだ。それが過ぎた結果の貧しさなのだ。なんて贅沢なんだ、嫌気がさしてしまう。

 今日こそはと何度思っても眠れない。昼間は眠いのに、夜眠れない。ずっと夜だったらいいのに、と思う。ずっと朝が訪れなければいいのに。気紛れに煙草を咥えて外に出て、カツカレーでも買って帰り道の公園の立派な机でそれをかきこんで、音楽を聴く。街灯の情に満ちたあたたかい明りのもとでぼくは古今東西の音楽を口ずさむのだ。それにも飽きたら酒を煽って家路につく。シャワーを浴びて、また音楽を聴きながら微睡むのだ。永遠の真夜中では、充実した睡眠などは必要ない。寝るだけ寝て、あとは起きていればよいのだ。気が向くなら女の子を呼んで話をしてもいい。旧友と昔のことを思い出してもいい。夜は終らないのだから、ぼくらは自由だ。

 自由とは何か、馬鹿げている。
 ぼくには今夜があって、もう少しすれば夜明けがある。それがぼくの一生というものなのだし、そうである以上、ぼくはそれを乗りこなさなくちゃならない。早く寝ましょう。

2013/06/16

滑落

 今日はまあ、細々としたことを済ませた。試合は結局雨で流れた。皮肉にも昼過ぎに外はよく晴れて、夕方にダンスサークルの最終公演後の友人を労いに出かけた後、喫茶店で課題を進めて、八時ごろから友人と後輩と共に大戸屋で晩飯を食った。そのあとマクドナルドでコーヒーを飲みながら本を読んだ。ぼくのちょうど背後の席には同じ大学の、知り合いではないが名前を知っているという程度の男が一人で黙々と何かを考えている様子だった。彼はきっと面白い男なのだろうと思う。けれども声はかけなかった。ぼくにも黙々と考えるべきことがたくさんあったからだ。

 ある授業の課題で、臓器移植や同性婚に関する意見を書かされた。驚いたのは、高校時分の意見とほとんど変わっていないことに気が付いたときだ。ぼくは悲しくも嬉しくもあった。いろいろなことを踏まえて変わっていないのか、それともただ何も動きがないだけなのか、ぼくには分からない。あるのは文字に起こされたぼくのオピニオンのみだ。

 隣の席に座っていた女の子の匂いがすごく素敵だった。彼女は眼鏡をかけていた。ワンピースを着ていた。マッキントッシュに向かって難しい顔をしていた。中間課題の時期だ。音楽を聴いていないところと、髪の黒いところと、アディダスのスニーカーを履いているところに好感が持てた。彼女は本当に良い匂いがした。

 窓の外を老人が歩いて行った。よれた煙草を咥えて、濁った眼で前を見ていた。老いというのは難しい問題だ。彼だって半世紀前にはぼくのような若者だったはずだ。だのにどうして、彼はそんなに変わってしまったのだ?

 変わってしまう。

 ぼくも、背後の彼も、隣の彼女も。

 ぼくはきっと猫背が増して、彼の髭は白くなって、彼女の匂いは失われる。

 変わってしまうのだ。



 ゆっくりと重厚な音楽が流れている。ぼくは阿呆だ。ゆっくりであれ、それは確かに流れている。何かの小説で出てきた城郭都市のイメージを思い出す。高く頑丈な漆喰の壁が歪な形で街を囲っているだろう。住民はおそらく出入りを制限されているだろう。甲冑の騎士たちが門番をしているだろう。それは共同体としては不動でありながら、その内部ではそれぞれが細胞のように蠢いている。そういう街だ。



 涙を見ると苛立つ。帰りのベンチでアベックの女が泣いていた。ぼくは腹が立った。どうして泣くのだ?それでは何も見えやしないだろう。目を見開け、老人のように、今すぐに涙を拭って、いかなる形でもいい、前を見ろ。

 ぼくだって泣きたいんだよ。くそったれ。

土曜の蒸気

 暗闇の中で文章を書こうとしている。というのは、つまり物理的な話だ。ぼくは部屋の明かりをすっかり消して、パソコンだけを点けてこれを書いている。スピーカーからは斉藤和義。濃密な夜の中で、また眠れなくなった。明日はきっと試合はないだろうし、それならいっそ、この雨を楽しもうじゃないかと思うのだ。暗闇。



 ダンスサークルの公演を観に行った。二年連続、合計三度目。やはりすごく、面白い。一つの芸術だ。はっきり言って、ぼくは以前ストリートダンスたるを舐めていた。しゃらくせえと思っていたのだ。けれどもすごい。多くの友人を発見しては感動していた。ぼくらは一年の頃から飲んでいた。彼らは途中で抜けるのだ。深夜練があるから、と。彼らはタフだ、そしてまともだ。

 それから酒を飲んだ。友情だとか愛情だとか、支配欲だとか嫉妬だとか。海から吹いてくるじっとりと湿った風が大地を這ってやってきた。ビールのグラスにはすぐに水滴がまとわりついた。なんといっても梅雨なのだ。世界全体が膜をはっているようだ。何もかもがヴェールの向こう側にあるように感じる。或いは、ぼくだけがヴェールの下に隠されているのかもしれない。

 渦巻く欲望がジェラシーの色を含んでなんだかよく分からないことになっている。ノブクリークのロックを最後に二杯飲んで、アンチョビポテトを平らげると会計を済ませて別れた。ぼくは本を読みたいと思ったけれど、それにしては汗が残っていたし、何より眠かった。早く帰ってシャワーを浴びて寝てしまおうと思った。けれどもこの有様だ。ぼくは眠れない。

 そう、ぼくには見えるのだ。渦を巻いて竜巻のごとく空に伸びるぼくの心情が。帰り道、まだ雨の降らぬ道を自転車でゆっくり進んでいると、確かにそこには渦があった。ぼくは恐ろしくなって、目をそむけた。ぼくはぼくだけの殻に閉じこもっている。分かってる。けれども外に出ようと思えないのだ。ぼくは結局、ぼくだけでしかない。大切な友人も、頼りがいのある先輩も、無邪気な後輩も、可愛くていやらしい女の子も、結局ぼくの横を通り過ぎていく。そういう感覚がずっと剥がれない。どれだけ腹を割っても、どれだけ体を重ねても、ぼくは共有されない。でもこれは当然のことだ。何も不思議じゃない。だってぼくはぼくだけでしかありえないし、理解されようとすらしていないからだ。

 寂しい、と思う。ずっとぼくは寂しかったし、きっとこれからも寂しいのだろう。救われたいと、思わないわけではない。もし本当に、誠実に、嘘をつかずにぼくに触れてくれる人がいるのなら、ぼくは彼女と酒を飲みたい。けれど怖いのだ。ぼくにとって愛の価値は暴落し続けている。安物には何があろうと触れたくない。この感情は一体なんだ?汚らしいナルシシズム、或いは不道徳なヒロイズム。バドワイザーを飲み干すと、ようやく眠気が訪れた。

 

2013/06/15

突堤を海に向けて歩けば死について分かるだろう

(昔、イタリアの何処かの町にて)

 部屋を出る直前まで一日雨が降るという予報だったのに、大学に着くころには強い日差しが射していた。図書館で研究会の発表スライドを練って、二時間ほど話し合い、それから二時間ほどは、一人で文章を書いていた。なかなかうまくいかない、相変わらずだ。

 それから一旦部屋にかえってシャワーを浴びた。音楽を聴いて映画を観ようとしたけれど、気が変わってドトールに向かった。二十一時まで本を読んで、店が閉まるので反対側のミスドに移った。そこからはゆっくりと文章を書いた。うまく書けた、珍しいことだ。
 二十三時ごろにKがやってきて飲みに行こうと言った。ぼくはそれに従った。一時間ほど後輩を待って、それから最近開店した居酒屋に入った。いろいろと言いたいことはあるが、ぼくは黙ることにした。ビールをジョッキに四杯飲んで、店を出た。帰りに緑色のビールを二缶買って帰宅。途中でものすごく可愛い女の子とすれ違った。あんなに暗い道をひとりで歩いたら危ないなあと思った。けれどもすごく可愛かったので、歩いていてよかったなと思った。胸の形がくっきりとシャツに浮かんでいた。ぼくは自転車でその横を通り過ぎた。部屋に戻ってシャワーを浴びて音楽を聴きながらビールを飲んでいる。ウイスキーもある。これから映画を観ようか迷っている。


 話すようになったのかもしれないし、黙るようになったのかもしれない。とかく沈黙を埋めることは多くなっただろう。それは悲しいことだ。ぼくの意志とは裏腹に、空虚な言葉が次々と流れ出てくる。けれどもそれはある意味では仕方ないことだと許してほしい。ぼくは決して無思考に従っているわけではない。むしろ、思考したいがために、本質的な意味では沈黙したいが故に、しゃあなしに口を動かしてしまっているのに過ぎないのだ。

 人は変わる、確かに、表面的には変わるだろう。しわが寄ったり、髭が伸びたり。或いは精神的なことに関しても、表層の変化は抗いがたい。けれども、その芯は、意識次第でメインテナンスが可能だ。そう思う。


 黙ることはすごく大事だと思う。しかし同時に、語ることも肝要だ。それを忘れてはいけないと思う。二本目のビールを取り出しに行こうと思う。無性に寂しくなる。でもこれは排すべき感覚ではない。何か別のもので埋めるべきものでもない。ぼくはそれを愛するべきだ。満たされなくてはじめて、ぼくは両足で立つことができるのだから。

 憂いが雨の湿り気と一緒に空に浮かんでいく。それが月を曇らせて、意味ありげに滲んだ明かりがぼうっと、部屋に染み入ってくる。女の子のことと、海のことを考えている。突堤を歩けば、きっと死について分かるだろう。

2013/06/09

急げ!

 課題をしなくちゃならないのに、起きてから何もしていない。はやくゴミをまとめて捨てて、ある程度の整理をして、喫茶店に向かわなくちゃ。五時にはやってくるのだから。それまでに17枚のやつらに線をひいて分類して、考察してメモを取らなくちゃ。プログラミングの課題はどうしようもない。

 コーヒーを飲みたい。洗濯機が回り終わるまでに食器も片付けよう。夕方は映画でも観ながらゆっくりしたいなと思うけれど、どうなるかは分からない。飲みに出かけるかもしれないし、眠りこけるかもしれない。未来の自分は予測できても、未来の現象は予測できないのだ。それは地震と一緒だ。地震という事象を予測できることは誰にもできないし、この間のような絶望的な、不可避な災厄としてそれがもたらされたとき、何よりも重要なのは自分であることだ。自分自身の未来は、その意志によって如何様にもなる。いいか、大切なのはハードの面ではないはずだ。

 地震は起きるし、そうすれば必ず人は死ぬ。建物は倒れるし、経済は混乱する。ただいつでもぼくはぼくであるべきなんだ。それだけが大事だ。そういう為の啓発が今の日本には求められているのだと思う。しかし悲しいかな、技術だけが独り歩きした所為か、この国を取り巻く精神性は涙が出そうなほど幼稚だ。根幹からの改革が不可欠であることは言うまでもない。そしてそれは権力や経済や民衆とはずっと離れた無関係の場所で点火されるべきだ。まっこと綿密な準備が必要だ。

 急げ!飯を食らって立ち上がれ!おれ。

2013/06/07

退屈な休日

 昼前に起きて、サイダーを飲んで、カップめんを啜って、音楽を聴きながら洗濯をして、部屋を片付けるのは面倒だから辞めて、夕方から映画を観た。高校生のころ、彼女と観に行った映画だ。ビートルズの音楽と、斉藤和義の音楽。改めて観ると、なお面白い。映画そのものを包含するような音楽。

「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」と言った。ぼくは違うと思う。いや、たしかに、ある場合にはそうかもしれない。けれどもあまりに省きすぎている感がある。習慣と信頼は確かに武器になる。けれども、それらの根底にあるのはやはり”猜疑”ではないか?習慣も信頼も、猜疑の上に成り立っている。猜疑の果てに、ぼろぼろになった挙句に、本当の友人はいるのではないか。本当の信頼は成立するのではないか。人は普段、簡単に裏切るからだ。ドラマとは違う。

 iphoneの画面が割れて、もうぼろぼろになっている。どうしたものか。ぼくは何にもやる気を見出すことができないでいる。とりあえず、この退屈な休日を締めくくるためにも、マクドナルドに寄ってドトールに向かおう。研究会の課題に向かおう。

2013/06/03

寝言

「自分のこと好きなの?」と聞かれた。「私は自分のことが好きになれない」

 言葉に詰まった。よく考えてみたら、ぼくはぼくのことをあまり好きではなかったのだ。これは不思議だった。これまでぼくはぼく自身を物凄く好きでいるつもりであったのだから、シンプルなその質問を浴びせられて戸惑っている自分に、なんだか妙な感覚を覚えた。

「難しい質問だな」とぼくは言った。「よくよく考えると、自分のこと、好きじゃないかもしれない」

「ふうん」と彼女は言った。「不思議だなあ」

ぼくだって不思議だった。「好きではないけれど、何よりも自分が大切なのかもしれない」

「誰だってそうでしょ、私もそうだから」

 確かにそうだった。

 だからと言ってやはりぼくは自分のことが好きなのか、と考え直してみても、どうにも嫌いなところが多いのだ、もちろん好きなところもある。けれども、別の誰かになれるのだとしたら、今すぐにでもなりたいと思う。それってつまり自分を愛せていないということではないか。

 早慶戦は慶應の二連敗で終わって、今日はきちんと講義も研究会もあるのだ。ぼくは朝起き抜けからプレゼンの原稿を書きなおしていた。憂鬱だが仕方ない。これからシャワーを浴びて、出かける。プレゼンさえ終えてしまえば、今夜は横浜だ。ワインが飲めるのだ。

「誰かといると考えなくて済む」と言った女の子がいるけれど、ぼくはそういうのってないよなと思う。男を愛する理由にそれをあげるあたり、もうどうしようもない。いいだろうか、考えることから逃げれば、ぼくらはおしまいなのだ。そんなことすらできずに、まっとうな人であれるはずがない。

「幸せだと感じている人ほど長生きします」と教授は言っていたが、そういうことならぼくは長生きしなくたっていい。幸せを目的にしたら、終わりだ。それは無思考をたぶんに含みうるからだ。いいかい、きっとぼくらは苦しんでいたっていいのだ。辛いことは悪いことじゃないし、幸せなことは素晴らしいことではない。価値観を根本的に疑え、そうしてまい進するべきだ。

2013/06/01

やる気について

 

 やる気は出るものではなくて、けれども出すものでもない。

 なんとなく続けていれば自ずと出てくるものだ、たぶん。

 それはきっと完全に理想的なアウトプットにはつながらないにしても、少なくともその足掛かりのようなものにはなることもあるだろう、と、思う。

 たまにはこういうのも悪くない。



 プレゼンの資料を練っているうちに日を跨いで、野村の誕生日が終わって六月が訪れた。眠気がぼうっと頭にまとわりついていて、相変わらずベッドの上は散らかっている。換気扇はすっかり直って、異音はもうしない。あれば煩わしいけれど、無くなると寂しくなるものってたくさんある。もしかしたら全てがそういうものなのかもしれない。一見不幸に思えても、その不在もまた不幸なのではないか?とすればやっぱりなんだ、人生と言うのは畢竟不幸なものである。

 明日は早慶戦だ。行きたくなんかない。けれど体育の単位になるし、まあ先輩も来てくれるので、行く。朝みんなは駅で集まるようだけれど、面倒だからぼくはひとりで行こう。音楽を聴きながら眠るか、本を読んでいく。人と行くとそれができないのがつまらない。電車の中で何を話すというのだ?それは危険すぎるのだ。幾つもの街をわずかの時間で通り過ぎるような状況の中で、対話なぞ成り立つはずがないのだ。それは危険なことだ。自ら損なわれに行くようなものだ。

 電車の中では読書がよい。それはなんといっても、リズムがあるからだ。ぼくは周りから完全に存在を隔て、尚且つ包含される。その感覚がなんともよい。工学的なリズムと、精神的な沈吟とがあいまって、それは実に有意義だ。ようし、決めたぞ。明日の朝は読書をしよう。

2013/05/31

怠惰の日


 まともであろうとすればするほど、ぼくの性質は歪んで捩じれて曲がっていくような気がする。それは瞬間的なことがらに関しても、習慣的なことがらに関しても。その現況は分かっているのだけれど、それだけに何が根本的に間違っているのか分からない。ぼくは否定される。それはつらいことだ。もちろん周りの評価によって自分を変える必要はないが、それにしても確かに耳には入るし、視界にもうつる。そういったリアルな態度における批判が、ぼくのことを音も立てずに傷つけるのだ。

 それでも眠気覚ましにコンビニまで走ると、確かに空には星がある。それは悲しいほどに、張り付いるように変わらない。ときどき明滅するものがあるくらいのもので、ヘリすら音だけで通り過ぎていく。ぼくは自転車を漕ぎながら鼻歌を歌って、なんだかちっぽけさの安心感みたいなものを思い出す。アイスとビールを買って戻ってくる道で、ぼくの気持の移ろいやすさに少し照れくさくなった。そう、ぼくはちっぽけで、だからこそ肩の力を抜けばいいのだ。ひとまず、ぼくはこうして生きているじゃないか。何も心配は要らない。

 いずれにしろ、プレゼンの資料は作らねばならぬ。まだ一枚もスライドが出来上がっていないどころか、資料にすらほとんど目を通していない。なかなかの堕落っぷり、我ながら誇らしくもある。

2013/05/26

すべての悲しみにさよならするために

 

 何かに依存するのはやめようと思った。それは愚かなことだからだ。自分以外の全ての物事は、必ず最後にぼくのことを裏切る。それをぼくはついに知ったのだ。だからぼくはそういうふうに生きるし、そのポリシーに反する要素に対して、ぼくは容赦なく抗うだろう。なぜならぼくはぼくだけでしかないからだ。

 三日間、似非アカデミズムに没入しながら、一人悲しみに打ちひしがれていた。ぼくにとって経験や過去というのは美しく愛おしいものであると同時に、苦しいものでもある。過ぎ去ったことはもうどうすることもできない、そういう悲しみがそこには普遍的にあるまいか?そして未来にしたところで、過ぎた後にはやはり過去のものになってしまうのだ。その圧倒的な、普段意識しないだけに余計圧倒的な事実を前に、ぼくはこの自分の愚かさが強烈に情けなく思われるのだ。

 今だって、缶ビールを片手にレポートを書きながら、ぼくは何人かの女の子のことを考えずにはいられない。それがぼくの悪いところだ。或いは、昔のことを思い出してしまう。音楽は記憶を明瞭に蘇らせる。ミスチルの「未来」という曲はぼくにとって特別ノスタルジックな歌だ。それは色とは関係が無い。ただぼくの温く緩やかなイギリスでの二年間を思い出させるのだ。バークデイル・クローズの芝生、ミックルオーバーの丘の木々、リトルオーバーの煉瓦の校舎、そういったもの、或いは日曜の朝、ダイニングから匂い立つベイクド・ビーンズの香りや、自室の鏡の前で上裸に立ち、歪んだ胸に悩んだ夕暮れ。そういった日々。

 悲しみが部屋に充満していく。ぼくはこれをも愛らしく思うが、きっと決別をしなければならないのだ。それはときどき思い出すから有意義なのだ。ぼくには愛がある。そうしてしかも、それは一等信頼ならぬものだ。ぼくの愛ほど、不安定なものはない。

 曖昧にして具な感傷が足の裏に感じられる。圧倒的な悲しみを前に、ぼくたちには言葉は不要だ。そこでは存在性が住民権を持っている。ぼくらが涙を流そうが、愛を語ろうが、励まそうが、そんなものは重要ではないのだ。存在性、「本質を見よ」という昔の言葉が木霊している。
 

2013/05/25

何気なさの中で悲劇は始まる

 つくづく自分は身勝手な人間だなあと思う。よく晴れた金曜の夕方に、論文の分析の為に自転車を漕いで喫茶店に向かう間のことだ。引地川に架かる橋を渡って急峻な坂を上ると、背後から夕陽のあたたかさを感じる。少しじっとりと汗を感じて、ぼくは妙な寂しさに満たされる。それでもなお、ぼくは誰をもぼくの中に許そうとしないのだ。
 結句ぼくは、一人でありたいと望んでいるのかもしれない。「アンビバレンスな」という言葉を氏は用いた。まさにぼくは我執と欲求とのはざまにあって、まさにアンビバレンスな状況に佇んでいると言って過言ではなかろう。異常なまでの欲、理解されたいという欲求と、人のことを信頼してはいけない、誰かと触れたときにはぼくは居なくなってしまうのだという、切実な我執とが、ぼくの足元で入れ替わっては混ざり、そうしてぼくのことをどん底に落とし込もうとしている。

 いろいろなことを考える。どれもこれも雲散するべき戯言に思われ、ぼくはまたも悲しくなる。けれども又、悲しみの中にこそ本質があるというのも事実だ。オイディプス王は悲劇の中に本質を呈しただろう?けれどもさらには又一方で、「血が流れたときは、悲劇は終つてしまつた後なのである」というのも事実だ。或いはぼくは劇的な悲劇へと滑り落ちている最中なのではないか。もしぼくが鈍感でないとすれば、血が流れるまでにはとまれるはずだ。自己陶酔の中に身を滅ぼしてはならない。

 五木寛之の本を手に取った。喫茶店からの帰り道だ。けれども今のぼくにはもっと読むべき本が多くあるはずだし、何より金が無い。だから諦めた。幾つかの小説と、幾つかの論考を読んだけれど、はっきり言って、彼の本はぼくのことをもっとダメにするだろう。勿論、ぼくは彼の文章を読むのが好きだ、心地がいい。けれどもそれだけに、いまのぼくはもっと迎合的な文章、例えば福沢諭吉などの著作を読まねばならないのかもしれない―いや、まあ、どう転んでも読まないだろうけれど。

 そういえば、妙な夢を見た。一昨夜だ。
 夢の中でぼくは少年野球を観戦している。大学のある女の子と一緒だ。細かく雨が降り出して、ぼくらはベンチのようなところで雨宿りをしながら、なおも試合を見続ける。彼女は唐突に「こうすけ」さんが見た夢の話をする。
 「鯨と烏賊とナメクジが川の字になって並んで寝ているの。ナメクジは烏賊の背を、烏賊は鯨の背を見るような体勢ね。ナメクジは烏賊を食べてしまう。むしゃむしゃという音が鯨の背には聞こえて、少しぞっとする。次に、烏賊を食べたナメクジ(このナメクジはやっぱりすごく大きいのね)は鯨のことを食べようとこっちに寄ってくる。襲われるんだけれど、さすがに鯨には勝てない。鯨は逆にこのナメクジのことを食べちゃうのね。よかった、食べられなくてと思ってほっと安堵するんだけれど、それも束の間、ナメクジなんて食べられたもんじゃないからか、すぐに気分が悪くなって吐き出しちゃうの。そういう夢。さらに言えば、鯨は自分なの。鯨は「私」なのね、つまりこうすけという意味なのだけれど」

 どういう意味なのだろう?

 さらにその後には少年野球のコーチで、その球場の管理者で、さらには警察で勤めているという恰幅の良い豪快な男と会話をするのだけれど、そのくだりは忘れてしまった。

 その夢の話に女の子は「なんて面白い想像力なの」と喜んだ。けれどもぼくは気分が悪くって、それが何かを暗示しているようで、どこか恐ろしいのだ。直接的でない、一見無意味で無造作で、何気ないものごとの中にこそ、悲劇の種は潜んでいるように思われるから。

2013/05/22

背骨の軋む夜

 暑い日が続いている。ぼくは毎朝八時ごろには目を覚まして、洗濯をして、シャワーを浴びて、講義に出かける。自転車で十分も漕げばキャンパスに着くが、それでも汗ばむほどに、日差しは強い。空いた時間は食堂に行ったり、図書館で文章を書いたりしている。
 研究会で英語教育の話と、防災の話をしている。ぼくはきっとそれら二つをいっしょくたにして研究することが有効だろうと考えていたけれど、少しずつ、何となくずれ始めている。特に英語教育の方だが、二期目にして未だ内容に発展がうかがえない。

 ぼくが研究したいのは、災厄の表象についてだ。特に、文学。震災や戦争や、もっと抽象的に言うなれば喪失や死について描かれた文学について、本質的なレベルにおいて研究をしたいと思う。すごく興味のある分野だが、しかし如何せんぼくは勉強が嫌いだ。

 UCLAへ留学をしていた友人が先週帰国した。会いたいと言われたが、ぼくは会いたくない。なんだか遠くへ行ってしまったような気がするのだ。「何も変わっちゃいないよ」とは言うのだけれど、なんだろう、きっと怖いのだ。

 自分の矮小さが見え隠れして我執の皿から零れ落ちそうな近頃、夜半には正体不明の焦燥感が訪れる。知らず内に、そこはかとない重圧が、少しずつぼくのことを押しつぶそうとしている。みしみしと軋む音がする。きっとぼくの背骨だろう。

2013/05/13

友とコーヒーと嘘と胃袋

 悲しみは全て筋肉に変えてしまえばいいのだ。友よ、飲むよ、筋肉に変えてしまえばいいのだ。アールグレイよりもブルーマウンテンだし、信頼よりも猜疑だ。晴天を誉めるのなら夕暮れを待つべきだ。そういう生き方を取り戻そう。乱されることはない、ただぼくは淡々と腕立て伏せをすればいいのだ。それから自転車に乗って大学に向かおう。

美味しいトマトを食べる夢

きみというのは特定の誰かのことではない。ある種の概念ともいえないけれど、まあそういうものだ。それは外側からやってきて、けれど解決するには自分の中でなんとかするしかない。そこで外側に救いを求めようとすると、きっとまたぼくは、さらに損なわれるのだ。そういう種類の痛みだ。痣のようなものだ。

2013/05/12

嫌な気分だ

 苦しい思いをして、ここのところは遂にようよう自分のスタイルで居られた。それも元を辿れば少なからぬ妥協を経て、そのプロセスに辛苦を覚え、その果てにようやく辿り着いた場所であったのに、また搔き乱されている。ここ最近は、ぼくは良い状態でぼくであれたし、きみとも割合理想的なやり取りができていたと思うが、それはぼくがスタンスを大幅に変えたからだ。しかし、そのスタンスすら、根こそぎひっくり返されてしまうのであったら、もうぼくには努力の余地が無い。
 苦しい思いをして、諦めたのだ。ある種の諦めをまたきみは思い起こさせ、そしてさらにそれの取り消しを要求したかと思えば、二時間後にはまたもや嘘の種明かしを始めるのである。
 
 おれを壊す気か?とぼくは思う。

 このままでは本当に誰のことも信じられなくなる。

 確かに、それはある面においてぼく自身の至らなさにも因るだろう。でもね、確かにぼくは誠実さの上に苦悶しているのだ。確かにぼくは損なわれているのだ。あまりにアンフェアではないか?

 怒りや憎みは微塵もない、賭けてもいい。そこにあるのは悲しみだけだ。きみを信じればこそ、ぼくは今こうして底なしの悲しみに苦悶するのだ。

 ずいぶんまともになってきていた。精神的にも落ち着いていたし、周りにもそう言われた。けれども、またふりだしだ。これがどういうことなのか、分かるか?ぼくは他者によって損なわれ、自らの主体を捩じり歪められているのだ。

2013/05/10

ベルギービール

 洗濯をして、パスタを茹でて、ビールと一緒に食べた。午後一時の日差しは強くって、思わずカーテンを閉める。ピロウズを流しながらパスタを食べ終えて、うにあられなるツマミを引っ張り出してくると、新しい缶ビールを冷蔵庫から持ってきて、また食べ、飲む。何を考えるわけでもなかった。ただ、憂鬱さと心地よさというのはもしかしたら同じものなのかもしれないな、とぼんやり思った。

 ぼうっとしているのはすごく快適だ。女の子の体のことを考えたり、和歌山城の入り口にある小さな橋のことを思い出したり。或いは大学まで自転車で走る道々に咲くハルジオンのことを思う。ゆるやかな坂道を下るとキャンパスが見えてくるが、日によってはその向こうに富士山の聳えているのが見える。それは美しい光景だ。涼しげな春の風。和歌山城は思いのほか刺激的だ。フルートとクラシック・ギターの演奏が響いていたり、ちょっとした動物園があったりする。ツキノワグマの何とか君はいなかったけれど、リスザルのりっきーくんは居た。城からの眺めは素晴らしかった。紀の川がキラと光って、その向こうに和歌山大学が見えた。風が強かった。女の子の体については、特に書くことも無かろう。

 そろそろシャワーを浴びて出かけようかな、日々には刺激が必要なのだ。

2013/05/09

拘泥

 昨日、四人でラーメンを啜り、帰る間、自転車をひとりのろのろと漕ぎながら自分を恥じていた。それは、僕という人間が結局のところ、嫉妬と我執と怠惰をまぜこぜにしただけの人間のように感じたからだ。本当だったら口にもしたくないゲテモノを、丁寧に論理で塗って固めて、あるいはツヤさえ出して、一見美味しそうに、ある種の人には見えるように、そうでなくとも、それなりにまともには見えるように偽っているのだ。最も誠実でありたいと謳いながら、実は最も不誠実なのかもしれない。嫉妬と我執と怠惰、と僕は思った。確かに、その通りのように思えないか?

 「思うままに生きている人間が嫌いだ」と言う。例えば一か月の間に彼氏を三人かえてしまうような乳の大きい後輩だとか、無思考に本を読まずただ就職のことばかり考えている先輩。つまり、考えず、その瞬間思った通りに即発的に行動をとるような人間が、僕は嫌いだった。それを論理的に批判し、さらにその城は極めて頑固に建てられていたから、たいていの反論ははねつけた。

 けれども、僕はどうだ?

 僕も大差ないのだ。女の子のこととなると全く点で本能主義的だし、就職はただ面倒なだけだ。思考しているなどと言い訳をして何も行動をしない。努力をしない、忍耐を避ける。僕はそういう人間なのだ。そして羨望と嫉妬に溺れるのを恐れ、また論理の船を漕いでさっさとわたり切ってしまうのである。

 旅に出るのは何故か?これもまた、精神的な弱さの結果なのかもしれない。

 何が必要なのか?行為?

2013/05/07

川面に現を見る

 連休が明けて、授業が再開された。移動中、あまりの眠さに何度か身体がぶるぶると震えた。だのにどういうわけか眠ることはできず、気を紛らすためにガムを噛んでみても、コーヒーを口にしてみても、絶え間ないその気だるさが午前中の僕のことをずっと支配し続けて止むことはなかった。
 明日の午後までに書かなければならない文章があるが、今夜は友人のバースデーパーティだし、それまでの時間のほとんどは、研究会に費やされる。あと十五分もすればそのゼミが始まるから、書くとすれば今夜か明日の朝なのだけれど、この眠気をどこに追いやればいいのかも分からず、悶々としている。ラスコーリニコフへの共感もさることながら、やはり僕は僕自身について極度に美化しているようだ。首筋に張り付いて消えない感覚が毒のように脳みその表面を少しずつ覆って、その全体が麻痺しようとしているのが分かる。僕はそれについて抵抗する権利も能力も持ち合わせていない。それは予定されたことのように、淡々と決められた順序で以て僕の身体を侵食していく。
 ただし、それは決して苦痛ではないのだ。苦痛を伴う快楽と言ってもよい。その妙な感覚は、少なからず午前のまどろみに依存しているようだ。しかしまた、徹頭徹尾僕自身において完結されている。僕の内部で始まり、そして同様に内部で終わるのだ。確かに、その発端が他者性をたぶんに孕んでいることは否定できない。けれども、やはりそれは僕の中のみで発生し、そして沈静化する。
 もぐもぐと一人で考えながら、僕は麻痺を待つ。それが完全に訪れたとき、僕は深い眠りに安息するに違いないのだ。それは僕の振る舞いとはまったくの無関係に、必然的に生じる自発的な安らぎに他ならない。


2013/05/04

放浪と放蕩

 S村との約束を果たすべく、というのは明らかに偶発的な結果論に過ぎないわけだが、いずれにしろ、ぼくはその約束の結実を理由の半分に、放蕩に耽っている。確かに、些か迷いはした。迷いというのは、熟考のことである。しかし、ぼくは決断したのだ。きっとこれは、ぼくにとって大きな意味を持つに違いない。それは精神の放浪に他ならない。宛ても無く、いるべき場所以外のどこかを彷徨うのだ。確かにそれには意味があるはずである。なぜなら、ぼくという存在に属さない何らかには、確実にぼくの含まないいずれかの種類の気配が根付いているはずだから。

 実を言えば、ぼくにはやはり目的なんかない。ただ単に、結果的にそれらしい意味をつけているだけだ。言い訳にも似ている。自らの奥深くにある何かに従おうと、ただ静寂に耳を傾けているだけに過ぎないーいや、それはむしろ、そのための試みとさえ呼べない程度のものかもしれない。態度を顕示したいだけではないか?仮にそうだとしても、自室の汚れたベッドで蠢いているよりはよっぽどましだ。それはグレーゴル・ザムザが七年前に教えてくれたことではなかったか。

 悦楽に浸りたいというのもまた、二次的な、表面的な目的に過ぎない。それは最早、本質的ではない。ぼくにとって大切なのは、ぼくの位置だ。ぼくが今どこにいるのか、きちんと二本の足で土を踏んでいるのか。ぼくの隣には、背後には誰がいるのか。そしてぼくは何者なのか。そういったことを把握するために、ぼくは方法論としてたまたま悦楽を通過するに過ぎないのだ。これは嘘ではない。

 ぼくは嘘をつきたくない、ただ、嘘というのは、真実の嘘のことだ。確かにぼくは幾つかの偽りを身にまとっている。しかし、それは許されるべき偽りだ。たとえば、本当のところを言えば、ぼくは今すぐにでも死にたい。そういうことだ。

 これはメタファーだ。精神的な放蕩には決して実態が伴わない。全ては仮象の世界に埋没しているものごとだ。けれども、だからこそ本質的なのだ。これがぼくの今主張したいことの大枠になる。実際に何が起きているのかーつまり肉体的に、或いは物理的にということだがーという問題は、まったくこれに無関係であるどころか、或いは逆の要素がそこには孕んでいる必要性が、ある側面においてはあると言えるだろう。

 ほんの少しだけ酒が入っている。心地がよい。もう少し飲もうと思う。野菜炒めだ。

2013/05/01

咳をしてもペロリ

 夜まで大学で作業をしていた。九時前に図書館から外に出ると、それまでほとんど降っていなかったのに、雨が落ち始めてきた。駐輪所につくころにはちょっとした本降りに入り始めて、ぼくは諦めてそのままバス停まで歩いた。咳がまた出だした。ぼくはぼんやりと「直観」について考えていた。それは今夜が提出期限のレポートのテーマで、課題文は「直観について考察しなさい。」そいう一文のみであった。
 明日から怒涛の連休がはじまる。珍しく、暇がない。ゆったりとした時間を過ごしたいのだけれど、そうもいかないのだ。ぼくはもう少し、行為に身を寄せてみる。認識の形を注意深く観察しながら、その変形、或いは普遍を記録できたらいい。ぼくの予想では、最後まで何も変わりはしないだろう。大抵の場合、ぼくはぼくの思っている以上に愚かだからだ。

森薫るハイボール

 気功のおかげか、安定している。もちろん頭の中はぐるぐるぐるぐるしているけれど、森の奥深くまで木々をかいくぐって進んでいくと小さな池があって、ぼくの心はその水面のように静謐さを保っているようだ。時折はらりと落ちる緑の木の葉が柔らかな波を円状に広げて、消える。深い影の中にはそういった明るさがある。木漏れ日に鱗のような反射を跳ね返して、心地よく湿った土からは昨晩まで降っていた静かな雨の匂いがする。
 激しい眠気の中には、そういった静謐さがある。帰宅してシャワーを浴びて、新しいシャツを着た。少し時間があるから、レコードを置いてこの文章を書いている。
 いろいろな思いが去来する。けれども、いまは一先ず、それらから一歩離れて、この心地よさに身を浸そうではないか。そんなことを思うのだ。

2013/04/30

たいせつなことも忘れてしまう

 たくさんのことを忘れてしまった。ぼくはいつも、大切なことも全て忘れてしまう。そういう人間なのだ。その性質のせいでこれまで多くの失敗をしてきたし、幾度も傷つけ、傷ついてきた。それについてぼくは、長い間かけて、何度も何度も思い悩んだ。永遠のような反芻の果てに、ぼくが気付いたのはただひとつだけである。それは、どうしようもないということだ。ぼくは忘れるのだし、きっとそのせいで、忘れられてしまう存在でもあるのだろう。結局のところ、ぼくというのはそういう人間なのである。本質的な性質としての忘却は、ぼくからはきいっと拭い去ることができないのだ。

 だからと言うわけではないけれど、忘れることに関して、ぼくのことを責めないでほしい。これはある意味では不可能だ。けれど、そういう側面での話ではない。なんというか、そう、これは細やかな期待だ。往々にして悲劇につながるところの、期待というやつである。

2013/04/24

春の夜の雨

 春の夜の雨。二コマ連続するプログラミングの講義の合間にS村と話す。カラマーゾフはまずまず面白かったよと涼しく答える彼。半島を出でよは読むべきだ、それからね、やっぱり豊饒の海さと彼。ぼくは面目ないなあと思った。ぼくはそのどれも途中で断念しているのだ。すごいなあ、多読だなと言うと彼は「でもね、決して速いわけではないよ。ゆっくりじっとり、時間をかけて読むんだ」と答えた。「この雨みたいにね、なんつって」

 S村は慶應には珍しく、ウィットに富んだ男だ。「おれはよ、女子高生とそういういやらしいことがしたいんだ。だから塾講をはじめたけど、男子中学生ばかり任されるんだもの、参っちまった。あいつら、馬鹿なんだもの」

 村上春樹の新作も読み終えたと言った。「おまえは海外作家を読むんだろ、おれはからっきしだもの、せいぜいロシアかドイツだ」しかし彼は大江健三郎についても「大抵は読んだぞ、特に好きと言うのでもないけど」と言う。毎晩深夜まで大学の図書館で一人本を読んでいるのだ。ぼくは酒ばかり飲んでいる。二か月前まで女子高生だった女の子たちをぼんやりと眺めている。ぼんやりと…。

 彼は不思議な話し方をする。本当に変な奴だ。

 「大学を辞めて田舎に帰ろうかとも思ったんだけれど、四年間はとりあえず迎合してみることにしたんだ。洗練にもきっといろいろな形があるんだよ。そう信じてみることにした」

 S村は石川県からやってきた。金沢の隣の隣の、小さな街だ。「冬にはどっさり雪が降る。石川にはね、二種類しか土地が無い。金沢か、金沢以外。金沢大学もパスしたんだけれど、神奈川の『横浜以外』にも少し興味があったんだ。思った通り退屈だ。違いは雪の有無だけだ」

 春の夜の雨。S村は図書館に向かって、ぼくはバスで転寝を繰り返しながら駅へ帰った。落ち合ったサークルの連中と十数名で中華料理屋に行き、なんだか大味で量だけ多い料理を食べた。そのあと飲みに行こうと誘われたけど、体が鉛のように重たかったから、ゆっくりと歩いて帰ってきた。正直言って、うんざりだった。「若さってなんだろうなあ」と一年の頃、S村が呟いていたのをふと思い出した。若さとはなんだろう。ぼくは一年生の男女を見ると、微笑ましくも、愚かしく思われる。もちろん、どちらも抗いがたい性質だ。ぼくも二年前は少なからず彼らのようなふうだったろうし、若いというのはきっと、本質的にそういうものなのだ。ただ、もっと何かある気がするのだ。難しいなあ。

 腕立て伏せをして風呂に浸かって、LPに針を落としてビールを飲みながらこの文章を書いている。ものすごく眠い。S村はきっとまだ本を読んでいることだろう。「ものすごく暇なんだ。だから読む」とさっき彼はぼくに言った。そういう感覚をぼくは、大学に入ってから忘れてしまった。これはきっと悲しい形の洗練なのだろう。春の夜の雨の音すら聞こえやしない。なんとなく缶に耳をあてると、ようやく気泡のはじける音がする。最後の曲が終わる。

2013/04/22

外野ノックを打ちました

 眠い。今日はひたすらに眠かった。すごく良い天気で、日差しが強く暖かかった。ぼくは二限の始まる一時間近く前に大学に到着して、鴨池のほとり、生い茂る緑色の芝生に寝転がって本を読んだ。気持ちよかった。けれども眠かった。授業で寝て、研究会でも寝た。それからグラウンドに行くと、それまでの暖かさは冷たい風によって失われていた。練習を終えてハンバーグを食べて帰宅して、一時間眠ると女の子からの着信履歴が残っていた。かけなおそうかとも思ったけれど、風呂に入りたくてひとまずはやめた。これから腕立て伏せをして、風呂に入って、それでもまだ余裕があればかけなおそうと思う。とにかく眠いのだ。明日明後日は怒涛の火曜水曜、体力には万全を期する必要があろう。



「そりゃそうさ。みんないつか死ぬ。でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、いろいろなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりずっと疲れる。そうだろ?」

自転車を買った

 腕立て伏せをしてシャワーを浴びて自転車を買いに出かけた。一番安くて一番シンプルなものを選んで、そのまま乗っかって帰ってきた。途中で焼肉の誘いを受けて、駅前の店で肉を焼いた。それから解散をして、あるグループはカラオケへ、またあるグループはバッティングセンターへ行った。Y根とぼくだけが残った。バッティングセンターまで自転車を漕ぐには寒すぎたし、カラオケの閉塞感に耐えられるほど腹はもう減っていなかった。ぼくらは何となくバーに入って、エンガワのポン酢和えをつまみに酒を少しだけ飲んだ。

 Y根は思っていたよりもおもしろい男だった、と書くとなんだか上から見ているようにうつるけれど、本当に、純粋に驚いた。彼は二年で、もう出会って一年が経過していたのだけれど、今までの印象と今夜とでは全く違った。ぼくたちは学問の話をして、就活の話をして、大学の話をして、人間の話をした。ぼくは嬉しくてつい、少し酔っ払ってしまった、帰り際、「またお話をしましょう」と言ってくれた。きっとあれは本心だろう、信じている。ぼくは心底嬉しかった。大学にかような話をできる人間は本当に限られていて、その詰まらなさに正直うんざりしてしまいがちなのだけれど、彼のような男がいてくれると、ぼくとしては本当に助かる。ありがとう。



 延命をして、或いは、金を稼いで、そういったことに絶対的な価値を置く。病に冒されても長く生きられれば生きられるほどよいとされるし、就職したならばより多くの資産を手に入れることが賞賛される。しかしね、その生き方は本当に危険だ。なぜなら、彼らは間違いなく、敗北するからだ。

 ぼくらはみな死ぬ。死んだら命は無くなるし、貨幣にも価値はなくなる。彼らは敗北するのだ。

 価値を置く場所には慎重にならねばならない。

2013/04/21

檸檬

 僕にしては珍しいくらいに長い文章を書いて、すぐに消した。便利なもので、CtrlとAとを同時に押して、そのあとでバックスペースをはねれば全てが霧消してしまうのだ。物語はゆっくりと弧を描いて空を貫き、地面に触れ、そして蒸発するように失せてしまった。僕は空き缶の底のような気分になる。暗くて、固くて、それでいて湿っぽい。

 少なくとも、僕には事実として挙げられることが一つある。三年前の僕は、今の僕よりもずっと若かったということだ。とりもなおさず、僕は透明であった。今となっては何ものとも比べることができない。しかし僕の記憶には、遠く離れた場所には、確かにその感覚が見えるのだ。

 僕にはそれを取り戻すことはできないと思っていた。けれども、それは間違いなのかもしれない。朝から続いていた雨が上がって、僕はそんな風に考えた。何かが変わるとすれば、それは今だった。呼吸を整えて、ゆっくりと目を閉じる。

2013/04/19

何も

何も書くことができない。二時間喫茶店にいても、ただの一行も書くことができない。胸が苦しい。

味噌汁を飲もう

 カラムーチョを頬張りながらビールを仰いで、音楽を聴く。どかどかと喧しいサウンドがレコードから滲んで出てきて、曇り模様の午前を憂いてなお彩る。キスのことを考える。橙の豆電を見上げながら金のことを考える。薄暗闇に鎮座するのは歪な体の二十一歳で、救いようのない閉塞感で辺りはいっぱいになっている。袋小路だ、とぼくは思う。

 先日の飲み会には、一流企業の内定をむんずと掴んだ先輩が多く来た。サークルのほとんどの四年生は、例年大企業に就職していく。彼らは誇らしく武勇伝を謳い上げ、やおら苦々しげにぼくらに訓示を垂れ給う。「キミタチが思っているよりも、就活なんて大したことないさ」と涼しげな顔を張り付けてビールを一息に飲む彼らに、ぼくは何か複雑な気持を抱かずにはいられない―無論、底なしの羨望があってこそ、その複雑さは生じるのに他ならないのだけれど。

 祖父や父親を見ていると、ぼくもまあ大丈夫だろうと思える。けれど、大丈夫とは一体なんだ?ぼくは彼らとは違うし、何より時代だって違う。「おまえなら大丈夫だ」と周りは言うけれど、ぼくにはそうは思えない。例え大丈夫だったとして、ぼくはそれに満足できるか?血反吐を吐くまで飲まされて、それが価値を持つような場において、果してぼくは疑問を抱かずにいられるか?―否である。

 だからと言って「公務員試験を受けろ」と言われても、イマイチパッとしない。こういう考え方はナマケモノの、いわゆるニートの考え方だろうか。おそらく親にでも垂れてみろ、すぐに一蹴されてしまうだろう。何かしたいことはないのか、と聞かれる。ぼくには確かに、ひとつだけしたいことがあるのだ。それは書くことだ。けれどぼくには書くことができない。

 幾度と書こうと試している。例えば、先月末には文藝賞の締め切りがあったろうし、再来月には文学界新人賞のがある。にもかかわらずぼくには未だ書くことができない。だからほとんど諦めているのだ。

 愚痴が過ぎた。これはただの記録だ。今日は映画でも観ながら少し部屋を片付けようと思う。何もかもが単調だ。味噌汁を飲もう。

2013/04/17

迷い

ぼくはこのまま就職をして本当にいいのだろうか。

研究会と思い

 二度目の大木研究会。地震学者のもとに集いて防災コミュニケーションを研究するのだけれど、やはり面白い。何より先生が美人である。先週は選抜やらゼミの説明やらがあったため、本格的な活動は今日よりスタートであった。共に選抜を受けた友人らはみな落ちてしまって、ぼくは一人ぼっちではじめ座っていたのだけれど、ふと隣の男の子に声をかけたなら、なんと彼は経済学部三年、三田の学生であった。藤沢の辺境まで、はるばる一時間半かけてやってくると言う。ぼくはしめたと思って彼と仲良くなった。
 終わりしのち、駅の大戸屋で一緒に晩飯を食べながら、研究について思うところを共有した。論点はハードとソフトとのことになった。つまり、技術や知識といった側面と、人の内的認識や危機感といった側面との対立構造についてである。
 面白いことに、ぼくら二人の意見はほとんど真逆であった。ぼくが表象の方法や強烈に感情的なインパクトで以て内的な認識に強い危機感を喚起するという方法論を説いた一方で、彼は科学の普遍性にやはり則るべきであると説いた。彼の話は実に面白かった。ぼくは感心してしまった。

 國枝というフランス語、フランス文学を専門にする教授の授業で、昨年「災厄を表象すること」をテーマにした「言語とヒューマニティ」という講義を履修していた。そこでぼくは衝撃を受けたものである。それまでは知り得なかった文学の働きを知った。そして今学期、上のような研究会が新設されたときに、真っ先に思い出したのが「文学も実益に繋がり得る」ということであった。災厄を表象するということは、実は極めて生産的なことなのかもしれない。

 20時までは疲れるけれど、しかし得るところも大きい。

 今日は憎きプログラミング(これが無ければ如何に楽であることだろう)。そののちサークルの最終新歓飲みがあります。お暇な方は是非。

2013/04/16

今日



言葉が思いつかない。ただ、嬉しいよ。かつてぼくたちはお互いに高校生で、しかも、ぼくたちは共にその場に居た。そして今もほとんどのことは変わっちゃいないのだ。本当にありがとう、ただその一言に尽きる。ぼくも同じ気持ちだ。まさにその通りだ、世界が見違えてしまった。

2013/04/15

憐れな男

 

 起き抜けに吐き気を覚えるのはずいぶん久しぶりのことだ。自棄になって酒を煽ったのも久しぶりであった。正直のところ、ぼくの方はずいぶんと崖っぷちで、左腕の肘の辺りなんて、二年前のように少しずつ荒れ始めている。田中の共喰いという小説を思い出す。あの生臭さ、単調な気怠さ、生の退屈さ。喉が著しく痛む。大酒のあとの眠りには鼾が伴う。何故かエアコンがついていて、空気の乾燥したのも一因にはなっているようだ。髪の毛はがしと音を立てそうに気持ち悪く、はっきり言って、最悪の朝だ。

 マジカル・ミステリー・ツアーに針を落としても、音は妙に膨張してぼくを嫌う。袋小路にセイウチが跳ねている、ククック・ジュウ!58円のペットボトルの緑茶を飲み干す頃には風呂が沸いたので、入る。凝り固まって張っている左肩をなんとなく撫でながら、まだなのか、と思う。

 ”或いは、それはぼくのことではないのか?”
 ”そうであったならば、はっきりと明示してほしい。”

 いままでほとんどかのように感じたためしはないけれど、如何せんぼくには今、余裕と言うものが無い。それをいっぺん信頼したならば、最後に落胆するのがあまりにも怖いのだ。ぼくに今必要なのは、信頼できるものだ。それがぼくについてでないのだとしたら、それを今のうちから明示してくれさえすれば、事実を事実として信頼することができる。

 つまり、「まだ言っていない」、「きみ」というのが自分に関する何らかではあるまいかと思うほどに、ほとんど誤解するほどに、圧倒的な自意識過剰が、窮地の混乱においてぼくの中に渦巻き始めているのである。それを苦せず解くならばいまのうちで、これが拗れると面倒なことになりかねないのだ。

 ひどく情けない。けれど、ぼくには今余裕がないのだ。頼む。

 …恐怖に震える。迸る血潮のイメージがなぜか、脳裏に焼き付いて離れない。

 

2013/04/12

大いに眠れり


 夜中の一時ごろ眠りについて、昼十一時に目覚めて、昼食を済ませて、十五時まで眠っていた。十四時間ほど眠り続けて、ようやく先程寝床から起き上がったところなのだけれど、体が気怠い。なんだろう、悲しい気持ちがする。今や日は傾ききり、薄闇がぼんやりとぼくの部屋と意識とを包んで隠そうとしている。ぼくは一人ぼっちで胡坐をかいて、この文章を書いている―少しずつ夜のヴェールに覆われていく意識はまた、徐々に眠りへと引きずり込まれていく。

 ぼくは隠されようとしているのかもしれない。何者かによって、夜という大きな布を被されて隠ぺいされようとしているのか。そんな気さえしてしまう。身体全体がぶよぶよとむくんだ感覚がして、それに内包されているはずの意識は猛烈に朦朧としている。白い壁に反射する弱光が頭痛を誘い、消してしまいたいのだけれど、そんなことをすると愈々また、眠り込んでしまうことになる。それではあまりに悲しいではないか。ぼくには幾つものすべきことがあるのだ。

 お茶を一気に流し込んでみたけれど、それはぼくのことをさらに落胆させるに過ぎなかった。食道を流れていく液体の感覚は、ぼくの知っているそれとはかけ離れている。それは何か、異物と異物とが接触している振動を、外から触れて感じているような、そういう感覚だ。お茶の滑っていく壁はぼくのそれではなかった。何かひどく人工的で、精密な計算に則った出来事のように思われた。その確かな乖離―無論、事実その食道は言うまでもなくぼくのものであるけれど、意識の上では確かに「確かな」乖離があり、また、そこに横たわる距離は絶望的なものであったはずだ。

 ぼくという意識が、ひどく滑稽なものに思われる。意識と言うのは、つまり自らの存在そのものであるはずだ。つまり、ぼくという現存在自体に何らかの異常、或いは問題があるのかもしれない。ないしは、元々欠陥だらけである自らの自意識に、長い眠りから覚めてようやく気が付いたに過ぎないのかもしれぬ。兎角、ぼくはいま只管に寂しい。

 夢は一つも見なかった、と思ったが、一つだけ見ていたのを思い出した。部屋の中を大きな蜂のような昆虫が大量に飛び回っている夢だ。ぼくは眠たくて仕方ないのだけれど、何とか起き上がって虫たちを退治する。殺虫剤なんて部屋にはないし、そんなものでは死なないほどに巨大で屈強だ。ぼくは雑誌を手に取って、壁や床に張り付いた連中から一匹ずつ叩きのめしていく。もちろんそういった類の作業と言うのは、ある程度続けていると段々機械的なものになってくる。そこにもまた、ぼくの意識が今までのそれ、或いは自身以外から離れていく様を表しているようにも思われる。無限にも思われる数の蜂を一匹潰し、また一匹潰す。その体液が壁紙に染みを作って、ぼくの部屋は斑点模様になっていく。黒死病のように廃れた斑点の部屋。ぼくは夢においてぼくの部屋を俯瞰している。退廃的な、あまりに退廃的な。下着一枚で動き回るぼく自身を眺めながら、夢は少しずつ霞んで消えていく。消えゆく意識の様子が、視覚的に消えていく。その矛盾にも見える豊饒な喪失がぼくの(それは最早如何なるぼくなのか分からない)胸を激しく打つのだ。

 如何なるぼくなのか分からない、としたのは、意識と無意識とのはざまにおいて、主体が何者であるかすら分からなくなってしまっていたということを明示している。果たして本当のぼくはどこにいるのか、ということだ。斑点の小部屋で蠢いている自分なのか、それを上から眺めている自分なのか、夢から覚めて茶を飲む自分なのか、食道の細動に触れて感じる自分なのか、或いは眠りにつく前の自分なのか。そのどれとも違う感じのする自分がいま、自我を留めるに苦悶しながら、自らを咀嚼している。意識が飛び散ってどこかへ消えてしまう前に、ぼくはぼくを取り戻す必要があるのだ。

眠りのいざないが、夜に隠れてやってくる。

2013/04/10

お腹が痛い

過剰なまでの孤独感、喘ぐことさえできない閉塞感、そういったものに一晩苛まれた。身動きの取れない向かい風のような、潜水の先の水圧のような、或いはそれよりももっと恐ろしく、非情な力がぼくの精神にまとわりついて、それは離れようとしない。ぴったりとぼくの表面を覆い尽くして、それはべたつくとも滑ることも無く、ただぼくの皮膚さえも、冷酷に生き殺しにしてしまおうといったところなんだろう。

天気も芳しくはない。ぼくにまとわりつく不安のように、空もまた暗雲によって侵されているのだ。誰もそれには気づかない。それというのはつまり、知らぬ間に病魔に冒され始めるぼくと、空のことをとだ。いずれにしても、プログラミングの授業はなんとかせねばならぬ。


今学期大変なことは、ゼミ(×2)、プログラミング、アルバイトといったところだが、いや、列挙してみると大したこともないのかもしれぬ。ここから夏までに奮闘したらば、そのままスムーズに卒業が見えてくるはずなのだ。がんばれおれ、大丈夫だ。

2013/04/08

ピーナッツ・ヴィーナス

 深夜の横浜で朝までバイトをしてきます。本日初出勤、某ネットカフェでの仕事なのだけれど、問題は体力だ。持つのだろうか。明日は一応三限からなんだけれど、やっぱり四限からにしようかしら。いろいろなことを考えている。とかく、現段階ですでに眠い、非常に眠い。睡眠時無呼吸症候群であることが指摘された。金曜あたり病院に行ってみようと思う。睡眠が害されるのはなかなかに面白くない。くるりとチャットモンチーを聴いて、バイトがんばろう。明日はゼミ。

2013/04/06

ダンボール・マウンテン

部屋の中にダンボールが散乱していて、もういい加減見苦しいので片付ける。今日は春の嵐で天気が荒れると聞いていたからぐっすりゆっくり眠っていたのだけれど、どうやら嵐は夕方から訪れるらしい。こんなことなら午前のうちに黒い靴を買いに出かけるべきだった。横浜はもう、遠いので、近くで探してみようと思う。

レコードでルイとデュークの共演を聴いて、それからコンポの出力ドックにPCを接続しなおして、チャットモンチーとくるりを聴く。土曜の午前はそれはもう、何もなく過ぎていく。何もない。その虚しさと生温い心地よさに、ぼくはいつまでたっても飽きることができない。忙しない社会の渦とは裏腹に、ぼくの八畳とちょっとの部屋ではゆっくりと時間が過ぎていく。可愛い女の子のことを考える。華奢で肩が小さく、黒い髪が肩まである胸の小さな女の子。少しふっくらとしていて胸の大きな、眼鏡をかけた女の子。金髪で足の長い、タイトなパンツの似合う女の子。いろいろな女の子が世の中には溢れていて、彼女たちは総じて美しく輝いている。

最近、嫌な夢を多く見る。旧友にぼろくそ言われる夢だとか、仲のいい女の子に嫌われてしまう夢、恐ろしい思いをする夢、家族に関わる夢。寝起きは最悪で、昼間でもすごくぼうっとしてしまう。どうしたらいいのだろう。ほっとする時間がほしいのだ。



くるりを聴いたらすごく、気持ちがよくなった。天気は悪いし、午前は潰れてしまったけれど、これから出かけよう。希望が無くたって、ぼくはぼくなのだ。

2013/04/05

シーチキンマヨネーズ

 

空は晴れ渡っている。昨晩、明け方までバーやら居酒屋やらを渡り歩いて友人や後輩と語るに、ぼくはやはりぼくのままでよかろう、たる確信をより一層深く持つことができた。結句、ぼくは恵まれている。昼前に目を覚まして、大学の時間割を作った。今学期は何かと忙しくなりそうだ。研究会を二つ抱え、プログラミング科目を抱え、バイトを抱え、自動車学校を抱え(仮)、そして、大きな希望をも抱いているのだ。

あの文章における「彼」とはぼくのことだ。今回だけは確信が持てる、そうして、それがぼくであることで、ぼく自身は本当に勇気づけられた。まだ少し冷たい春の風が川を抜けて、両岸の桜並木が粉雪のように花弁を降らせる。ぼくはシーチキンマヨネーズのおにぎりを齧りながら、幼稚園の上空をゆらゆらと揺れる鯉のぼりを眺めた。彼女はまだぼくのことを信じてくれているのだ。それだけで、世界は見違える。そこには時間と言う意味性はない。時間の長さが何かを物語っているようなケースではないのだ。それは妙な感覚だ。ただ、そこにはどしりとした、何物にも代えがたい大きな信頼が横たわっているのだ。ぼくは大仏を思い描く、それは鎌倉で見た大仏でもいいし、タイの寝そべった大仏でも良い。本当に感謝している。

最近、いろいろなことを思い出す。写真を見て、音楽を聴いて、何かを食べて。いろいろな別れがあって、それは恋人でも友人でも、彼らに会って笑って話をしたい。

読書のこと

ぼくの思うに、人間にとれば、生きることにおいて重要なのは考えることなのだ。考えることが生きることであると言っても過言ではなかろう。あくまで「人間として」生きるには、頭を使うことが条件なのだ。

考えれば考えるほど、人は死に近づくだろう。
考え尽きたときに、人の精神は死ぬのだ。

そして、本を読むと、ぼくはいろんなことについて考えてしまう。いろいろな読書があるだろう。娯楽として、活字を楽しんでみたり、漫画のように、その情景に悦楽を見出したりなど。しかし本当の、真実の読書と言うのは、ぼくはその本の精神性を吸収することにあると思う。そしてそのとき、読者は考えざるをえなかろう。その本を書いた人間が何を考えていたのか、それについて自分はどう感じるのか。

考えれば考えるほど、人は死に近づいていく。何故ならば、本当のところ、そこに生きる意味などほとんどないからだ。ぼくらはしばしば社会という立場からいろいろなことを眺めてしまう。しかし考えてみると、社会と言うのは所詮、虚像なのだ。人間が作り出した概念でしかありえないのだ。そこに真実があると言えるだろうか?本を読めば、限りなく本質に近い部分にまで寄っていくことができる。雑音の無い深海に少しずつ沈んでいったとき、ぼくらが本当に静謐な思考を手に入れたとき、少なくとも精神においては死を見るだろう。

ぼくはそれを肌で感じた。高校のころ、本を読むにつれ、少しずつ僕の内的存在が死に近づいていく感覚を、本当に感じたのだ。そして恥を偲んでそれを友人に伝えたならば、彼もまた、カミュを握りしめながら同じことを言ったのだ。

死んだ人間の本を読むのは実にたのしい、何故ならば、彼らは無条件に考えつくしている存在だからだ。彼らの全うした精神的生のエッセンスがその著作であり、それを読むことによって、読者はダイレクトに生きることについて考えることができるだろう。

こう、論理的に提示してみても、分かってくれる人は本当に少ない。おろか、鼻で笑う人が本当に多いのだ。だからぼくはもう、話さないことにした。

2013/04/01

ユキちゃん


今年度はじめて大学に赴く。なんだか不思議なもので、先学期の期末試験を受けていたころはまだ寒くて、スキーだなんだと言っていたり、ダウンコートに首をひっこめたりしていたのに、今日のキャンパスは春絢爛として非常に明るかった。しかし考えてみれば当然のことだ。冬が終わって春が訪れ、新しく新入生がやってくる季節。桜が咲いて、雨が降って、桜が散っていく。近所の川をピンクに染めて、新しい季節の訪れを祝しているようにも見えまいか。ぼくは学事の窓口で手続きを済ませると大学図書館で少し本を読み、キャンパス内をふらふらと散歩しながら、内設されているサブウェイで昼飯を贖った。幾人かの知り合いとすれ違って、彼らと挨拶をした。

それから迷った挙句、横浜に出る。すごく眠い昼下がりで、往復の電車の中にぼくはひたすら眠り続けた。横浜駅のバナナレコードでダニー・ケイのレコードを買って(ダニー・ケイ!CDじゃまず手に入らないだろう)、ヨドバシカメラでレコードプレイヤーを見る。一番安いのを買うことをほとんど決めたが、まだ少し調べたいことがあったので今日は我慢。明日、バイトの面接に向かう際買おうと検討している。

帰り道の川沿いにはカップルがひしめき合っていた。いつもならばじとっと睨んでしまうところだが、今日はどこか幸せな風景に見える。それは少なからずぼくが幸せだからだろうか?しかしぼくには、自分が幸せであるようには感じられない。いやでも、或いはそうなのかもしれない。澁澤も言っているが、そんなもんなのだ。なんだか最近は肩の力を抜いて生活できている。理由は分からぬ。快適な春の風がいやでもぼくのことを癒しているのかもしれない。

モーモールルギャバンを聴きながらこれを書いている。遠方の愛を思いつ、リレキショを贖いにコンビニへ向かおう。

鎌倉

鎌倉に行ってきました。ずいぶん歩いて、いい散歩になった。しかしこうして家族が揃って笑えるというのは、とかく幸せなことです。これを実現した父母を心から尊敬しているし、一つの生き方としての成功がそこにはあると思う。夜半、父親と二人でジャズバンドの演奏を聴きながら酒を飲んで話すには、やはりぼくらは似た者同士と言うことだ。つまり、ぼくは自信を持った。今のままでも、今その場所での努力を惜しみさえしなければ、ぼくはきちんとやっていけるのだ。社会的な成功と、非社会的、つまり観念的かつ内省的な充実と言うのは、確かに両立が可能なのだ。ぼくはカールスバーグを延々とお代わりしつづけながら、バンドを聴いた。途中でバースデーソングが流れて、女子大生の一群に祝いのメロディが流れた。藤沢の夜は温かい。四月になってもぼくはこのままでいようと、心から思うことができた。